kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

あいかわらず嘘吐きのマスコミ――「終戦の日」が迫って思うこと、感じる事。

最近はたまに見る程度なった、テレビ朝日モーニングバード
今日は100歳越えた新聞記者に、
かつての戦前と今の雰囲気が同じだ……ってインタビュー。


「うーん、ひどいなぁ」と思うコトしきり。
私が最近とくに思うのは、
マスコミの質の劣化です。
昭和の頃の戦後のマスコミって、
政治家もそうなんですけども。
従軍世代がトップに付いていたので、戦争に対する贖罪の意識があった。
「戦争反対に対する目」が今と違っていたと思います。
軍人が悪いとか、当時の政府が悪い。とか単純な記事はあまり書いてなかった印象があります。
「戦争は悲惨だ」という記事は書きますけども、
軍人で兵隊だった人も悲惨、市民も悲惨、みんな悲惨。
そして、愚劣な作戦を立てた指導者についての恨み辛み、は書いているのですけども、
単に政府が悪い、とか軍が悪いとか兵隊が悪い、とは書いてなかった。
繰り返しますけども「ひどい戦争だった」とは何度も書いたけども、
「誰それが悪い」と誰かを糾弾する記事は、書いてなかった。


なんであんな酷いことになったんだ、という記録を残したい、
という熱意は記事から私に伝わってきました。
そこには、
戦争礼賛の記事を書いたことについての、反省、というよりも後ろめたさがあったのだと思います。
それは、単に政府のせいにしたり、軍部のせいにしたり、そんなことでは解決できるはずがない。それを身に染みて感じていたのだと。
振り返れば、
太平洋戦争の前の日中戦争から、マスコミは「大戦果」「大勝利」を連呼し、
軍を後押ししたりしてたわけで。
そして国民も支持していたわけです。
従軍世代って、
そういう中で生きてきたわけですから、
過去の自分に対する後ろめたさ、とずっと付き合っていかなければならない。
そういうジレンマの中で記事を書いていたから、
誰かを一方的に責めることができず、
「済みませんでした」という過去への後悔の気持ちだけが表に出てしまう。
ある種の自虐史観とも言われる内容になっていたのではないかなぁ。と思えるのです。



で、
今のマスコミにはそういう姿勢を感じないんですよね。感じられない。
単に政府を責めたり、軍部を責めたりしている。だけ。
既に過去になってしまった出来事に対して、
今を生きている政治家とか国民とかに、まったく体験していない出来事の当事者として責任引き受けろ、と
主張して起きながら、
マスコミは第三者として当事者の中に存在してないんですよ。外から見て騒いでいるだけ。
だから、
かつてと似たような論調であっても中身が全然違う。
かつては、政府もマスコミ自身も戦犯としての共犯の意識があった。
その後悔で「済みませんでした」っていう言葉だけが表に出ていた。言わずもがな当事者意識が根っこにあったんですね。
でも今のマスコミには、そういう戦争の片棒を担いだ戦犯の意識は感じられません。
だって経験してないわけですから。それでも他人には当事者としての責任を追及して、
自分が当事者である視点はスッポリ抜けているんですね。
だから、「自らの正義」を振りかざして、一方的に政府を断罪するだけ。
一国民としては、
そういう劣化したマスコミの姿勢に、うんざりしているのですけども。

誰か、
こういうマスコミの変化を、研究してまとめてくれないかなぁ。
マスコミ刊行物の、
反戦の社説、終戦の日前後の特集記事を、丹念に追っていけば、明らかになると思うのだけど。
これって、大学卒業論文のテーマに出来そうだなぁ。