こちらも
ほぼ予想通りの展開、というかw
期待を裏切らない迷走ぶりですねぇ(笑
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日課にしている
新型コロナ肺炎の感染状況チェック。
韓国の報告を見ていますと、
昨日
新たに確認された感染者は
51人だったそうで。
再び
一日の報告数が
50人台に到達しました。
これは
先月29日に、
物流倉庫で集団感染が発覚したときの
報告数58人、以来。
8日ぶり、
なのだとか。
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このまま、
日々の感染者報告数の
50人越えが定着するのか、
それは
もう少し時間をおいて見てみないと
判断できませんけど。
先週の報告と比べて、
一段と
感染拡大が進んでいるのは
間違いありません。
先日、
これまでノーマークだった
訪問販売でのセミナーにおいて
集団感染の発生が確認されていますし。
それまで
感染が確認されていない業種から
感染報告が出ている事実を見ても、
ジリジリと
感染領域が拡大しているのが判ります。
さらには、
首都圏に限定集中していた
感染報告が
地方へも拡散し始めているそうで。
こうなると、
全国的な蔓延が報告された
日本の3月下旬から4月上旬の推移に
酷似してきているでしょうか。
オーバーシュート一歩手前の
『予兆』です。
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ところで、
昨日
新たに確認された感染者が51人だった、
ということで。
感染拡大抑止の基準、目安とされた
『一日の報告数が50人未満』を越えて
いるのですが。
韓国政府は
今のところ
この現状を改善するための
感染拡大抑止対策を
何も打ち出していません。
アナウスンもありませんし。
具体的な対策として
検査を呼びかけているだけ……という。
狂気の文オジサンは、
感染対策そっちのけで、
記念日セレモニーに出席しています(笑
どうやら、
『K防疫は世界一ィィィッ!』
と
ホルホル出来なくなったので。
ホルホルできる
記念式典への出席を選んだようです(藁
本当に
ヤル気無しですね。
こうなると、
6月中のオーバーシュートもあり得るかなぁ(嗤
韓国、一日のコロナ新規感染者が50人台に…地域感染が急増
疾病管理本部中央防疫対策本部によると、6日0時基準で累計感染者数は前日より51人増えた。地域で発生した感染事例が43件、海外流入事例が8件だ。新規感染者が50人台となったのは、先月29日に京畿道富川(キョンギド・プチョン)クーパン物流センター発の感染者58人が発生して以来8日ぶり。富川クーパン物流センター→仁川(インチョン)開拓教会→ソウル冠岳区(クァンアクク)リッチウェイ発感染が相次いで発生し、拡大が続いているからだ。
この日の新規感染者51人のうち、ソウル冠岳区(クァナクク)の健康用品連鎖販売店「リッチウェイ」関連の感染者が34人を占めた。リッチウェイ関連の感染者は4日まで10人だったが、5日に24人に、6日には34人に増えた。
中央災難安全対策本部によると、感染者34人のうち73%の25人は60-80代の高齢者。高齢者は新型コロナの高リスク群であり、防疫当局は緊張している。中央災難安全対策本部の関係者は「5月21日-6月3日にソウル冠岳区始興大路(シフンデロ)ソクチョンビル8階(リッチウェイ)を訪問した人は症状の有無に関係なく診断検査を受けてほしい」と呼びかけた。
これで韓国国内の累計感染者数は1万1719人となった。隔離解除者は25人増え、計1万531人となった。隔離中の患者は915人で、死者は273人のまま。
中央災難安全対策本部の金剛立(キム・ガンリプ)第1総括調整官(保健福祉部次官)はこの日、政府ソウル庁舎で開いた会議で「首都圏の感染が年配の方が多い宗教の小規模な集いや未登録訪問販売業者につながっている」とし「防疫当局は訪問販売業者のように感染に脆弱な死角地帯を先制的に点検する」と述べた。
文大統領が顕忠日追悼式に出席 朝鮮戦争参戦者らと入場
【ソウル聯合ニュース】国を守るため犠牲になった人々を追悼する「顕忠日」の6日、韓国中部・大田市にある国立墓地、国立大田顕忠院で営まれた追悼式に文在寅(ムン・ジェイン)大統領が出席し、犠牲者の冥福を祈った。
今年の追悼式はソウル市内の国立ソウル顕忠院で行われる予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で首都圏の防疫が強化されたことを受け、場所を大田に変更した。青瓦台(大統領府)の姜珉碩(カン・ミンソク)報道官は、文大統領が自ら変更を決定したと説明した。
文大統領は2017年5月の就任後、毎年追悼式に出席している。
「大韓民国の名であなたを記憶します」をテーマに開かれたこの日の式典で、文大統領は朝鮮戦争参戦兵をはじめ、独立有功者、民主有功者、新型コロナウイルスの対応に当たる中で殉職した公務員の遺族と共に会場に入場した。
国のために献身した犠牲者の中には、朝鮮戦争の「長沙上陸作戦」に参加した兵士も含まれる。長沙上陸作戦は、国連軍による仁川上陸作戦の前日である1950年9月14日、慶尚北道盈徳郡長沙里で行われた陽動作戦で、多くの学徒兵が動員された。
このほか、独立運動家で詩人の李陸史(イ・ユクサ)の遺族や李承晩(イ・スンマン)政権を崩壊させた60年の四月革命(4・19革命)の引き金となった馬山3・15義挙の犠牲者の遺族なども出席した。