kg_noguの愚痴日記

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続々最近の日本と韓国の間――【コラム】友人になれる日本人はもういないのか

最近気になった記事、の続きなのですけど。
これはとくに、珍しい記事。
朝鮮日報日本語版なのですが……ブックマークが150以上も付いている。
ここ半年くらい、こんな引用数は見たことがないくらい、ヒットした記事……と言えますでしょうか。
で、その内容は、というと。


【コラム】友人になれる日本人はもういないのか | Chosun Online | 朝鮮日報 【コラム】友人になれる日本人はもういないのか | Chosun Online | 朝鮮日報

記事入力 : 2014/09/08 07:44

 つい先日、韓国外国語大学の鄭普錫(チョン・ジンソク)名誉教授から梶山季之(1930−75)という日本人について話を聞くことができた。ある韓国メディアの研究によると、これまでさまざまな業績を残してきた鄭教授は、米国のハワイ大学に保管されている朝鮮総督府言論統制に関する極秘資料「大正14年新聞紙要覧」が梶山氏の所蔵だったことを知り、この人物に注目するようになったという。梶山氏の妻は1977年、夫が生涯をかけて収集してきた韓国関連の資料7000点以上をハワイ大学に寄贈した。
 梶山氏は植民地時代の朝鮮で生まれた。父は朝鮮総督府の土木技師だった。南大門小学校と京城中学校を卒業し、1945年に日本が敗戦を迎えると父の出身地の広島に帰った。その後、推理小説やノンフィクションなど、さまざまなジャンルの書籍を執筆するベストセラー作家となった。死後も120冊の文庫本が発行され、1300万部が売れたという。
 梶山氏は小説『李朝残影』や『族譜』などを通じ、日本に支配されていた時代の朝鮮人虐殺やその苦痛などを描いた。この2編の小説は韓国語にも翻訳され、それぞれ申相玉シン・サンオク)監督と林権沢(イム・クォンテク)監督により映画化されている。梶山氏は1965年4月8日付の東亜日報を通じ「わたしは(日本の)過ちを贖罪(しょくざい)するという思いも込めて『李朝残影』や『族譜』などの小説を書いた。わたしは小説家として日本が韓国に犯した事実を作品化し、これを伝える義務があると思っている」と自らの考えを明かした。
 鄭教授から聞いた話の中で最も感動的な部分は、放送作家の故・韓雲史(ハン・ウンサ)氏(1923−2009)が韓国を訪問した梶山氏に会った時の逸話だ。韓氏は梶山氏に「日本はこの地でひどいことをした。日本人を代表して謝罪してくれないか」と語り掛けた。すると梶山氏はひざまずき、額が地に付くほど頭をかがめ「あの時は本当に間違ったことをしました。日本人を代表して謝罪します」と言った。韓氏は即座に梶山氏を立たせ「本当にようこそいらっしゃいました。心から歓迎します」と丁重にあいさつした。二人はその後、心が相通じる真の友人になった。
 日本の大手紙、産経新聞のソウル支局長は先日、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領に対する名誉毀損(きそん)の容疑で検察の取り調べを受けた。罪の有無は法律が判断することだが、産経の記事は少なくとも「友人」が言うようなことではなかった。産経は今年4月にも韓国と中国を「反日チンパンジー」と表現したことがある。「日本は韓国や中国よりもインドとの友好を深めるべき」と主張した。この記事の趣旨は「日本とインドは友好的かつ防御的な性格の類人猿である『ボノボ』であり、韓国と中国は攻撃的で闘争的な『チンパンジー』」というものだった。ネットには「インドとの友好が必要なのは確かにそうだが、人種差別はやるべきでない。野蛮な言動は国益にプラスにならない」といった反応が相次いだ。
 かつて日本の外務省国際情報局長を務めた孫崎亨氏(元防衛大学校教授)は先日、本紙とのインタビューで「韓国と中国を強く批判すれば、国民が喜ぶ雰囲気がある」「安倍政権を批判する知識人たちの発言の機会が減っている」と述べた。梶山氏のような「友人となる日本人」はもういなくなったのだろうか。


李漢洙(イ・ハンス)文化部次長
朝鮮日報朝鮮日報日本語版

まあ、なんだ……過去の日本人と今の日本人を比べて、どうこう。というわけでもなくて。
韓国人にとって都合のいい日本人を資料から捜してきて書きました、っていうコラムです。
私の意見としては、
日本人って、昔も今も中身はあまり変わってない、と思うのですよね。
ただ、韓国人に対する態度が変わってきた、というのなら。
昔は、日本人にとって尊敬できる韓国人がたくさんいたけれども。
今は、日本人にとってとても尊敬できない、というか。尊敬したくない韓国人がたくさん増えた。って事なのでしょう。