kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

捕まったヤツが立派なのか? それは違うだろ、って話 ―― 日本人ジャーナリスト安田さん解放、なぜ論争に?―中国メディア

この話、なぜか日本のメディア人は感情的な意見が多くて。
気になっていたんですけど、
それで時間をおけばまともなレポートが出てくるのかなぁ、
と待っていたのですが、
いつまで経っても国内メディアからはまともな記事が出て来ないので
淡々と概要をまとめてあるレコードチャイナの記事にブックマークを貼ってみました。
なんというか、
『解放されて帰還したから英雄』とか、
『自己責任論』とか、
色々ズレていると思うのですよ。
拘束されたけど生還できた……その事実は喜ぶべきだと思います。
ただ、
それを褒め称える人がいますけど。
それは本末転倒ですよね。
拘束されずに、
仕事をこなして、無事に帰還する人が立派なわけです。
拘束されてしまった、という事実は、
その時点で大きく『失敗』しているわけで、
『阿呆』と言うべきです。
ところが、
日本のメディアで解放された安田氏を庇う論調は、
なぜか「拘束された解放されたから英雄」みたいな。
極めてバカな持ち上げ方をしていて、お前ら頭オカシイだろう。
拘束されずに、
危険地域で仕事をしているジャーナリストや、働いているNPOの職員とか、
そういう人達は今もって、
現在でも沢山居るわけですけど。
そういう人達のことはこれまで一切取り上げてこないで、
『人質になって開放された人』だけを『英雄視』する。という。
ネジが何本も抜け落ちた評価を
大声で叫ぶわけです。
別の形で例えるなら、
登山に挑戦するチャレンジスピリットは褒め称えるべきですけど。
遭難して周囲に心配をかけ捜索の手間をかけた不手際は、別物なわけで。
褒められるべきは
『困難に挑戦する人』であって、
『遭難した人』ではない。遭難した人は『あんたもうちょっとしっかりしなさいよ』と叱られるわけです。
と言えば分かりやすいでしょうか。
こういう簡単な説明を、
なぜか日本のメディアは避けるのですよねぇ。




2018年10月26日、環球時報は、フリージャーナリストの安田純平さんが3年ぶりにシリアの武装勢力から解放され帰国したことについて、日本メディアからは歓喜の声が上がる一方で、世論からは「自業自得だ」との見方が出ていることを報じた。
記事は、安田さんが26日にトルコから飛行機に乗り、同日夕刻に日本に到着したことを紹介。安田さんが日本メディアに対して「精神的にも肉体的にも地獄のようだった」「いつ解放されるか、はたまたいつ殺されるか分からず、入浴はおろか、24時間体を動かすことさえ許されなかった。こんな生活が少なくとも8カ月続いた」と語ったことを伝えている。
そして、44歳の安田さんが地方紙の記者を経てフリージャーナリストとなり、これまでにアフガニスタンイラクの戦争でも戦地に赴き取材をしており、イラクでも身柄を拘束されたことがあると紹介。3年4カ月前の2015年6月に、シリア内戦の取材のためにトルコ南部から徒歩でシリア反政府勢力の拠点であるイドリブ県に入った後行方不明になったとした。
また、今回の解放劇では特に武装勢力への影響力が大きいトルコとカタールによる斡旋が功を奏し、日本政府が身代金を支払わないなかで、カタール政府が300万米ドル(約3億4000万円)の身代金を支払ったとの情報があること、河野太郎外相が24日にトルコ、カタール両国政府に対し援助に感謝を示したことを伝えた。
さらに、安田さんの家族や日本メディアが歓喜を示し、危険を冒してまで報道しようとした姿勢を英雄視する一方で、日本国内では安田さんに対して「自業自得であるうえに、政府にも迷惑をかけた」との批判が少なからず見られると指摘。一部の専門家からも「中東地域の戦乱を知りながらリスクを冒し続けた結果捕らえられた。このような行為は英雄とは言えない」との見方が出ているとしたほか、日本政府も改めてシリアなどの紛争地域に行かないよう強調したことを紹介している。(翻訳・編集/川尻)