kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

今までありがとう ―― イチロー、第一線退く意向 大リーグ19年目、日米通算安打数は4300安打を突破

なんというか、
私の世代にとっては間違いなく『ヒーロー』なんですよね。
この人は。
昨日からテレビで、
どこのチャンネルに変えても、
話題になって色々な方がコメントだしてますけど。
私と同じ年齢の人たち、
40~50代の、
リアルタイムで彼の活躍を見て、感じてきたコメンテーターは、
言いたいことがありすぎて、
何から喋っていいのか、まとまりがない……って感じで。
その位、
強い影響力を持って一世を風靡した野球選手でした。
でも、
彼の数ある記録、功績の中で、
最も素晴らしい物を一つだけあげるのなら……
それは『日本野球』の価値を、
丸っきり別次元へと高めたことでしょうか。
日本からメジャーへ渡った野球選手のパイオニアとして、
野茂英雄』選手がいるのですけど。
彼とイチローの決定的な差は、
野茂はパワーで大リーガーをねじ伏せたのですが。
イチローは技術で大リーガーとアメリカ人をうならせ認めさせた、点です。
180cmの身長は、
日本人としては大きな方ですが、
190cm前後が多いメージャーリーガーの中では、
ひときわ小柄に見えます。
そのうえ体脂肪率が6%前後と、
余分な肉が一切そぎ落とされた肉体なので。
単純な力比べなら、
どう見ても勝てそうに見えないのですけど。
ひとたび球場でプレーを始めれば、
そのスピード感溢れるプレーで、
並み居る猛者たちを越えていく……
日本人ならどうしても感じずにはいられない、
海外勢との身体能力の格差、人種としての肉体の限界、
それを越えるために
『柔よく剛を制する』技術を目指すのですが。
その究極を体現した、まさに『今を生きる生身の英雄』でした。
(技術というのは、
(試行錯誤を繰り返して考えて取捨選択を繰り返した結果なんですよね。
(試合後の記者会見でイチローが語っている『頭で考える野球』
(それを具現化した形が、彼の技術だったのですね。
しかも、
今居る場所に安住することをよしとせず、
常に限界を超える努力をひたむきに続けるストイックな精神と行動で。
日本人に、
国境越えた野球を愛する人たちに、
たくさんの夢を見せてくれました。
今までどうもありがとう。




ヤバい……書いてたら泣けてきた……

 

 

 

www.sankei.com

 

 日米での通算安打数が4300安打を超えるなど、巧みなバットコントロールで数々の記録を打ち立てた米大リーグ、マリナーズイチロー外野手(45)=本名・鈴木一朗=が21日の東京ドームでのアスレチックス戦を最後に、第一線を退く意向を球団側に伝えたことが同日、関係者の話で分かった。
 昨年5月、選手登録を外れて球団の会長付特別補佐に就任したイチローはプロ28年目、大リーグ19年目の今年は自身初めてマイナー契約でキャンプインした。オープン戦は打率080、開幕前の実戦は24打席連続無安打と振るわなかった。
 平成4(1992)年、愛知・愛工大名電高からプロ野球オリックスにドラフト4位で入団。3年目の6年には当時のプロ野球記録となるシーズン最多安打(210安打)をマークするなど首位打者を7度獲得した。12年オフにはポスティングシステムを利用して、マリナーズに入団。入団1年目の13年にはア・リーグ首位打者盗塁王を獲得するなど、新人王、最優秀選手(MVP)に輝いた。16年にはシーズン262安打をマークして84年ぶりに大リーグ記録を更新するなどマリナーズの主力選手として活躍した。
 24年のシーズン途中は交換トレードでヤンキースに移籍。27年にはマーリンズに移籍した。28年6月には日米通算4257安打となり、ピート・ローズ氏の通算最多安打数を更新。さらに同年8月には大リーグ史上30人目となる通算3千安打を達成した。
 また、日本代表として2006、09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも出場。09年の韓国との決勝戦では勝ち越し適時打を放つなど、2連覇に貢献した。

 

 

 

www.sankei.com

 

 米大リーグ、マリナーズイチロー外野手が21日、東京都内のホテルで記者会見し、第一線を退く意向を表明した。会見の内容は次の通り。


 「こんなにいるの。びっくりするわ。この遅い時間にお集まりいただきありがとうございます。今日の試合を最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところでしたけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。最後にこのユニホームを着てこの日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るにはあまりにも長い時間だったので、ここで1つ1つ振り返るのは難しい。これまで応援していただいた方々への感謝の思い、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」


>>現役生活に終止符を打つことを決めたタイミングは
 「タイミングはキャンプ終盤です。日本に戻ってくる何日前ですかね。何日前とはっきりお伝えできないけど、終盤に入ったときです。もともと日本でプレーする、東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定であったこともあるんですけど、キャンプ終盤でも結果を出せずにそれを覆すことができなかった」


>>決断に後悔は
 「今日のあの、球場での出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろんもっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、人より頑張ったとはとってもいえないですけど、自分なりに頑張ってきたとははっきり言える。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないことはできないんじゃないかと思います」


>>子供たちにメッセージを
 「野球だけでなくてもいい。始めるものは。自分が熱中できるものを見つけられれば。それを早く見つけてほしい。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも向かっていける。向かうことができると思う。それを見つけられないと壁が出てくると諦めてしまう。自分に向くか向かないかではなく自分が好きなものを見つけてほしい」


>>一番印象に残っているシーンは
 「今日をのぞいてですよね? この後、時間がたてば今日のことが真っ先に浮かぶことは間違いない。いろんな記録に立ち向かってきたけど、そういうものはたいしたことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いていくのはしなくてはいけないことでもあると思う。そのことにそれほど大きな意味はない。そんなように今日の瞬間を体験すると、小さく見えてしまう。その点で、例えばわかりやすい。10年200本続けたこととかオールスターでMVPとかは小さなことに過ぎないと思います。今日のあの舞台に立てたことは、去年の5月以降、試合に出られない状況になって、練習を続けてきたけど、それを最後まで成し遂げられなければ今日の日はなかった。今まで残してきた記録はいずれ誰かが塗り替えていくと思う。去年からの日々はささやかな誇りを生んだ日々だった。どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」


>>最低50歳まで現役ということをいってきたが、日本に戻って現役を続ける気持ちは 「なかったですね。最低50歳までって本当に思っていたし、それはかなわずで有言不実行の男になってしまった。言葉にして表現することが目標に近づく1つの方法だと思う」


>>これまで膨大な時間を野球に費やしてきたが、今後、時間とどう付き合うか?
 「今は分からないですね。明日もトレーニングしていると思う。じっとしていられないので。ゆっくりしたいとかは全然ない。動き回っていると思う」


>>イチロー選手の生き様でファンに伝えられたことは
 「生き様というのは僕にはよく分からないけど、生き方という風に考えれば、先ほども話したように、人より頑張ることはとてもできない。あくまでも量りは自分の中にある。自分なりに量りを使いながらちょっと限界を超えるということを続けていく。少しずつの積み重ねでしか超えていけないと思う。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて続けられない」
 「地道に進むしかない。後退もしながら、あるときは後退しかしないときもあると思う。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない。自分なりに重ねてきたことを、今日の試合後のファンの方の気持ちですよね。それを見たときに、ひょっとしたらそんなところを見てくれていたのかなと思う」

>>現役を終えたら監督や指導者になったりするか。何になるか?
 「何になるんだろうね。カタカナのイチローってどうなんでしょうかね。元カタカナのイチローみたいになるんですかね。書くときどうなるんですかね。どうしようか。監督は絶対無理ですよ。これは絶対が付きます。人望がない。本当に。それぐらいの判断能力は備えているので。プロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁が日本の場合は特殊な形で存在している。今日をもって元イチローになるので、小さな子供なのか中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか分からないですけど、そこには興味がある」


>>今回引退を決意する前に引退を考えたことは?
 「クビになるんじゃないか、はありました。ニューヨークに行ってからは毎日ありました。マイアミも特殊なところ。毎日そんなメンタリティーで過ごしていた」


>>引退の理由は?
 「マリナーズ以外に行く気持ちがなかった。去年シアトルに戻していただいて本当にうれしかった。5月に試合に出られなくなる、あのときもそのタイミングでもおかしくなかった。でも、この春に向けてまだ可能性があると伝えられていたので、そこも自分なりに頑張ってこられた」


>>八回に菊池投手が号泣していた。
 「号泣中の号泣でしたね。それ見てこっちは笑らけましたけどね」


>>米国のファンにメッセージを
 「米国のファンは最初は厳しかった。2001年のキャンプなんかは『日本に帰れ』としょっちゅう言われた。だけど、言葉ではなくて行動で示したときの敬意の示し方は、迫力あるなという印象ですね。なかなか入れてもらえないんですけど、認めてもらった後は凄く近くなる印象。がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができたような、それは僕の勝手な印象ですけど。ニューヨークは、厳しいところでしたね。でも、やればそれこそ、どこよりもどのエリアの人たちよりも熱い思いがある。マイアミはラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないんですけど、でも結果を残さないと絶対、人は来てくれない。それぞれに特色があって面白かったし、それぞれで関係が築けた。米国は広いなと。ファンの人の特徴をみるだけでそういう印象ですね。最後にシアトルのユニホームを着て、セーフコフィールドではもうなくなってしまいましたけど、姿をお見せできなくて申し訳ない思いがあります」


>>特徴的なTシャツの意味は
 「言うと野暮ったくなるから。そういうものでしょ。いちいち説明すると野暮ったい。言うと無粋であるのは間違いない」


>>弓子夫人への気持ちは
 「頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕は米国で3089本のヒットを打ったんですけど、およそ、僕、ゲーム前はホームの時は妻が握ってくれたおにぎりを持って行って食べる。その数が2800くらいある。3000いきたかったみたい。3000個握らせてあげたかったなと思う。妻にはゆっくりしてもらいたいと思う」
 「それと一弓(愛犬)ですね。現在17歳と7カ月。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど、さすがにおじいちゃんになってきて毎日ふらふらなんですけど、懸命に生きている。その姿を見ていると、それは俺、頑張らないとと本当に思った。2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来た。まさか最後まで一緒に、現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、これは大変感慨深い。妻と一弓には感謝の思いしかない」


>>今まで一番考え抜いた決断は?
 「これは順番は付けられない。それぞれが一番。米国でプレーするために、今とは違う形のポスティングシステムだったけど、自分の思いだけではかなわないので、球団の了承がないといけない。球団にいる誰かを口説かないといけない。そのときに、一番に浮かんだのは仰木(彬)監督。その何年か前から米国でプレーしたい気持ちは伝えていた。仰木監督だったらおいしいご飯でお酒飲ませたらうまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって、これがなかったら何にも始まらなかった。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかった。しゃれた人だったと思う。仰木監督から学んだものは計り知れないと思う」


>>一番我慢したものは?
 「難しい質問だなあ。我慢できない人なんです。我慢が苦手で楽なこと楽なことを重ねている感じ。我慢の感覚はない。とにかく体を動かしたくてしょうがない。体を動かすことを我慢することはたくさんあった。それ以外はなるべくストレスがないように行動してきたつもり。家では妻が料理をいろいろ考えて作ってくれる。これがロードに出ると、我慢できないからむちゃくちゃになってしまう。今、聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらない。おかしなこと言ってます?」


>>台湾ではイチローさんのファンがいっぱいいる。伝えたいことは何かないか?
 「チェンが元気か知りたい。チームメートだったから。今のところ行く予定はないけど、以前、行ったことがある。すごく優しい印象でしたね。心が優しかった。いいなあと思いました」


>>菊池(雄星)投手が同じマリナーズに入って大谷(翔平)選手がエンゼルスに入った。後輩たちに託すことは?
 「雄星のデビューの日に引退を迎えたのは、何かいいなあと思っていて、ちゃんとやれよという思い。短い時間でしたけど、すごくいい子で。いろんな選手を見てきたけど、左の先発って変わっている子が多い。天才肌が多いとも言える。米国でも多い。だから、こんなにいい子いるのかなっていう感じです」
 「でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してきたけど、チームはドレスコード、服装のルールがあってジャージのセットがある。雄星に『俺たちどうする?』って。『さすがにジャージはダメだろ』って2人で話していた。キャンプ地をたつバスの中で、みんなジャージのセット。やっぱり日本に着いたときに、『メジャーリーガーがこれはダメだろ』って言っていた。そうしたらまさか日本に着いたときに黒のジャージだった。左投手は変わったヤツが多い。スケール感は出ていた」
 「翔平はちゃんとケガを治して。米国の選手にサイズ的にも劣らない。あのサイズで機敏な動きができるのはいない、それだけで。世界一の選手にならないといけない」


>>野球の魅力
 「団体競技なんですけど、個人競技だというところですかね。それは野球が面白いところ。チームが勝てばそれでいいかといえばそうではなくて、個人でも成績を残さないと生きていけない。その厳しさが面白いところ、魅力なのは間違いない。あと、同じ瞬間がないということ。必ずどの瞬間も違う。これは飽きがこない」


>>イチロー選手がいない野球をどう楽しんだらいいか
 「頭を使わなくてもできる野球になりつつあるような。選手はみんな感じていることだと思う。これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。本来、野球は頭を使わないとできない競技。それがそうじゃなくなってきているのが気持ち悪くて。それに危機感を持っている人はいると思う。日本の野球が米国の野球に追従することなんてまったくなくて、日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい。日本の野球は変わっていけないこと、大切にしないといけないことを大切にしてほしい」


>>プロ野球選手になって成功してきた。得たものはなにか?
 「成功かどうかは分からない。だから成功という言葉は嫌い。新しい世界に挑戦することは大変な勇気だと思う。あえて成功と表現すると、成功すると思うから行く、難しいから行かないというだけなら後悔を生むと思う。やりたいと思えば挑戦すればいい。そのときにどんな結果が出ても後悔はないと思う。やりたいと思ったことに向かっていきたい。(得たものは)こんなものかなあという感覚ですかね。200本はもっと打ちたかったし、最初3年は勝つのはそんなに難しくないと思っていたけど、勝利するのは難しい。この感覚を得たことは大きいかもしれない」


>>神戸に恩返ししたい思いは
 「神戸は特別な街です、僕にとって。恩返しかは。選手として続けることでしかできないと思っていたので、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともある。税金を少しでも払えるように頑張ります」


>>日米の野球への提言は
 「制度に関しては詳しくないけど、日本で基礎を作る、自分が将来、大リーグで活躍するための礎を作るという考えであれば、日本の野球で鍛えられることはたくさんある。制度だけに目を向けるのはフェアではない」


>>日本の野球で鍛えられたのは
 「基礎の動きは大リーグの選手より日本では中学生レベルの方がうまい可能性がある。チームとしての連係もある。それは日本の野球では言わなくてもできる。こちらは個人としての運動能力は高いけど、そこには苦しんで諦めましたよ」


>>エンゼルスの大谷(翔平)選手と対戦がかなわなかったが、対戦したかったか?
 「残念ですけど、できれば僕が投手で翔平が打者がよかった。投げることも打つこともやるのであれば、1シーズンごとに、投手と打者を代えて、それでサイヤング賞と本塁打王を取ったら。それを考えさせるだけで、人とは明らかに違う選手。その2刀流は面白い。それは想像できなくない」


>>野球選手じゃない自分を想像して
 「違う野球選手になってますよ。真剣に草野球をやっている野球選手になっているのではないか」


>>小学生の卒業文集で「一流の野球選手になる」と書いていたが、その当時の自分に今いえることは
 「お前契約金一億円ももらえないよと。ドラ1の1億と掲げていましたけど遠く及ばない。ある意味では挫折ですよね」


>>最初のマリナーズ時代、何度か「孤独を感じてプレーしている」と話していた。その孤独感はずっと感じていたか
 「現在はそれは全くないです。それとは少し違うかもしれないですけど、米国に来て外国人になったこと。米国では僕は外国人ですから。外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、今までなかった自分が出てきた。本を読んだり情報を得ることはできても体験しないと。孤独を感じて苦しんだことは多々あったけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いことしんどいことから逃げたいと思うのは当然なんですけど、エネルギーがある元気なときにそれに立ち向かっていくのは人として重要なのではないかと感じています」


>>(最後に)
 「長い時間ありがとうございました。皆さんも眠いでしょ。じゃあ、そろそろ帰りますか」