いや、
華々しく持ち上げるものではないのですけど。
マスコミの扱いとかを見ていると、
『市原悦子』女史には遠く及ばない……というか。
テレビでは、
ほとんど取り上げられないのが、なんとも。
まあ、
この辺は『学者』の悲哀とも言うべきか。
日常生活の中で、
顔を見かけたり話を聞く事なんて
ほとんどないですからねぇ。
テレビタレントみたいな
その道に関わっていない人たちでは、
そうそう語れるような話も持ち合わせていないですし。
日常的に
話題にのぼるような出来事もないですしねぇ。
かくいう私は、
かつて日本史を専攻していた時期があったので、
『梅原日本学』とかには、
それなりにお世話になった身なのですけど。
私は、
もっぱら近現代史中心だったので。
この人の著書も、
サラッとかじった程度で。
かなりオカルト的な印象が強くて。
どちらかというと敬遠したい内容が多かったのですけど。
それでも、
天皇史観を把握する中で、
外せない思想家の一人なので。
避けて通れないので大変でした。
まあ、
それはそれとして。
NHKとかで、
特集番組組んでもいいと思うのですけどね。
そのくらいの『知の巨人』として
評価されるべき人だと思うのです。
このまま、
埋もれてしまうのは、悲しいなぁ。
戦後日本を代表する哲学者で12日に死去した梅原猛(うめはらたけし)さんの長男で、芸術学者の賢一郎さん(65)が14日、産経新聞の取材に応じ、「自身の哲学を死においても見事に成し遂げていた。すばらしい大往生だった」と、最期の様子を明かした。 梅原さんは京都市内の自宅で賢一郎さんや長女、孫ら親族に見守られながら息を引き取った。死の直前、孫たちから「いい人生だったね」「おじいちゃん、ありがとう」と言葉をかけられると、満足した表情を浮かべたという。
古代史や文学、宗教などを横断し「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた梅原さん。賢一郎さんは、学問に対する厳しい姿が印象に残るとした上で、「異端児と世間では思われているが、実は寛容でおおらかで全てを包み込む、優しさと厳しさを兼ね備えた器の大きな人だった」と偉大な父の死を悼んだ。