kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔やみ申し上げます ―― 作曲家、筒美京平さん死去

正直、
訃報を聞かされたとき、
誰のことなのか、
どんな人なのか、
全然判りませんでした。
ただ、
ニュースで
この方の業績……というか、
作曲された曲名が読み上げられるのを聞いて。
そのどれもが、
どこかで聞いたことのある曲ばかり。
とくに
昭和歌謡曲、
その中でも『アイドル歌謡』と言われる曲も
かなりの数を作曲されていたそうで。
その中のいくつかは、
私も
レコードを買ったり。
歌ってみたり。
とかとか
他の作品の
タイトルも調べていくと、
なじみのあるものばかり。
これまで
お名前は存じ上げませんでしたが、
この方の作品は
私の生活の一部、
として。
身近に存在していたのを知って
大変驚きました。
そして、
少し遅れて
そんな方が亡くなられた事実を知り、
二度目のビックリ。



先に
高田賢三さんの訃報に接した時も
同じ具合でしたが、
かつて自分の生活の一部だった物や文化を
提供してくれた方々の
訃報に接するたびに。
時の流れ、というか。
一つの時代の終わり、移り変わり、みたいなものが
問答無用で
目の前に突きつけられるようで。
まったく
面識も無いのに
しんみり寂しくなってしまいます。
こういう事を考える、
ってのは。
やっぱり
それだけ私が年をとった、のですかねぇ。

 

 

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作曲家、筒美京平さん死去 昭和歌謡を代表「また逢う日まで

 「また逢う日まで」「魅せられて」「サザエさん」など、日本中で親しまれる数々の名曲を手がけ、昭和の歌謡曲黄金期を支えた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名・渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんが7日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。80歳。葬儀は近親者で行った。喪主は妻、善子(よしこ)さん。
 昭和15年、東京都生まれ。大学卒業後、大手レコード会社の日本グラモフォンで勤務。そのかたわら、作曲家のすぎやまこういちさんに師事して作曲や編曲を学び、作曲家としてデビューした。
 グループサウンズ(GS)のバンド、ヴィレッジ・シンガーズに提供した「バラ色の雲」(42年)がヒット。その後も人気曲を連発し、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、南沙織さんの「17才」、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」など現在まで親しまれる作品を生み出した。
 洋楽を基調にした洗練されたメロディーは高く評価され、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」は日本レコード大賞に輝いた。
 手がけた作品数は3千曲ともいわれる。郷ひろみさんの「男の子女の子」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる~す」、松本伊代さんの「センチメンタル・ジャーニー」、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」、少年隊の「仮面舞踏会」などアイドルの楽曲も多く、いずれも大ヒットした。「サザエさん」など、小さな子供にも親しまれるアニメ主題歌も手掛け、その音楽ジャンルの幅広さでも知られた。
 21世紀に入っても、アイドルグループ、TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」(平成15年)がヒットチャートの1位になるなど存在感を示し、同年に紫綬褒章を受章した。
 表舞台に出ることを好まず、メディアにはめったに登場しなかった。希代のヒットメーカーの素顔を知る人は少なく、生涯、職業作曲家の立場を貫いた。近年はパーキンソン病を患っていたという。

 編曲家、船山基紀(ふなやま・もとき)さんの話「日本の音楽界にとって、大きな方を失った。新しいものを真っ先に取り入れ、人の心をつかむメロディーやサウンドを生み出していた。輸入盤のレコードを独自にいち早く入手して聴いて勉強して、常に最先端を走っていた。(欧米で)ファンクやユーロビートがはやれば、それをヒントにして京平メロディーが生まれていた。全てヒット曲だった」