果たして、
今を生きる日本の若者が
この方のお名前を知っていますか、どうか。
昭和生まれの私でさえ、
作品として目を通したものは
『なぞの転校生』『ねらわれた学園』『時の旅人』くらいです。
数多ある作品の中の、
わずかにこれだけ。
しかも、
どちらもドラマ化、アニメ化などで
別メディアの原作として取り上げられていて。
私は、
そちらの二次作品から入って原作を当たった始末。
平成に入ってからは、
小説家というよりはエッセー作家として活躍していて。
エッセー風味の短編集である、
『妻に捧げた1778話』
こちらの作品がテレビでも取り上げられたりして、
広く知られていますね。
SFから出発して、
社会問題、時事問題、エッセー、紀行文、下町人情話風味の小話、
などなど……
作家エネルギーの塊みたいな方でした。
闘病中も、
創作活動を続けられ、
最後までペンを離さなかった、のだとか。
怠け者の私には、
その執念がとても羨ましく思えてなりません。
昔風に言えば、
『死ぬのなら畳の上ではなく、戦場で』
という気概なのでしょう。
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それで、
改めて思うのは、
こういう先人の方々が礎となり、
道を切り開いて、
今の『クールジャパン』があるのだという実感です。
本当に。
哀悼の意を捧げます
SF小説「ねらわれた学園」や短編集「妻に捧(ささ)げた1778話」などで知られる作家で、本紙朝刊1面の読者投稿「朝晴れエッセー」の選考委員を務める眉村卓(まゆむら・たく、本名・村上卓児=むらかみ・たくじ)さんが3日午前4時1分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため大阪市内の病院で死去した。85歳だった。通夜は8日午後6時、葬儀・告別式は9日午後0時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、やすらぎ天空館で。喪主は長女、知子(ともこ)さん。
昭和9年、大阪市出身。大阪大学経済学部を卒業後、会社員として勤務する傍らSF同人誌「宇宙塵(じん)」に参加、36年に「下級アイデアマン」が「SFマガジン」の「空想科学小説コンテスト(現ハヤカワSFコンテスト)」に佳作入選し、デビュー。40年から専業作家となり、54年に「消滅の光輪」で泉鏡花文学賞と星雲賞を受賞した。
SF作品にとどまらず、短編やエッセー、中学生向けのジュブナイル小説など多数の作品を発表。「なぞの転校生」「ねらわれた学園」はテレビドラマや映画にもなった。平成16年にはがんで闘病中だった妻にむけて書いた短編集を「妻に捧げた1778話」として出版。ベストセラーとなり、映画化もされた。
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18年からは、夕刊1面(大阪本社発行)の読者投稿「夕焼けエッセー」の選考委員に。今年4月に朝刊掲載に移行してからも、すべての掲載作品に目を通し選考を続けていた。
眉村さんは24年に食道がんを患い、30年にはリンパ節転移の再発で放射線治療を受けていた。
家族によると先月8日に体調を崩し入院。入院中も「朝晴れエッセー」を読み、最後までベッドの上で執筆に取り組んでいたという。
私も、
そろそろ50歳。
『天命を知る』歳に至るわけですけど。
未だに迷ってばかりで。
それで
果たしてこれから先に何を残せるのか。