kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

池上彰も地に落ちた ―― 信じられない萩生田発言 池上彰さん「報じぬ記者鈍い」

いや、
化けの皮が剥がれて。馬脚を現した、と。
言うべきですかねぇ。
この人の場合。
最近、
言葉の『揚げ足取り』ばかりで。
本質を理解してない、
ウケ狙いの発言が目立ってきたなぁ。
と。
私的に感じてましたけど。
今回
そういう記事を見つけたので、
ブックマークを貼ってみました。



まあ、
教育に関して
的外れな記事ばかり書いてる朝日新聞の記事を
読んで、
それを下敷きに批評しているので。
元から
的外れな情報を鵜呑みにして
きちんと考えもせずに批評したら。
トンチンカンな主張になるのは当然の結果なんですけどね。
でも、
ここまで朝日新聞にオベッカ使って。
金に困ってるのか。
仕事に困ってるのか。
その両方か。
そういう理由でも無ければ、
もう少しまともな記事批判が出てきそうですけど。



実際のところ、
制度変更で前の基準からはみ出す人が出てくるのは、
当然の成り行きです。
基準が変わるわけですから。
そこで大事なのは、
基準からはみ出した人が
政府支援に値する人かどうか、です。
基準を変更した、
ということは。
変更するべき何かしらの必然があったから、
変えたわけで。
単に、
支援対象を増やしていくだけなら、
単なる
『バラマキ』になってしまいます。
ちなみに池上彰の主張は『バラマキ万歳!もっとやれやれ!!』です。
支援基準内容に関係なく支援するのが絶対正しい、的な主張ですから。
……だって池上彰の主張は基準の正否について一言も触れません。
問題なのは、
社会的な公正の観点から(ここで『公平』と主張する人はだいたい『悪平等』主張)、
基準が適切であるかどうか。
つまりこの問題で大事なのは、
『そもそも支援を貰っていた人は
 本当に支援が必要だったのか?』
ここなんです。
収入基準で判定しているのに、
そこで引っかからないで支援からこぼれた人たち、って。
本来、支援必要ないほど経済的に裕福だけど、
お金が貰えていた人達ではないのか?
それとも、
単に、
収入判定だけでは
基準として不足しているのでは無いか? 支援すべき人を網羅出来ないのでは?
という、
判定基準の適正ついてが、
問題として取り上げられるべき点なのです。
でも、
朝日新聞が問題しているのは、
この基準内容についてではなくて。
制度の移行ついて述べた
萩生田発言で、
前の基準では支援が受けられた家庭環境でも。
新しい基準では『お金持ち』と判断されて、
支援が受けなくなる事だってあるでしょう。
この現実がおかしい、と言ってる。のが朝日新聞の主張なのです。
でもさ。社会保障の分野では、
現実に支払い能力がある老人世代への負担を
政府はどんどん増えています。
そうしなければ、
制度自体が破綻してしまうのが明らかだからです。
大事なのはこの点です。
『維持可能な制度設計』
であり。
『支払い能力のある人には負担してもらい
 無い人たちをできるだけ支援する』
で、
朝日新聞が取り上げている萩生田発言には、
貧困層』を切って捨てるような内容は在りません。
前の基準では貧困と見なされても、
新しい基準では貧困と見なされなくなる、事がある。
それは
制度変更上あり得る自体なので。
そこはご了承下さい。
と言ってるわけです。
問題なのは、
その基準が適切かどうか、なのにね。
しかし、
萩生田発言はそこには触れていません。
具体的な基準に関するビジョンについては発言していない。
他の新聞社『毎日新聞』や『読売新聞』が
この萩生田発言を取り上げなかったのは、
その言葉だけを切り取って取り上げる価値がないからです。
基準内容について、
一切振れてませんから。
それが
『良い』とも『悪い』とも
判断付けられないわけです。だから取り上げる価値なし、と見なした。
なのに、
朝日新聞は、
この『支援対象を判定する基準』については記事せずに。
取り上げてないのに。
取り上げたのは
まったく問題の本質から外れた
『萩生田発言』のみです。


しかし……前に他の記事でも朝日新聞の取り上げ方を批判しましたが。
朝日新聞、地に落ちたなぁ。
私の
学生時代、
今から30年くらい前、
その頃の
朝日新聞の記事は、
物事の『本質』をついた、
時流の核心を判りやすく解説した記事を掲載していて。
読んでいて、
『なるほど』と感心させられたものですけど。
それが今では、
丸っきりの的はずれで。
発言・言葉の揚げ足取りしか出来ない、
掲載するのは
そんな記事ばかり、とか。
しかも。
これで『有料記事』ですよ。有料記事で的外れ内容の自画自賛、とか。
こんな
中身の無い的外れな記事に金払う人、いないだろ。
ってか、金払って的外れた自画自賛読まされて激怒するわ。
朝日新聞は、これでいいのか……?
かつての一読者として、
暗澹たる気持ちになります。

 

 

 

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大学入試に民間の英語試験を利用する案は、萩生田光一文科相の「身の丈発言」で潰れましたが、萩生田大臣は、またも問題発言をしています。朝日新聞12月24日付朝刊の34面に、次の記事が出ていました。
 〈来年度から大学など高等教育の学費負担を減らす文部科学省の新制度で、従来なら支援を受けられたのに対象外となる新入生が出ることについて、萩生田光一文科相は23日、「先輩はこういう家庭環境でこうだったのに、俺はという不満はあるかもしれない」とした上で、そうした学生が出ることに対し、「制度の端境期なので、ぜひご理解を」などと述べた。文科省によると、対象外となる新入生は国立大だけで約5千人になる見込み〉 これは由々しきことです。制度を変えることで支援を受けられない新入生が出ることは、制度設計の欠陥と言うべきでしょう。
 官僚が制度設計をした結果、対象外の学生が出ることが明らかになったら、政治家の出番でしょう。政治主導で救済策を考えるべきなのに、政治家が自ら「端境期なので、ぜひご理解を」とは、なんたること。弱い立場の人への思いやりが感じられません。これでは、「身の丈に合わせて」という発言と大差ないではありませんか。子どもたちに教育の機会均等を保障すべき文部科学省のトップの発言とは信じられません。「身の丈発言」がなぜ批判されたのか、その意味がわかっていないのではありませんか。
 こんな重大な問題発言をしたのに、朝日のほかは日経新聞が24日の夕刊10面に小さく載せただけで、読売新聞や毎日新聞は、この萩生田発言を報じていません。これはどういうことか。他の新聞記者たちは、この発言の重大さにすぐに気づかなかったのでしょうか。気づかなかったのならば、記者たちの感性の鈍さに驚くしかありません。
 その点、朝日の記者は問題を感じたのですぐに記事にしたのでしょう。その点で高く評価しますが、これだけの問題発言なのに、その後の続報がないのは、ちょっとがっかりです。
 朝日の記事を朝刊で読んだ後、同日の毎日新聞夕刊2面の「あした元気になあれ」というコラムに、こんな記事を見つけました。
 〈フィンランドで世界最年少の女性首相が誕生した。サンナ・マリーンさん、34歳。1児の母。新内閣の閣僚は女性が12人、男性7人。しかも連立政権に参加する他の4党の党首は全員女性という〉
 〈もっとも、私が今回、マリーン首相誕生のニュースで一番心を動かされたのは、その若さでも性別でもない。彼女の経歴だ。
 幼い頃に父親のアルコール依存が原因で両親が離婚。貧困を経験した。本人が「レインボーファミリー育ち」と語るように、その後、母親とその女性パートナーに育てられた。中学までの成績は振るわなかったが、高校や自治体の運営する施設で自分の居場所や仲間を見つけ、親族の中で初めて大学進学を果たした。「私を救ってくれたのは福祉制度と学校の先生」と政治家の道を志したという〉
 フィンランドは幼稚園から大学まで学費が無料。だから貧困の中からでも大学進学のチャンスがあり、首相までの道が開けます。コラムの記者は、こう文章を続けます。
 〈ため息が出た。今の日本でこの人生は可能だろうか。ひとり親世帯の貧困率が5割を超え、生活保護世帯や養護施設出身者の大学進学率は極端に低く、文部科学相が教育機会を語るのに「身の丈」などという言葉を持ち出す国なのだ〉
 全くの同感です。制度改革の狭間(はざま)で不利益を被る学生たちに対し、「端境期」という言葉を持ち出す大臣の神経を疑います。
 国連の国別幸福度調査でフィンランドは2年連続の首位であるのに対して、日本の幸福度は世界58位。その理由が、これでわかろうというものです。子どもたちへの愛情が感じられない大臣と、感性の鈍い記者たち。これでは少子化を食い止めることができないではありませんか。

それともアレなのかなぁ。
朝日新聞の読者は、
内容はどうでもいいから
『政権叩き』の記事が読みたい。
と。
そういう人ばかりで。
朝日新聞は、
そんな読者ニーズに応えた紙面作りをしている。
と。
それはそれでアリだと思うけど。
それだと、
多分、
実売10万部くらいでしょ。
週刊誌並のコンセプトだから。
読者数も、
そういう週刊誌読者程度に落ちる、と思うけど。