人は永遠には生きられないので。
いつかは、
往くべき所へ行くことになるのですけど。
理屈として判っていても、
現実を突きつけられると
やはり
ツライ物ですね。
・
・
・
とくに
最近は
私もそれなりの年齢になってきて。
『癌』という病気を
いやでも意識せざる得なくなりましたので。
それに関連して
亡くなられた方の訃報を見るたびに、
色々と
考えさせられてしまいます。
社会的な地位があり
存分な財産もあって、
最先端の治療を十分以上に受けられる人でも、
治癒することは
なかなか難しいとか。
それなら、
そこにも届かない
凡人の私では
どうなるのか。
この後、
残りの時間でいったい何が出来るのか。
何をしたらいいのか。
とかとか。
10年前は
こんなこと
考えもしなかったのですけど。
・
・
・
この方がデザインした
ジャケットとかシャツとか、
には
色々とお世話になりました。
お悔やみ申し上げます。
ファッションデザイナーの山本寛斎さん死去
ファッションデザイナーやイベントプロデューサーとして活躍した山本寛斎(やまもと・かんさい)氏が21日、死去した。76歳。今年3月、急性骨髄性白血病であることを公表していた。
昭和19年、横浜市生まれ。大学を中退し、デザイナーのコシノジュンコさんのアトリエに弟子入りした後、独立。46(1971)年に英・ロンドンで日本人として初めてファッションショーを開く。歌舞伎の技法を盛り込んだショーは話題となり、これがきっかけで世界的なミュージシャン、デビッド・ボウイのステージ衣装を手がける。仏・パリや米・ニューヨークのコレクションでは既成概念を崩す作品を発表、世界中の都市に店舗を構えた。
平成5(1993)年からはファッションに限定しないイベントのプロデューサーとして活躍。海外での屋外イベントや17年の愛知万博の開幕イベント、20年のG8洞爺湖サミットの会場・社交行事の総合プロデュースなどを手がけた。東日本大震災や熊本地震などの復興にも尽力した。
山本さんは今年3月、自身の公式インスタグラムで、急性骨髄性白血病の治療中であることを明かし、「今回のことも新たな挑戦と捉え、前向きに治療に励んでおります」などとつづっていた。
女優の山本未来さんは二女。