この方
一昨日に、
引退発表が出たのですが。
柔道家・古賀稔彦氏の訃報と重なってしまい
メディアの注目は、
どうしても
訃報の方へ向かってしまい、
そちらが大きな扱いで。
この方の
引退発表は速報的な
簡単な説明で終わってしまって。
このまま
大した注目もされずに
簡単な速報扱いで済まされてしまうのか、
と
見ていてハラハラしていたのですが。
昨日、
引退会見の様子が大きく取り上げられていて。
一ファンとしては
ホッと胸をなで下ろしました。
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なんというか、
『白鳳』という
日本の現代相撲史上稀に見る名横綱と同世代だったために
とうしても
陰に隠れてしまいがちなのが。
横綱・鶴竜の不運なところですねぇ。
こればかりは、
巡り合わせとしか言い様がありません。
私的には、
在りし日の『若花田』を彷彿させる
相撲の取り口で。
けっこう好み、というか。
でも、
この方、
公式記録で身長186cmと、
若花田に比べて
一回り大きな体格なんですよねぇ。
それでも、
白鳳と並ぶと
小兵に見えてしまう、という。
決して
小兵の部類に収まってしまうような体格ではないのですけどね。
白鳳の体格がズバ抜けて
抜きん出すぎなんですよねぇ。
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それでも、
横綱まで昇進して。
白鳳不在の時には、
見事に
場所を引っ張って
土俵を盛り立て。
とくに
日馬富士の暴行事件で
相撲協会がゴタゴタしていた時期に。
一人横綱として、
踏ん張っていた姿は
いまでも印象に残っています。
ただ、
この頃から
何かと怪我に泣かされて。
一人横綱として
怪我を押して出場し
無理に無理を重ねたせいか。
近頃は、
満足に一場所相撲を取りきる事が
めっきりと減りました。
ここ最近、というか。
去年から
ずっと怪我での休場が続いていて。
一ファンとして
これはマズいんじゃないかなぁ……と
心配していたのですけど。
予想していた通りの結果になってしまい、
大変残念です。
このあたりの経緯も、
かつての若花田というか
若乃花の姿と
けっこうダブるんですよねぇ。
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これから先は、
親方として
後進の指導に当たる、との事。
なので
一ファンとして
元気な姿で
再びカメラの前に立ってくれる日が来るのを
楽しみにして期待しながら待っています。
日本相撲協会は24日、大相撲の第71代横綱鶴竜(35)=本名マンガラジャラブ・アナンダ、モンゴル出身、陸奥部屋=の現役引退と、年寄「鶴竜」の襲名を発表した。鶴竜は現在行われている春場所を初日から休み、昨年7月場所から5場所連続の休場となっていた。
鶴竜は16歳だった平成13年にモンゴルから来日し、井筒部屋に入門。同年九州場所で初土俵を踏んだ。17年九州場所で新十両、18年九州場所で新入幕を果たした。24年春場所後に大関に昇進し、26年春場所で初優勝。同場所後に横綱に昇進した。先代井筒親方(元関脇逆鉾)の死去に伴い、令和元年9月に陸奥部屋に転籍した。
横綱昇進後に5度の優勝を果たす一方、腰や両脚などの負傷に苦しみ休場を重ねた。令和元年秋場所以降の9場所で15日間皆勤したのは1場所だけだった。昨年11月場所後の横綱審議委員会では、休場が相次いでいることを理由に、引退勧告に次いで重い「注意」の決議が出された。
右四つやもろ差しが得意で、押し相撲も取れる万能型。反射神経が良く、安定した取り口が魅力だった。優勝6回、三賞は殊勲賞を2回、技能賞を7回獲得した。昨年12月には日本国籍を取得。日本国籍保有者しかなれない親方への道筋ができていた。
元横綱 鶴竜 引退会見 「中途半端な気持ちで土俵上がれない」
24日に現役を引退した大相撲の元横綱 鶴竜が会見し「もう1度、土俵に上がりたいと思っていたが体が悲鳴をあげ、少しずつ気持ちが切れ中途半端な気持ちでは上がれない」と、引退を決断した理由を話しました。
24日に現役を引退した元横綱 鶴竜は東京 両国の国技館で、師匠の陸奥親方とともにオンラインで会見し「もう一度土俵に上がりたいと思っていたが体が悲鳴をあげ、少しずつ気持ちが切れて中途半端な気持ちでは上がれない。休場が何回もあったので相撲協会の人たちに迷惑をかけながら、よくここまでやらせてもらった。これ以上は無理かなと思った」と、引退を決断した理由を話しました。
およそ20年間の土俵人生を振り返り「16歳の時に夢を持って日本にやってきて、まずは1日でも早く関取に、そのあと幕内、三役昇進と、どんどん夢をかなえて、最後は横綱という夢をかなえた。人間としても、お相撲さんとしても、本当に成長させてもらったと感謝しています」と感謝の気持ちを話しました。
そのうえで、もっとも印象に残っている相撲については「やっぱり、関取になれた一番がうれしいです。夢が広がっていったわけですから」と話し十両昇進を確実にした平成17年秋場所の幕下での一番をあげました
そして、横綱の看板を背負った思いについて問われると「横綱に上がった時から常に相撲のことを考えて、体のことを考えてずっとやってきたので、それが今なくなり解放されてほっとした気持ちがある」と率直な思いも口にしていました。
入門当時の師匠でおととし亡くなった元関脇 逆鉾の当時の井筒親方について「一生忘れることはないし、感謝の気持ちでいっぱいです。稽古に対しては厳しく言う人だったが、土俵を離れたら優しくそういう指導をしていただいた」と思い出を語りました。
元横綱 鶴竜は今後、年寄「鶴竜」として後進の指導にあたることから「人に教えるのは大変難しいことだと感じているので、どうすれば強い力士が育つのかこれから勉強しなければいけない。将来は横綱、大関、看板を背負っていける力士を育てたい」と抱負を話していました。