昨日、
飛び込んできた訃報。
私は、
お名前を知るくらいの
ほとんど関わりがないの者ですが。
謹んでお悔やみ申し上げます。
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40年もの間、
拉致された娘を思い続けて、
被害回復のために
運動を続ける、とか。
私の経験では、
ちょっと想像がつきません。
我が身に
置き換えて
考えてみると。
50年近く生きてきた
人生を
一つ事に打ち込む、とか。
理解の範疇を
遙かに超えていて。
そこまで
一つ処に執着できるかどうか。
また、
裏を返して
逆から見れば。
そこまで
一つ処にとどまるように追い詰められてしまった、
彼の人の人生とは、
いかなるものだったのか。
そういう
過酷な現実に対して
私に
何が出来ることはあったのか。無かったのか。
最善、
次善…、
いったい
何が
最適解だったのか。
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色々と
考えさせられてしまいました……
多分、
この一事は
この先
日本国民の中に
永久に消えない『棘』として残り続けるのでしょう。
北朝鮮が
何を言ってどう誤魔化しても。
事実は消えません。
横田めぐみさんの父、滋さん死去 初代家族会代表
昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、拉致被害者家族会の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳。
平成9年2月、めぐみさんが北朝鮮に拉致された疑いが産経新聞などで報じられ、国会でも取り上げられると翌3月、日本各地の被害者家族とともに家族会を結成し代表に就任。妻の早紀江さん(84)と全国1300カ所以上で講演し被害者奪還を訴える署名活動などにも尽力、救出運動の象徴的存在になった。
19年9月に胆嚢(たんのう)の摘出手術を受け、体調不良や高齢による体力面の不安から同11月に家族会代表を退任。その後も、早紀江さんらとともに救出活動に積極的に取り組んでいたが、自身のけがや、体調不良から講演などは減少していた。30年4月にはパーキンソン症候群のため入院し、リハビリに取り組んでいた。
徳島県で生まれ、北海道で育った。昭和39年10月、早紀江さんとの間に長女のめぐみさんが誕生した。日本銀行新潟支店に赴任していた52年11月15日、中学1年だっためぐみさんが帰宅途中に失踪。約20年後の平成9年1月、亡命した北朝鮮工作員の証言などから、北朝鮮による拉致が確実視されるようになった。
北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談でめぐみさんの安否について「死亡」と説明したが提供資料などには嘘や矛盾が数多く発覚。16年に「遺骨」として提供してきた骨も、DNA型鑑定で別人のものと判明し、日本政府は北朝鮮に被害者の帰国を求め続けている。