kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

トラック野郎は星になってしまいました――俳優の菅原文太さん死去、81歳

高倉健さんに誘われて。ということはないんでしょうけど。
時を同じくして、昭和を代表するスターがもう一人亡くなってしまいました。


俳優の菅原文太さん死去、81歳 「仁義なき戦い」「トラック野郎」 (1/2ページ) - 産経ニュース 俳優の菅原文太さん死去、81歳 「仁義なき戦い」「トラック野郎」 (1/2ページ) - 産経ニュース

2014.12.1 14:20更新

 「仁義なき戦い」シリーズなどのやくざ映画で一世を風靡(ふうび)した俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが死去したことが1日、分かった。81歳だった。
 昭和8年、仙台市生まれ。早稲田大に入学したが中退後、ファッションモデルとして活躍した。31年、東宝「哀愁の街に霧が降る」の学生役で映画を初体験。33年に「白線秘密地帯」の端役で俳優として、本格的な映画デビューを果たした。
 42年、任侠(にんきょう)やくざ映画の全盛期にあった東映へ移籍し、その第1作が「網走番外地・吹雪の闘争」。その後、「現代やくざ」「関東テキヤ一家」シリーズの主役を務めるなど、“無鉄砲な与太者”という新しいスタイルの魅力をつくり上げた。
 48年の広島やくざ抗争の実態を描いた「仁義なき戦い」では、やくざの広能昌三を演じ、実録タッチの現代劇として大ヒット。東映は“実録路線”としてシリーズ化(全5作)し、翌49年からの「新仁義なき戦い」シリーズも3作続いた。その後も「トラック野郎」シリーズ(全10作)がヒットした。
 60年前後からは「青春の門」(56年)、「映画女優」(62年)などで重厚な脇役として印象深い演技も披露。テレビでは、NHK大河ドラマ獅子の時代」(55年)などに主演。舞台も「K2」(58、59年)、「スティング」(平成2、3年)などに主演した。
 平成10年に東京から岐阜県清見村(現高山市)へ夫人とともに移住。俳優業だけではなく、農業問題や政治にも関心を示し、全国を飛び回っていた。21年には山梨県で農業を始め、当時、俳優業は「半分、引退した」と話していた

単なる偶然なのでしょうけど。
私みたいな凡人は、どうしても因縁めいたものを感じずにはいられません。
とくに、
高倉健さん訃報が公表されたのが、総理大臣が解散総選挙の決意を発表した日で、
菅原文太さんの訃報が公表されたのが、選挙公示日とか。
今回の選挙は、ひょっとすると
何かの呪われているのですかねぇ。
どうなのでしょう。