kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

これは本当に難しいよ ―― 日光で消えたフランス人女性を知りませんか

この事件、
個人的に気になってずっと追いかけているのですけど。
また、新しいまとめ記事を見つけたので、
ブックマーク貼りました。
で、
この記事を読んでいて、つくづく感じるのは、
『これは日本のメディアが招いたミスリードだなぁ』と。
たぶん、これ、
『有名観光地で失踪』でイメージ膨らませているから全然捜査が進展していないように見えるのですよねぇ。
着眼点が間違っているのですよ。
このブックマークを貼った記事もそうなのですけど。
事実を追いかけると、
足取りの目撃情報で、
最後に目撃されたが、山中の登山道ですから(ハイキング並の道らしいけど)
『登山中に遭難』というイメージで捉えたら、
行方不明になった人間を、
それが遺体だとしても、
発見するのが如何に困難なのか……
想像が付く、というものです。
初動のマスコミ報道が、
間違った地点から出発して、
それが訂正されないまま
ズルズル誤った情報が拡散されているのが、
問題を複雑にしてるのだと思います。
とくに、
沢などにはまって水に流された場合は、
『運良く浮かんできた』場合、見つけることができますけど。
沈んでしまった場合には、
永遠に見つかりません。
これは、
私の弟が水難事故に遭ったときに、
捜索を協力してくれた
現地の消防団の人から教えられた話です。
『見つかったのは運が良かったね』と。
流された遺体が沈んでしまうと、
そのまま次に浮かんでくるのは
1年後なのか10年後なのか。
こればかりは、
河の流れ次第、なのだそうです。
深みにはまってしまえば、
そのまま魚の餌になって上がってこないまま、
ということもあり得るそうで。
ダイバーを雇って捜すのは、遺族が自費で行うしかないそうです。
(事件性があった場合は別です。
 あと、
 遺体が見つかっている場合に引き上げるためのダイバーなら
 公的機関に協力してもらえることがあります)
それでも遺体が、
見失った場所からどこに流されているのかは、可能性は広い範囲に及ぶため、
見つからないことが多く、
いつか浮かんでくるのを待つしかない、のが現実のところ唯一の手段だとか。
だから、
警察がドローンを使って上空から捜査したところで、
必ずしも見つかるものではないのですよね。
また、
今みたいに、
草木が青々と茂っている状態では、
遭難者の遺体を山の中で発見することは、
山狩りでも、容易ではないですし。
先月、
山口の方で幼児が遭難して、運良く助かった事例がありますけど。
あれは、本当に『奇跡』みたいなもので。
遭難していた男児が声を上げたから、
迷わずたどり着けた、わけで。
あれが、
『物言わぬ相手』だった場合。
発見するのは、まず不可能だったと思います。
一躍有名になったボランティアおじさんが
最初にインタビューを受けたときに感激して噎び泣いていたのは、
そういう現実を熟知していて、
男児の声で、
ギリギリの分かれ目だった命を運良く救いあげられた事実を、
よく分かっていたからでしょう。



私は警察の肩を持つつもりはないのですけど。
『遭難』の実情を知っているものとして、
一方的に叩くのはフェアではないな、と感じる次第です。
そのこともあって、
この事件が気になって仕方が無い、というか。
こうして追いかけているのですよねぇ……





ティフェヌ・ベロンさんと会ったことのある日本人はほとんどいないだろう。
フランスのポワチエ在住のベロンさんは36歳のフランスの小学校教員補助で、障害のある子どもの世話をしている。特に1人の自閉症の少年のことを気にかけていて、彼女の助けを借りて少年の症状は劇的に改善した。ベロンさんはまた、著名なオーストリア画家と同じ名前の「ココシュカ」というネコを飼っている。
【9月4日18時10分追記】初出時の「オーストラリア画家」を上記に訂正しました。


 彼女にはもう1つ情熱を傾けているものがある。日本だ。多くのフランス人同様、彼女は日本という国に恋をしている。彼女は町の静けさや、人々の間にある尊敬の念、そして洗練された文化に。2013年に初めて来日した際は東京しか訪れなかったが、そこで彼女の人生は変わった。
そして、2018年7月27日。ベロンさんは2度目の日本への旅に出た。8月18日まで約3週間訪れるため、旅支度は慎重にした。今度は日本の田舎を知りたいと思っていた。彼女は大きな紙に、滞在中に行きたいと思っている場所をリストアップした。礼儀正しい日本人のように、滞在予定の各ホテルへのお土産も用意していた。
最初の目的地は日光東照宮だった。日本に到着した7月27日に両親にメッセージを送った。この国ではいつでもそうであるように、すべては完璧だ、と。
翌日、ベロンさんは姿を消した。その日の朝以来、彼女がどこにいるのかまったく手掛かりがなく、家族やジャーナリスト、外交官、そして日本の警察などの捜査隊は絶望に陥っている。フランスでは、エマニュエル・マクロン大統領官邸が捜索を行っている。「彼女がどこにいるのかまったくわからない。何の手掛かりもない」と、あるフランスの外交官は嘆く。
ベロンさんは失踪前夜、同じホテルに宿泊したフランス人観光客と会った。翌日の朝食で、彼女は2組の別のフランス人とドイツ人のカップルに会って、訪問予定の場所について話した。彼女の予定に特別なものは何もなかった――中禅寺湖東照宮など日光で旅行者がみな訪れるルートをまわる計画だった。
ホテルのマネジャーによると、彼女は29日午前10時にホテルを出発した。パスポートとスーツケースを部屋に置いたままだった。携帯電話を持って出掛けたが、位置情報は午前中ホテル周辺で止まっている。
フランスでは、彼女が行方不明になったと聞いた家族は最悪の事態を想定した。彼女の兄弟のダミアンさんとスタニスラスさん、そして妹のシビルさんは大急ぎで荷物をまとめて、8月4日、彼らにとってはまったく未知の国である日本へやって来た。8月18日には母親のアンヌ・デゼーさんも来日した。
【9月4日8時35分追記】来日した家族について正確に表記をしました。


 彼らには心配する特別な理由があった。ベロンさんはてんかんの持病があるのだ。学生時代に発症してからというもの、規則正しく薬を飲まなければならない状態にあった。そのため、家族とも頻繁に連絡をとっていたのだ。
 「ティフェヌはおそらく1年に1度けいれんの発作を起こす。それよりも短い発作を頻繁に起こすようにもなっている。ただ彼女は危機的な状況のとき、反射的に身を守り、自分の体を傷つけないようにしている」と、ダミアンさんは話す。
 「彼女は病気のせいで、秘密を持つような生活はできない」と、ベロンさんの母、アンヌ・デゼーさんは語る。「彼女が思いつきで失踪したなんて想像できない」とシビルさんも話す。
警察はベロンさんの失踪の話を聞いてすぐに動き始めた。日光の森林はあまりに広大なので、どこを捜索するか選択しなければならなかった。そこで、まずベロンさんが訪れる予定だった場所の周辺地域を2キロにわたり、くまなく捜索した。ベロンさんにはトレッキングの趣味はない。それに、自然ではなく、どちらかといえば文化に興味があって日本を訪れたため、道を外れて歩くことはないだろうと考えられる。
 さらに警察は、日光の社寺周辺の41台のカメラのデータで何千時間もの記録を確認。近隣住民への聞き取り調査も数回行った。宅配業者や郵便局員など、その地域で頻繁に業務を行う会社の従業員にも取り調べを行った。住民の間でも相互に確認を取り合った。しかし、何の手掛かりも得られなかった。
 警察とベロンさんの家族が協力し、目撃者を求めてパンフレットを配布したところ、電話で80件の情報が寄せられた。すべて調べたが、ここでも手掛かりは得られなかった。8月10日、失踪当日に欧米人を目撃した人の証言内容に基づいて、警察官と救助隊60人が捜索犬を伴い、ドローンやヘリコプターの援助を受けて鳴虫山の一部を捜索したが、この捜索活動でも何も収穫はなかった。
 また、警察は日光山中を流れる大谷(だいや)川に点在するダムを管理する東京電力にも聴取を実施した。7月28日には、日光市内で大雨が降っており、気象庁は24時間の降水量2445ミリを記録している(1974年以降2番目の降水量)。この雨によって、地面は滑りやすくなっていたうえに、川の流れも激しくなっていた。


 ベロンさんは2日前に来日したばかりで時差ボケも残っていた。そのうえ、危険と言われるほどの暑さや湿気によって、行方不明になった当日は相当の疲れがあったと見られている。体に厳しい環境下で、持病のてんかんを発症したおそれも考えられる。誤って大谷川に落ちたとすれば、そのままダムを通り抜けて下流へと流されていき、およそ400キロ下流の海にまで到達した可能性も十分ありうる。
 しかし、警察がこれをふまえて下流域をヘリコプターで捜索しても、手掛かりは見つからなかった。ベロンさんの家族も、限られた条件の中で独自に捜索を行っており、8月4日に来日したベロンさんの兄弟と妹は、日光の山中や大谷川沿いを、手掛かりを求めてくまなく捜索している。
【9月4日8時35分追記】記事初出時に「8月20日に来日した」と記述していましたが上記に訂正しました。


 シビルさんは「救急車の音を聞くたび、ティフェヌなんじゃないのかと考えてしまう」と話す。捜索をしていたある日、ダミアンさんが川底にベロンさんの携帯電話とおぼしき白い物体を発見した。警察に伝えたうえですぐさま木の枝を使ってカギ棒を作り、その先端に防水カメラと取り付けてその物体を撮影したが、2日後に警察が水から引き上げたところ、残念ながら小さな飲み物を入れるボトルだった。
 地元の人々はベロン一家に起こった悲劇に心配りを持って対応した。封筒にお金を入れ、匿名で彼らが滞在していたホテルに預けた人たちもいた。そのうちの1人は、ベロン一家を自宅に招待して滞在させた。日光の行方不明者の情報提供を呼びかけるパンフレットが置かれた場所の下に、人々は折り鶴を置いていった。
 中には、時間があるときに、ベロンさんか、少なくとも彼女に関係する何かを探そうと、その地域を歩く人もいた。「お店にパンフレットを配るたびに店主たちは、自分のビジネスに与えるイメージなど考えずに、すぐさまパンフレットを店先に貼ってくれた」と、スタニスラスさんは目を細めて言う。SNSを通じて、家族への励ましのメッセージも続々ときている。しかし、中には悪意のあるメッセージや貴重な時間を無駄にすることになった虚偽の情報も含まれていたという。