kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

たぶん、これで本当に「昭和」が終わったのだろう。――三笠宮さま薨去

日本のあの時代を作った、大人物の最後の一人。
戦前、戦後の日本の進むべき方向に影響を与えた偉人、と言うべき方でした。
戦後は、
表立って出てくることはアリマセンでしたけど。
何かしらで、やはりお名前が挙がることが多く、
昭和を生きてきた国民の記憶には、なにかしら印象が残っていますよね。
昭和天皇の弟に当たる方ですので、
100歳のご高齢を考えれば、
『大往生』というべきなのかもしれません。
お疲れ様でした。



【三笠宮さま薨去】宮内庁が午前10時半すぎに発表(1/2ページ) - 産経ニュース 【三笠宮さま薨去】宮内庁が午前10時半すぎに発表(1/2ページ) - 産経ニュース

大正天皇の第4皇男子で、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が27日午前8時34分、心不全のため、東京都中央区聖路加国際病院薨去(こうきょ)された。100歳で、皇位継承順位は第5位であられた。戦時中は陸軍の軍人、戦後は古代オリエント史の研究者として活躍された。本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は約1週間後に東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で執り行われるとみられる。薨去により、皇室は19方、皇位継承資格者は4方となった。

 宮内庁は27日午前10時半すぎから、加地隆治宮務主管と名川弘一皇室医務主管が記者会見し、三笠宮さまの薨去を発表した。

 昨年12月に明治以降の皇族では初めて100歳を迎え、ご存命の中で唯一の大正生まれの男性皇族でもあられた。

 昭和天皇秩父宮高松宮の弟にあたられ、幼少期の称号は澄宮(すみのみや)。学習院初・中等科、陸軍士官学校を卒業後、陸軍騎兵学校、陸軍大学校へと進み、先の大戦中の昭和18年、お印の「若杉」から「若杉参謀」と名乗り、支那派遣軍参謀として南京に赴かれた。19年には大本営参謀となり、終戦時は陸軍少佐であられた。

 16年10月に高木正得(まさなり)子爵の次女、百合子さまと結婚し、寛仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、●(=ウかんむりの下に心、その下に用)子(やすこ)さん(近衛忠●(=火へんに軍)夫人)、容子(まさこ)さん(千宗室夫人)の3男2女をもうけたが、平成14年に高円宮さま、24年に寛仁さま、26年に桂宮さまを相次いで亡くされた。