20代だったか30代の頃に、
この方が興したブランドの眼鏡、使ってましたw
銀縁の
いわゆる『オッサン眼鏡』。
いかにもって感じの安定感で。
丸くて、
定番っぽいデザイン。
『レイバン』みたいな細くてシャープなデザインが
普段使いの丸く安定した形にリファインされていて。
どこが
ピエール・カルダンなんだ。ってデザインですけど。
定番のデザインを
何の衒いも無く、
堂々とブランドの名前をつけて出してくる、
ってのが。
大ブランドの度量というか。
強みなんでしょうねぇ。
使い勝手が良くて、
重宝していたのですけど。
勝手が良すぎて、
体の下敷きにして潰してしまいました(泣
あれは
残念な事をしたなぁ。
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久しぶりに
お名前を拝見して。
懐かしく昔を思い出したり。
我ながら、
年を取ったなぁ。としみじみ。
オッサンは、
こういう時に
自分の年を感じてしまいますねぇ。
モード界の革命児、ピエール・カルダンさん死去…AFP通信
【パリ=山田真也】AFP通信によると、モード界の革命児と呼ばれたフランスのファッションデザイナー、ピエール・カルダンさんが29日、パリ近郊の病院で死去した。家族の話として報じた。98歳だった。
イタリア北部ベネト州で生まれ、2歳の時に家族とフランスに移った。10代で仕立屋に弟子入りし、1946年、クリスチャン・ディオールの下で働いた。50年に独立し、オートクチュール(高級注文服)全盛期の59年にプレタポルテ(既製服)を発表した。幾何学模様を多用した前衛的なデザインを特徴とし、「宇宙ルック」など斬新なドレスを提案した。
ビジネス感覚にも優れていた。業界で初めてライセンス契約を導入し、外国に販路を広げた。飛行機から家具、タオルまで約800の企画商品を手がけた。
78年、初めて中国を訪れ、翌年からファッションショーの開催を重ねていった。ソ連崩壊直前の91年、モスクワの「赤の広場」でショーを開き、約20万人の観衆を集めたことでも知られる。
日本とのかかわりも深い。60年、日本人モデル松本弘子さんを招き、パリコレクションに起用した。東京の文化服装学院の名誉教授も務めた。91年に勲二等瑞宝章を受章した。
カルダンさんの下で働き、フランスを代表するファッションデザイナーとなったジャンポール・ゴルチエさん(68)はSNSで、「ファッション界への扉を開け、私の夢を実現してくれた」と、師匠に感謝を伝えた。