kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

ようやく『昭和』が歴史になってきたのだろうか――【戦後70年・玉音放送(音声付き)公開】

人によって見方が色々あるとは思いますけども。
私的には、太平洋戦争とそれ以前の昭和は、まだ現代と繋がった現実で。
過去の『歴史』にはなっていないのだなぁ。と感じます。
なぜそう思うのか、と言えば。
開戦に至る経緯から敗戦まで、天皇の戦争責任も含めて。誰もが判るレベルまで簡潔に総括されていないからです。
非公開とされている資料があったり。
いま現在の政治と密接に関連している事実(戦争を悪とする歴史認識とか、とくにそうですね)があったり、で。
いろいろな価値観が、歴史の教科書にまとめられるレベルまで、
事実を簡潔に単純化することを阻んでいる。
たとえば、鎌倉幕府を開くまでの源頼朝の行動について、現代日本人なら大抵の人は『善悪』で考えたりはしません。
興味をもつのは事実かどうか、だけで。事実の羅列を記憶します。
ところが、近代、昭和から太平洋戦争となると。
当時の日本の行動が正しかった=正義だったのかどうか、という価値観に照らして善悪で見ようとする。これは『歴史』ではありません。

常々そのように感じてましたから、
こういう出来事があると。
少しずつ『歴史』になるべく進んでいるのかなぁ。と思えて。感慨深いものがあります。



【戦後70年・玉音放送(音声付き)公開】聖断の緊迫感今に 原盤初公開 70年ぶり再生、デジタル録音 御文庫付属室も(1/2ページ) - 産経ニュース 【戦後70年・玉音放送(音声付き)公開】聖断の緊迫感今に 原盤初公開 70年ぶり再生、デジタル録音 御文庫付属室も(1/2ページ) - 産経ニュース

2015.8.1 07:30更新
缶に収められていた玉音放送の5枚の原盤正本 =7月24日、皇居・宮内庁庁舎(代表撮影) 


 宮内庁は1日、戦後70年にあたり、昭和天皇が国民に終戦を伝えた玉音放送の原盤と再生した音声、昭和天皇玉音放送を聴いた皇居内の御文庫(おぶんこ)付属室の写真などを公開した。原盤と音声の公開は初。付属室は、終戦の聖断を下した御前会議が開かれるなど終戦間際の重要な舞台だった。
 玉音放送は、終戦前日の昭和20年8月14日深夜、昭和天皇宮内省内廷庁舎(第二期庁舎)2階の御政務室で読み、隣室でNHKの技術職員が録音した。
 録音は2回行われ、2回目(原盤正本)が翌15日正午からラジオ放送された。原盤正本は21年7月に連合国軍総司令部(GHQ)に一時貸し出され、その後は皇居内で保管されていた。1回目(原盤副本)は50年にNHK総合放送文化研究所に貸し出され、NHK放送博物館で管理しているが傷んでおり再生は不能だ。
 戦後70年を迎えるにあたり、宮内庁が戦争関連資料の公開を検討。天皇、皇后両陛下のご了解を得て、原盤正本を確認したところ、同時に録音した2枚組みと3枚組みのうち、2枚組みの完全再生に成功し、デジタル録音した。当時のレコードは録音可能な時間が短かったため、複数枚が組み合わされたという。
 御文庫付属室は昭和天皇の住まいの御文庫に付属する防空施設として開戦前夜の16年9月に完成。鉄筋コンクリート造りの約630平方メートルで会議室、事務室などからなる。一般に防空壕(ごう)と呼ばれるが、標高36メートルの地主山(じしゅやま)の一部を崩して建造し、土が盛られており、実際は地上1階にあたる。 宮内庁が皇室用財産として手つかずのまま管理。内部は腐食が進んだ。皇太子さまと秋篠宮さまは7月に中を視察された。宮内庁は「歴史的資産として今後も原則、手を加えずに管理していく」としている。


ブックマークを貼った記事からは、
音源をデジタル化したファイルから、当時の肉声を聞くことができたりします。
なので、
私も聞いてみたのですけども……酷い音ですね。
それでも、研究者や当時のラジオ放送を聞いた人からは、物凄くクリアな音源である、と評価されていますので。当時のラジオ放送=玉音放送がいかに聞き取りにくい、というより。聞き取れないものだったのか、
察することができます。
いまテレビなどで放送されているときの音声は、
相当ミキシングで聞き取りやすいように加工された音に変えているのだなぁ。と感心したり。
まあ、そんな事を思ったりしましたけど。
それ以外に特別な感慨は無かったりします。
歴史的な価値が高いことは間違いないので。次世代へ引き継いでいくべき資料であるのでしょうけども。
これだけ取り上げても当時のことを理解するのは難しいので。
もっと体系的に網羅した資料として活用される、機会が作られない物か。と。
それが大事なのではないかなぁ……