kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

クールジャパンに対する考察――東浩紀さんと対談@ゲンロンカフェ

意見まとめサイト……って呼んでいいのか、定かではないけど。
「BLOGOS」に載っていた以下の記事に付けたコメントのまとめです。


東浩紀さんと対談@ゲンロンカフェ (1/3) 東浩紀さんと対談@ゲンロンカフェ (1/3)


東浩紀氏は以前「動物化するポストモダン」を発表したときに、そのユニークな視点に感心したのですけど。
(ちなみに、この親書の中で題材として取り上げていた「オール・ユー・ニード・イズ・キル」はハリウッドで映画化されましたね)
どうも最近、ポップカルチャーに対する彼の言動が、本当にちゃんとコンテンツを分析しているのか、怪しい内容が目立つようになってきて。
それで勢いでコメント付けてしまったものです。
以下そのコメント。

本文の中身はともかく、ちょっと気になった点についてだけ。
私は、この記事に書かれている対談を拝聴していないので、どんな文脈の中で言われたのかは把握していないのだけど。
日本のサブカルチャー、とくに最近「クールジャパン」と評価されている一連の文化に対して「逆張り」という評価をくだしているけど、それは明らかな間違い、だと言える。
逆張り」ってのは、ハリウッドなりをメジャーとして、日本市場を中心としたニッチを相手にしているから、相対的に「逆張り」って事なんだろうけど。その主張には前提として、ハリウッドなどの海外に対する意識が不可欠なんだよね。フランス映画をたとえに出しているけど、たしかにフランス映画界は……というかヨーロッパ映画界はハリウッドに対しての相対的なポジションを意識しているのは間違いない。それは同じ映画をマーケットにしている以上必然的にそうならざるを得ない。
しかし、日本のサブカルチャーは事情が全く異なる。日本の場合、国内市場を獲得することが全てで、海外なんて全く意識していませんよ。意識しているとしても、それはごく一部の天才か、もしくは最近、「クールジャパン」なんて騒ぎ立ててからですよ。「クールジャパン」は国内と国外の相対的な関係を意識しながら出来た文化ではなくて、あくまで国内向けオンリーで成立したものです。それをなんとか海外向けにカスタマイズして輸出しようと躍起になってるだけ。だから、そもそも「逆」に「張ってない」。
ハリウッドに対しても、そこから出てくる作品群の内容をどうリファインして自分達の作品に取り込もうか、という意識はあるけど。周辺とか中心って意識は作り手側に存在しない。たまたまそう見えるのは、海外の人がそういうモノを選んでいるだけで、例に出しているフランス映画なんかと全く成立事情が異なっている。
その辺がすっ飛ばされて理解されるのか、わざと間違っているのかは定かじゃないけど。
逆張り」って認識でいると、これから日本文化も海外メジャーとの融合が始まって、その結果で海外の中での「クールジャパン」のポジショニングも変わっていく流れが、ただしく理解出来なくなる。
あと「エスニシティ」って解釈も「オタク的な」文化を評するには適当だけど。ポケモンや宮崎アニメにそこまでの執着があるのか、ってのは大いに疑問。一部分は説明できても全体を表すには適当ではないですね。もっとドライに消費されているモノの方が多いでしょう。

日本が海外を意識した文化を本格的に創るのは、これからの世代ですよ。
仮に「逆張り」って事があり得るなら、それが出てくるのはこれからです。

ちなみに、私の日本のカルチャーに対する評価は。
使い古された言葉ですけど「模倣」と「細部まで徹底したカスタマイズ」これだと思ってます。
日本の電化製品などでよく言われていた事ですけど。
これこそが、日本の物作りの根っこですよ。文化も同じです。
「クールジャパン」が受けているのも、この部分でしょう。
自分たちが知っているはずものが、まったく見たこともない形になって目の前に現れた。
それが面白がられているのじゃないですかね。

ただ、この「徹底したカスタマイズ」ってのは対応できる市場規模の限界があって。
メジャーにはなりきれない。
最大公約数ってのは中心部の寄せ集めだから可能であって、細部まで徹底してしまうと実現不可能になるから。
その意味で、日本文化は「ニッチ向け」だと思います。



SHIN様コメントありがとうございます。
東氏やちきりん氏が「結果的にそう解釈できる」って視点で「クールジャパン」を解釈しているのだろう、と私も思っているのですけど。
それでも認識不足かなぁ。というか、彼らがメジャーとしているハリウッドに代表される総合としてのアメリカ文化に関して。
こと「ゲーム」においては、『任天堂』は確実にグローバル・メジャーでしたよ。欧米人のライフスタイルに『家庭用ゲーム機』という存在を根付かせたのは、間違いなく『任天堂』の功績です。
それ以前には『ATARI』などもありましたけど、有名な『アタリ・ショック』によってアメリカを中心とした家庭用ゲーム機市場は一度壊滅しました。
一方で、欧米のゲーム開発はパソコン上での高度なプログラムを用いた遊戯へとプラットフォームを移行して存続していくのですが。
その壊滅した家庭用ゲーム機市場を新たに再生したのが、『任天堂ファミコン(海外ではNES=Nintendo Entertainment System)』です。それと対抗した『SEGA』、そして後発の『SONY』の『プレイステーション』が一時代を作り、その流れで今の家庭用ゲーム機の世界市場が存在していることは疑いよう在りません。
『NINTENDO』という単語が『ビデオ―ゲーム』の代名詞として、欧米で当たり前の様に使われている時代が間違いなく存在してました。
今でこそ、スマフォの携帯ゲームに市場を奪われて影が薄くなっていますけど。
日本のカルチャーにだって、ニッチ市場向けのサブカルチャーを超えてグローバル市場の中でメインストリームになった物だって存在するんですよ。
「クールジャパン」のコンテンツって、大小様々な市場規模のコンテンツがごった煮になっているんです。アメリカ文化のカウンターカルチャーだけじゃ語れないんです。
東氏は「動物化するポストモダン」を発表したときは面白い視点だと感心していたのですけど。
最近は、オタク文化を語りながら「ちゃんと日本のポップカルチャーを見ているのだろうか」って懐疑的になってしまう内容の言動が多々見られて。
今回も講演は拝聴してないのですが、
最初に答えありきで、事実をあちこち落としているように見えてしまって、
気になって、一筆啓上した次第です。


日本のポップカルチャーはニッチ向け、と書いておきながら。
グローバルで成功した事例としてゲーム分野での『任天堂』を取り上げていたりしているのですけど。
ゲームについて言えば、「宮本茂」という天才が日本に存在したことと、パイオニアとして他者との競争が存在しなかったこと。が大きな要素として、一時期成功したけど。
カスタマイズを繰り返した結果、日本市場は海外市場とはまったく異なる存在になってしまって、
結果、グローバルゲーム市場は日本文化から離れ、日本文化としてのビデオゲームはニッチ市場に落ち着いている。というのが私の解釈です。

コメントを載せたのはそのことを書いておきたかったからです。
まあ、興味の無い人には、本当にどうでもいい話なんですけどね。