kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

寒くて、寒くて――

先週くらいに、
『これが最期の冬将軍かなぁ』なんてノンキな感想書いていたのですけども……
なんかもう、
全然判っていなかった。というか。
生意気言って済みませんでした。と土下座して謝りたい気分です。


寒いです。とにかく寒いです。
どのくらい寒いのか、というと。
夜中に、寒すぎて寝ている間に風邪こじらせてしまった、くらい。
もう3月だというのに。
外に洗濯物を干しても全然乾きません……
って、ここ2、3日雨天続きだったせいもありますけども。
それを除いても、
洗濯物が乾きません。
布団も干せません。
なんと言っても、
曇天続きで、太陽が出ないのです。


なんで、こうなった。って神様を小一時間くらい問い詰めたい気分です。

鎮魂――東日本大震災 追悼式の天皇陛下お言葉全文

忘れてもいい、と思うのですよね。
忘れないと、何時までも苦しみ続けることになるから。
ただ、
きちんと記録を残して。
次に備えること、これは怠ってはいけないと思うのですよ。
「忘れる」ことと「怠る」ことは。
まったく別次元の話だと思うのです。



【東日本大震災5年】追悼式の天皇陛下お言葉全文(1/2ページ) - 産経ニュース 【東日本大震災5年】追悼式の天皇陛下お言葉全文(1/2ページ) - 産経ニュース

東日本大震災5周年追悼式でお言葉を述べられる天皇陛下=11日午後2時55分、東京都千代田区国立劇場(代表撮影)


 東日本大震災から五年が経(た)ちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
 五年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対してどのような避難の道が確保できるのか暗澹(あんたん)たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
 このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
 地震津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
 こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、百六十を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
 あれから五年、皆が協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
 困難の中にいる人々一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
 日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲の下で学んだ教訓をいかし、国民皆が防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
 今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

ところで、
このブログも、ちょうど震災前あたりから書き始めているのですけども。
かれこれ、もう5年くらい続けているのですねぇ……
で、
ほとんど進歩していない。
初期設定のスタイルのママだし。
背景とか、
配置とか、
文字の大きさも読みづらいまま。
画像、ハッタリしてないし。
いまだに、
トラックバック』とかよくわかってない。
うむ……ひどいなぁ。5年間、何も勉強してないぞ。
とりあえず、
広告機能が途中で追加されたので、
適当にボタン配置してますけども。
これも、実際何の役に立つ物なのか。よく判っていません。
まあ、単に日々の愚痴を書き殴るための場所なので。
どうにかしよう、と気もないのですけども。
それでも、今年辺り、もう少し弄ってみようかなぁ。と……いつもそう思っているのですけどもね。
明日から頑張るぞ。と。


さて、
震災から5年、
原発が再稼働したり。
常磐道が開通したり。
まあ、遅々としてますが、とにかく変化しています。
その中で気になっていることが一つ。
原発のことでは、ないです。
いや、少し関連しますけども。

東西電源の融通の問題です。
私的には、
大震災の時に、もっともクリティカルだったのは、この電源問題じゃなかったのか。と思っています。
実際、
非常時で一斉に活動するために、電力需要が集中するときに。
電源自体が震災にあって電力供給が不足、
なのに、隣の地域から融通することが不可能、という。
車とか人か、送り込むことはできるのだけども。
それを動かすためのエネルギーが無いから、
全部タカラの持ち腐れで、意味ない。とか。で、
輪番停電も、相当長期にわたって経験しましたし。
この問題、
結局、何かしら解決の目処、立てたのでしょうかね。
たしか、
中継基地の変電施設の能力を増強する、という方針は決まって。
地道に拡張工事を進めているようですが。
これだって、
震災時に関東圏が、不足していたピーク電力の量からすると『焼け石に水』な内容で、
根本的な解決にはほど遠い、って。
言われていたはずけども、
その後、
新規の発電所を増設する、という案もでました。それもすすめられています。
けど、
それはバイパスにはなりませんよね。
また、
東日本側で発電所を増設しても、
西日本側がコケたら。まったく手助けにならないわけで。
本当に、
どうするつもりなんでしょうか。
最近、この話題はまったく見かけないので。
かなり心配です。
私としては、
根本的なところで何かしないと。次は乗り切れない、のではないか。と。
そう思うのですけども。