kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

またか、と思ったり(笑 ―― 札幌・ススキノラフィラが閉店 6月に解体、新複合ビル建設へ

新型コロナ肺炎のニュースを探していたら、
懐かしい名前を見かけたので。
記事にブックマークを付けてみました。



ススキノの名物ビル、というか。
『ラフィラ』が
5月17日に閉店したことを報じている記事です。
といっても、
道産子ならともかく、
本州人には、いったい何がなんだか。
って内容だとは思いますが。
ビルに入っている
テナントデパート、スーパーマーケットなどの
事業者は、
これまで、
松坂屋』→『ヨークマツザカヤ』→
ロビンソン百貨店』→『ススキノラフィラ』と
変遷して改装を繰り返していますので。
『ススキノラフィラ』とか
言われても。
ほとんどの人は思い当たる物がない、と
思います。
でも。
ススキノ・ニッカ看板が展示されているビルの、
通り向かいのビル……
と言えば。
大抵の人は、
なにかの機会にススキノを紹介している映像、写真で
見た事があると思います(笑



立地としては、
まさにススキノを代表する一等地で。
路面電車が走る大通りに面して。
地下階は地下鉄駅とも直結して、
最高の条件なんですけど……ねぇ。
お客が全然入らない、という。
これ、
一つには、
JR札幌駅周辺の土地開発で、
大規模量販店、デパートなどを利用する客が
JR札幌駅に集中してしまい、
人の流れが完全に変わってしまった、
という。
2000年代の
札幌デパート戦争みたいな、
壮絶な百貨店生き残り競争があって。
その時点で、
大通りからススキノでは
買い物客が激減しました。
その結果。
狸小路周辺の
中規模量販店が軒並み閉店して。
その中で、
このお店だけが
ススキノで
唯一生き残っていた、
というか。
何度も潰れて、
そのたびに地元住民の要望で、
新たな経営者に引き継がれて、
ススキノ周辺の生活者を支える販売店、雑貨店として
営業を再開させられてきた、
と。
そういうお店です。ここ。
なにせ、
建物の基本設計、間取りが1970年代設計なので。
今の感覚からすると
デパートみたいな
テナント販売を主力にする複合商業施設として手狭なんですよね。
通り側からみると、
かなり大きく、広く感じるのですけど。
中に入って見ると、
裏側への奥行きがなくて、
物凄く細長く狭い。
地下2階、地上8階で。
商業施設面積, 27,102m2。
一方の、
JR札幌駅前の、
大丸・松坂屋の売場面積が45,000㎡ですから。
広さが倍くらい違います(笑
当然、テナント数も品揃えも、まったく勝負にならない、という。
だから今では、
このお店を利用するのは周辺住人が必要な日用品を買いに訪れるくらい、
でした。
ただ、
裏を返すと。
いまだにここを買い物拠点にしている、
地元住人が一定数存在しているのも事実。
このお店がなくなると、
大量の買い物難民が発生してしまう、
という。
行政としても、
ちょっと困った状況になるのですよねぇ。
なので、
何度も潰れながらも、
その都度、
事業者を入れ替えて。
営業を再開してきた、という。
そして、
今度も
同じように
中身を入れ替えて営業を再開するのでしょうねぇ。



と思っていたら。
今度は
ビルを解体、一から建て直して一新するのだとか。
これまではとは
ちょっと違った展開になっています。
いったいどうなるのかなぁ。。

 

 

 

mainichi.jp

 

札幌・ススキノラフィラが閉店 6月に解体、新複合ビル建設へ

札幌市中央区のススキノで長らく市民に親しまれた商業施設「ススキノラフィラ」が17日、閉店した。新型コロナウイルス感染拡大の影響などでスーパーや衣料品店、飲食店など約120店舗のうち半数近くが休業し、外出自粛要請も続く中、最終日は午前10時の開店から多くの客が訪れた。老朽化した現在のビルは建て替えられ、6月中旬にも解体が始まる。代わりに2023年の開業を目指し、商業施設などが入る複合ビルが建設される予定。
 運営会社「ススキノ十字街ビル」によると、現在のビルは地上8階、地下3階。札幌松坂屋として1974年に開業し、ヨークマツザカヤ、ロビンソン百貨店と名称を変え、2009年に現在の店名となった。市営地下鉄すすきの駅とつながる地下入り口付近は「ロビ地下」の愛称で待ち合わせ場所として有名だった。
 ススキノで居酒屋を営む立崎有希さん(47)は「食材の買い足しに利用させてもらった。優しくしてくれた店員さんにありがとうと伝えたい」と惜しんだ。
 ビル開業以来46年間、テナントに入る宝飾店「ジュエリーサロントムトム」の店長、岡崎頼子さん(83)は「お客さんが会いに来てくれるから今まで元気に店に立ち続けることができた。感謝の気持ちでいっぱい」と話した。
 当初予定していた閉店セレモニーは感染防止のため中止されたが、午後8時過ぎに1階のシャッターが下りるのに合わせ、従業員らが客らを見送った。


道内最大の繁華街で「待ち合わせの目印」に
 「ススキノラフィラ」はススキノ中心部の交差点に面し、1974年に札幌松坂屋として開店して以来、待ち合わせの目印として地域に親しまれてきた。建て替えが決まっており、札幌市民からは四十数年にわたって道内最大の繁華街の移り変わりを見守ってきた存在を惜しむ声が上がった。
 「ススキノの変遷とともに名前や入居店舗も変わっていった。時代に翻弄(ほんろう)されたビルだった」。タウン情報誌編集長を経て、札幌の飲食店ガイドなどを発行する亜璃西(ありす)社(札幌市中央区)の和田由美社長(70)は振り返る。72年札幌冬季五輪から程なくして、ススキノにひしめいていた小さな飲食店などの立ち退いた跡に開店した。大理石で飾られるなど重厚で豪華なインテリアで、大規模な駐車場も備わっていた。「当時のススキノで高級感のある百貨店ができたことは画期的。当時のにぎわいは札幌地下街がオープンした時に並ぶほどだった」と懐かしむ。
 高級志向も長くは続かず、名前を変えるたびに庶民的な店舗が増えた。今ではスーパーマーケットや100円ショップが入居し、スーパーが乏しいススキノで食料品を手に入れられる、貴重な庶民の砦(とりで)に姿を変えた。付近の住民や夜の街で飲食業を営む人たちが利用し、ススキノ近くに事務所を構える和田社長は「会社の忘年会の買い出しで使ったこともある。品ぞろえも豊富だったので、私も含めてなくなると困る人は多いはず」と話す。
 「ススキノの交差点は(東京・渋谷の)スクランブル交差点のようなもの」。テレビに映るとき、必ずラフィラも映り、象徴的な存在であり続けた。和田社長は「なくなる空白は大きい。次にどんなビルが建つかはわからないけれど、風景も一変するだろう」と語った。