kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

まあ、すごいよね――【日韓頂上決戦】15分足らずで3得点…日本、不屈の精神で制す

昨日、ドーハのアブドゥラ・ビン・ハリファ・スタジアムで行われた、2016アジア・サッカー連盟23歳以下選手権(AFC U-23)の決勝戦
日本代表チームは、韓国代表チームと対戦し、
前半で2点差を付けられて敗色濃厚の劣勢を、後半引っ繰り返して逆転し、
3−2の勝利で大会優勝の栄誉を手にしました。
……なかなか、勝負強くなったなぁ。と。
私は、徹夜仕事でしたので、
ネットのニュースサイトで速報記事を見て追いかけることで、
試合の結果を知ったのですが、
準々決勝でイランに、
準決勝でイラクに、
どちらもかなりタフな試合でしたけども。これに勝利した経験が生きているように感じられました。
多分、
この2戦を経験していなければ、前半で集中力が切れていたのではないでしょうか。
韓国代表チームが、
試合前から日本チームを軽く見て、油断してくれていたのも。
好都合でしたね。


ブックマークを貼ったのは、
試合後の結果を報じる、産経新聞のニュースサイトの記事と。
試合前の、韓国代表の様子を報じる、韓国の朝鮮日報の記事です。



【日韓頂上決戦】15分足らずで3得点…日本、不屈の精神で制す - 産経WEST 【日韓頂上決戦】15分足らずで3得点…日本、不屈の精神で制す - 産経WEST

2016.1.31 02:38更新
後半、チーム2点目を決め喜ぶU23日本代表・矢島慎也(中央)=(現地時間)30日、ドーハのアブドゥラ・ビン・ハリファ・スタジアム(撮影・桐山弘太)


 日本が15分足らずの間に3得点する大逆転劇で、アジアの頂点に立った。勢いのままにドーハを駆け抜け、初タイトルを手にした。「優勝することでこれからの可能性に希望を抱いてもらえる。絶対に勝たせてあげたい」と話していた手倉森監督は相好を崩した。
 0−2と圧倒されて迎えた後半22分。スーパーサブの浅野が反撃の得点を入れると、1分後には矢島が決めて追い付いた。決勝点は後半36分。浅野が背後を突いて抜け出し沈めた。
 前半は韓国の出足に圧倒され、いいところがなかった。今大会初めて許した先制点は前半20分。権昶勲のシュートが岩波に当たって角度が変わり、ゴールを割られた。後半2分には陳成●(=日の下に立)に追加点も与えた。厳しいチーム事情も影響した悪い流れを、後半途中に入った浅野が一変させた。意地とプライドを懸けた一戦を、日本が不屈の精神で制した。
(共同)


大韓サッカー協会「日本は韓国の優勝自販機」 Chosun Online | 朝鮮日報 大韓サッカー協会「日本は韓国の優勝自販機」 Chosun Online | 朝鮮日報

記事入力 : 2016/01/30 08:40

U23勝戦は「宿命の韓日戦」きょう夜11時45分キックオフ


 カタール・ドーハは韓国と日本のサッカー代表の明暗が交錯してきた場所だ。1993年10月、ドーハで行われたワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選。韓国は脱落の寸前まで行ったが、日本がイラク戦で後半終了間際に同点ゴールを許したことから日本を上回り、劇的に本大会出場チケットを手にした。この出来事を韓国では「ドーハの奇跡」、日本では「ドーハの悲劇」と呼んでいる。
 2011年1月にはここで韓国と日本のアジアカップ準決勝が行われた。韓国は延長後半のアディショナル・タイムに黄載元(ファン・ジェウォン)のゴールでPK戦に持ち込んだが、結局は日本に屈してしまった。
 またドーハだ。韓国と日本のサッカー五輪代表チームは30日夜11時45分(韓国時間)、カタール・ドーハのアブドラ・ビン・カリファ・スタジアムで2016アジア・サッカー連盟23歳以下選手権(AFC U-23)の決勝戦に臨む。両国とも決勝進出した時点で既にリオデジャネイロ五輪本戦出場を決めているが、韓日戦は負けられない勝負だ。大韓サッカー協会は今回の日本戦での応援スローガンを「日本は韓国の優勝自販(JAPAN)機」に決めた(訳注:韓国語の自販〈=自動販売機、読み方はジャパン〉と英語で日本を意味するJAPANが同じ発音・表記になることをかけたもの)。
 五輪代表チーム(23歳以下)のこれまでの戦績は6勝4敗4分と韓国が上回っている。直近の2試合はどちらもビッグマッチだった。2012年のロンドン五輪3・4位決定戦では朴主永パク・チュヨン)と具滋哲ク・ジャチョル)の連続ゴールにより韓国が2−0で勝ち、銅メダルを手にした。14年の仁川アジア大会準々決勝では張賢秀チャン・ヒョンス)のPKで韓国が1−0で勝った。この時、韓国に敗れたメンバーが今大会の日本代表チームの主軸だ。日本はリオ五輪に備えるため、23歳以下が出場する仁川アジア大会に当時20−21歳の選手を主に出場させた。


チャン・ミンソク記者

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