kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

ふられ気分でRock'n' Roll ── ロックシンガー、内田裕也さん死去 希林さんの死から半年 

たまたまテレビを見ていた時に、
流れた速報テロップが目に入って。
訃報を知りました。
私は『ファン』ではないのですけど。
どうしてか、
この方の存在は色々と気になっていました。
学生時代、
テレビで流れていた深夜映画で
何度も作品を見て以来。
私が、
この方をイメージすると真っ先に浮かぶのが、
タイトルに付けた言葉です。
これTOM☆CATのデビュー曲で。
北斗の拳の主題歌を歌っていたTOM☆CATと
この方とは全然関係がないのですけど。
語感がまさにこの方のイメージそのまんま、というか。
歌詞の内容が、この方の生き様そのまんま、というか。
私の中では、
この方は、歌手、ロックンローラーではなく、
『パンクな俳優』でしょうか。
テレビの追悼番組では、
若かりし頃のキラキラした姿を写した白黒映像を流していましたけど。
昭和の大スター
石原裕次郎』と同じ時期を生きた方で。
裕次郎が押しも押されぬ大衆の銀幕スターなら
この方はコアなファンから熱狂的な支持を得たカルト・スター。と言えますかねぇ。
今で言うなら、
ビートたけしが監督した映画……
あんな感じのイメージです。
暴力有り、涙有り。才能が有りすぎて爆発しちゃって。
なんというか、
時代を先走りし過ぎちゃって。
周りがついてこれなくて、色々と大変……みたいな。
そういう偉大な方でした。
一言で表すなら『異才』。
天性ではなくて自分磨きの究極。


というわけで、
記事にブックマークを貼ってみたのですけど。
選んだ記事中の年代表記は、
全部『昭和』で統一されています。
でも、
平成生まれの読者だと、
この表記ではパッと見で
西暦とごっちゃになって混乱する、と思うのですけど。

 

 

www.sankei.com 


 ロックシンガーや俳優として知られる内田裕也(うちだ・ゆうや、本名・雄也=ゆうや)さんが17日午前5時33分、肺炎のため死去した。79歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。後日、お別れ会を開く予定。
 昭和14年、兵庫県西宮市出身。高校時代にエルヴィス・プレスリーに憧れ、音楽を志した。34年に音楽フェスティバル「日劇エスタンカーニバル」でデビュー。その後、ビートルズなどの影響を受けてロックバンド「内田裕也とザ・フラワーズ」「フラワー・トラベリン・バンド(FTB)」などを結成、48年に初のソロアルバム「ロックンロール放送局」を発表した。またロックフェスティバルの開催に取り組むなど、日本のロックの普及に尽力した。
 映画俳優としても活躍し、「水のないプール」(57年公開)、「十階のモスキート」(58年公開)、「コミック雑誌なんかいらない!」(61年公開)などで主演。時代の空気を反映し、独特の存在感を示した。
 「Rock’n Roll(ロックンロール)!」という口癖や破天荒な言動で知られ、強要未遂などの疑いで逮捕歴がある一方、政治やボランティアへの関心が高かった。平成3年には東京都知事選に出馬し、5万票以上を得たが落選。政見放送では親交のあったジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を歌って自らの経歴を英語で話し、話題となった。阪神淡路大震災東日本大震災では、特別ライブや炊き出しなど被災地支援を率先して行った。
 妻で女優の樹木希林さんを昨年9月に亡くしたばかりだった。樹木さんとは昭和48年に結婚し、40年以上にわたって別居していた。葬儀では体調不良のため、報道陣に言葉を発することはなかったが、自身のオフィシャルサイトに「見事な女性でした」と感謝の言葉をつづっていた。俳優の本木雅弘さんは娘婿。

 

 

 

たかがRock'nRoll されどRock'nRoll
ひそむように輝いているあなたはダイナマイト

 

どうか安らかに
お休みください。