数日前に突然届いた訃報、でした。
世間ではあまり大きく取り上げられませんでしたが。
私的には、
けっこうショックだったので。
やはり、
何かしらの記録は残しておきたいな。
と。
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いきなりタイトルに書いてみましたけど。
私のイメージは、
まさにアニメを地で行くような。
そんな方でしたねぇ。
と言っても。
私が生まれたときには、
既に現役を引退していて。
私が見たのは、
監督時代、
そして解説者として。なのですが。
まあなんというか、
今風に表現するのなら
『ビッグマウス』
そこで語られる、
自身の現役時代の姿、成績が、
まさに
『巨人の星』でした。
ただ、
その自慢話を
対戦した相手も認めていた、のが。
やはり
『格が違う』
時代を築いた名選手、という証明なのでしょう。
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実際のところ、
巨人のユニフォームを着て活動した時間は、
現役、監督時代を通じで、
他のチームのユニフォームを着ていた時間に比べると。
はるかに短く。
現役引退後は、
読売巨人ジャイアンツとはあまり関わりがなかったのですけども。
時代的に、
『長島』『王』の二大ヒーローが、
そのまま現役から指導者へと移行して、
読売巨人ジャイアンツの看板として活躍していた時期でしたから。
そこはやはり、
『生え抜き』に押されて。
巨人での指導者としての途はなかったのかなぁ。と。
まあ、
伝説の名選手が必ずしも名伯楽とはならない。
というのは。
よくある話ですし。
ロッテ監督時代、
当時のプロ野球選手として新人だった、
落合選手とやらかしてた話は有名ですし。
指導者としては、
色々と難しかったのかなぁ。
と。
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最近は、
ほとんど表舞台に立つ姿を見かけることがなくりましたが。
実は、
来週の日曜日に予定されていた、
『ドリーム・ベースボール』に。
出場が決まっていました。
試合の後で、
講演会で講師をする予定でした。
これ、
会場がたまたま私の近所だから、
……といっても自転車で出かけないとならないほどの距離なのですが。
たまたま
散歩で遠出した先で
ポスターというか広報を見かけて。
気になっていたのですけども。
そんな風に、
来週の予定がしっかりと組まれていた、ということは。
今回は、
本当に突然の出来事だったのでしょう。とても残念です。
ご冥福をお祈りします。
日本プロ野球(NPB)通算最多勝利記録を持つ在日韓国人2世の投手・金田正一さん=韓国名:金慶弘(キム・ギョンホン)、写真=が6日、死去した。86歳だった。
共同通信など日本の各メディアが6日、金田正一さんが急性胆管炎による敗血症により都内の病院で死去したと報じた。
金田正一さんは1950年に国鉄スワローズに入団して一軍デビューし、1969年に読売ジャイアンツで引退するまで944試合に登板した。日本プロ野球の最高の投手に与えられる沢村賞を3回受賞し、全盛期のころは「(野球の)天皇」とも呼ばれた。
20シーズンプレーし、通算最多勝(400勝)と最多奪三振(4490)、最多完投(365試合)など、日本プロ野球の最多記録を多数打ち立てた。通算防御率は2.34。最多勝と防御率のタイトルは各3回、奪三振も10回1位になった。完全試合は1回、ノーヒットノーランは2回達成した。引退後の1973-78年と1990-91年にはロッテ・オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めた。監督としては471勝468敗72分を記録、1974年にチームを日本シリーズ優勝に導いた。1988年に野球殿堂入りした。
2014年に韓国野球委員会(KBO)のSKワイバーンズが鹿児島内でキャンプをした時に練習場を訪れ、「私は帰化したが、韓国人の血が流れている。自分との戦いを放棄しては駄目だ」と助言した。