kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

日中韓米にしばし思う事4

さらに妄想の続き


2007年9月 12日に安倍晋三が突然、内閣総理大臣自由民主党総裁の辞任を表明する。後に健康上の問題だとわかるが当時は陰謀説が巷に流行する。
2007年9月 26日、福田康夫内閣総理大臣に就任。


さて、この第91代内閣総理大臣の時代は、前の安倍政権に比べると穏やかな治世でした。
その理由としては、アメリカは2008年に大統領選挙を控え、中国は2008年にオリンピックを自国の北京で開催する、
どちらも国家的規模のイベントを抱えていたため、日本にかかずりあっている暇がなかった……というところなのでしょうか。

この福田首相の治世において、もっとも注目するべき事件は、
自民党民主党大連立構想福田首相自民党総裁小沢一郎民主党代表の直接会談、このあと急転直下の破談となるわけですが。
なぜまとまらなかったのか。今もってよくわかっていません。一説では小沢一郎代表が民主党をまとめきれなかったせいだ。と言われていますが。
私は、もともとこの大連立構想はまとめる気がなかったと思います。
福田康夫自民党総裁小沢一郎民主党代表の会談は、大連立構想をまとめないことを確認し合うための直接会談ではなかった、と思うのです。
というのも。この時期の日本は、安倍首相の言う「戦後レジーム」からの脱却を果たすか、それともやはり留まるか、に揺れていた時期なので。
日本が国家として進む選択肢として、どちらにでも進むことができるように、しておこう、というのが政府の目算だったのでしょう。
なので、福田首相の率いる自民党は、旧来の戦後レジームに留まる勢力として、
小沢代表の率いる民主党は日本独自のイデオロギーを確立して、戦後レジームより独立する勢力として、
日本のために二つの選択肢を用意し着実に準備を進めること、それを互いに確認することが、
福田首相と小沢代表の直接会談の目的だったのではないか、そう考えると、
その後の日本の動き、とくに衆参のねじれ国会がなぜ発生するのかが、わかりやすいのですよ。
国会をねじれさせておけば、
戦後レジーム容認勢力と、自主独立勢力の、どちらかが圧倒して暴走することは容易にできないのですよねぇ。
小泉首相のときに郵政民営化があっさり通ってしまった、このことに対する政府(=官僚)の反省が、そこにあるのだと思います。
まあ、今のところ、それを裏付ける傍証はないのですけどね……

この後、麻生首相に変わるわけですけど。ここで日本の行方を変える大事件が起きます。
中川昭一財務大臣(当時)の酩酊会見です。
いまだに謀略説が消えない事件ですが……
これが日本の政治史にどんな意味を持っているのか。
それが、今の日本がなぜこれほど迷走しているのか、を紐解くためには重要な手がかりになる、と思うのですけど。
これについては、もう少し調べて考えてから書きたいと思います。