さてさて、
主要国の国民が
武漢から避難、脱出する事態が進行している中で。
韓国のメディアが
現地取材レポートを掲載してましたので、
記事にブックマークを付けてみました。
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というか、
これ取材じゃなくて、
ただの迷惑行為ですよね(藁
記事として掲載されてますけど。
現地・武漢に韓国人記者が潜入取材、
予定終了後、武漢から北京へ移動しようとした矢先に、
北京政府から『武漢封鎖令』が発令されたので、
慌てて
車で武漢を脱出。
検問を忌避して、
道路を外れ、
道なき道を踏破して、武漢から脱出するとか。
いやそれ、
限りなく犯罪だから。
検問を受けて、通過するか。
もしくは、
大使館に連絡をとって、便宜を図ってもらい、
政府調達の車で当地から出る、とか。
これが
正しい在り方ですよ。
それを『検問破りしました』って自慢げに書くとか。
犯罪すれすれグレー行為を
さも当然のように書いた記事を
掲載するとはなぁ……
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こういう記事は、
パパラッチ御用達のタブロイド紙とか。
雑誌に載せるのなら、
分かるのですけどね。
今の時点で、
国を代表するメディアの紙面に掲載するのには、
適してないと思いますけど。
取材して現地人から聞いた情報、
っていうのならアリですが。
記者当人が、
他国で
不法行為スレスレはアウトでしょ。
「申し訳ありません。ご予約の1月25日の武漢-北京便が公共安全上の原因により取り消しとなりました。キャンセルや期間の変更をご希望の場合は…」
23日午後5時、中国南方航空が送ってきたテキストメッセージを受け取って実感した。この都市に閉じ込められたことを。
新型コロナウイルスが突然拡散しているという知らせを聞いて武漢に到着したのは22日の朝だった。25日には武漢を出発する予定だった。ところが、武漢市防疫指揮本部は23日未明、「午前10時から公共交通機関を停止し、飛行機・電車を利用して武漢を離れることができなくなる」と電撃的に発表した。
それでも当初はそれほど心配していなかった。この日、駅やバスターミナル前に出て取材している間も、「駄目なら車で行こう」と思っていた。記者が行った武漢市の中心地区・江漢区のあるスーパーマーケットでは野菜コーナーに所々空いたスペースがあったが、買い占めと言うべきほどの混乱状況はなかった。だが、時間が経つにつれて不安が膨らんできた。ホテル側が宿泊延長を拒否したため、泊まる所も問題だった。滞在期間中でも、ホテルの入り口で体温を測り、37.5℃を超えたら部屋から出ていかなければならないと言われた。
昼過ぎになると、中国国営テレビ局の中国中央テレビ(CCTV)が「武漢市交通当局は同市にある主な高速道路の出入口を閉鎖している」と報道した。武漢総領事館側は「一般道路は通行が可能だが、いつ閉鎖されるか分からない」と言い、ホテルのスタッフは「既に一般道路も閉鎖されている」と言った。漢口駅の近くで会った警察官は「時間が経つほど出るのが難しくなるだろう」と語った。
日が落ちてくると、春節(中国の旧正月)期間中、一日13万人が利用する漢口駅周辺も人影が消えた。手遅れになる前にでていかなければという気持ちからタクシーを呼んだ。約30分待った末、やっと1台来た。
「宜昌に行ってください」。武漢から西に300キロメートル離れた宜昌市まで行ってほしいという言葉に、マスクをした運転手のリンさんは戸惑った様子を見せ、「出られるかどうか分からない」と言った。携帯電話の地図アプリをつけると、武漢周辺道路には「通行禁止」の表示が20件近く出た。
閉鎖された高速道路を避けて西に走った。車2台が通るのがやっとの道もヘッドライトをつけた乗用車やトラック数十台が行列していた。記者のように封鎖令をかいくぐって武漢から出ようとしている行列だった。
闇を突き抜けて1時間ほど走ったころ、前の車が一斉に止まった。約50メートル先の検問所では、警察官と防疫服を着た人々が車に停止するように言っていた。武漢が故郷の運転手リンさんは携帯電話のメッセージ・アプリで運転手仲間たちに助けを求めた。工事中の道路を含めて未舗装道路を走ったが、3回も行き止まりになっていて車を引き返した。地図にない高架の下の道路に入ったことで、記者が乗った車は検問所を迂回(うかい)して通り抜けることに成功した。記者が乗ったタクシーと一緒に車数十台が武漢から脱出した。
リンさんは宜昌まで約300キロメートルを走ったが、給油を除いて一度も車を止めず、「道路状況がどうなるか分からないから、できるだけ早く戻らなければならない」と言った。武漢市は24日に同市内のタクシー運行を制限し、26日からは許可を受けた車以外、すべての車の市内中心部における運行を禁止した。
パク・スチャン特派員