この人の、小説、いやノンフィクション……記録文学とでも呼ぶべきでしょうか、
ルポタージュではないですね。
著述した、
後藤田正晴官房長官の評伝とか、
連合赤軍あさま山荘に関する一連の学生運動の顛末記(回想録)とか。
たくさん読みましたよ。
学生時代から、
社会人新人くらいの時期にかけて。
かなり影響を受けた自覚があります。
私の、
社会人としての、
物事、社会との関わり方の根っこの部分、
その一部となっているのは間違いありません。
お亡くなりになってしまったんですねぇ。
惜しいなぁ。
こういう、
国家の中枢で業績を詰んで、
その経験をもとに、国家のグランドデザインを語れる『元・官僚』、
そういう貴重な人物は、
最近、ほとんど居ませんから。
昔は、
『堺屋太一』とか
『石原慎太郎』とか……この人は官僚ではありませんけど。
『片山善博』とか、
言動に賛否両論ありますけど。
とにかく、
現場を知った上で物申す、政策のご意見番みたいな人が
それなりに居たのですけど。
最近出てくるのは、
感情的に政権批判を繰り返す俗物ばかりで。
国家のグランドデザインなんかまったく頭の中にない、
汚い言葉しか出て来ない、
……マスコミにとっては使い勝手の良いバカしか見当たらなくて。
こういうところにも、
日本の衰退、というのは、現れているのだろうなぁ。
と
思うことしきりです。
本当に、
能吏と呼ぶのにふさわしい『傑物』が居なくなりましたねぇ。
寂しいかぎりです。
なんでなんだろう……
バルブ崩壊の後、経費削減のリストラばかりで、
人材を育ててこなかったツケが回ってきているのかなぁ。
ご冥福をお祈りします。
産経新聞の正論メンバーで初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏が10日、老衰のため死去した。87歳だった。通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日午前11時半、東京都港区南青山2の26の38、梅窓院で。喪主は妻、幸子(さちこ)さん。
昭和5年、東京都出身。東京大学法学部卒業後、29年に国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁。警備や公安畑を歩み、44年の東大安田講堂事件、47年のあさま山荘事件など戦後史に残る重大事件で対処に関わった。
香港領事、三重県警本部長などを経て旧・防衛庁へ出向。防衛施設庁長官などを歴任した。61年には内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長に就任。平成元年の昭和天皇大喪の礼の警備を最後に退官した。
現役の防衛庁幹部当時に出版しベストセラーとなった「危機管理のノウハウ」(PHP)などの著作を通じ、日本社会に「危機管理」という概念を定着させ、公職退任後も新聞やテレビなど多方面で活躍。テロや災害から国民の生命・財産を守り損害を減らす備えの重要性を訴え続けた。
国益を重視する現実的な政策提言は歴代政権にも影響を与え、平成13年の米中枢同時テロでは米国の対テロ活動を後方支援するため、自衛隊のイラク派遣を進言。小泉純一郎政権によって実現された。
正論メンバーとしても長く正鵠(せいこく)を射る持論を展開、19年には第22回「正論大賞」(18年度)を受賞した。