kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お疲れサマでした…… ―― 第71代横綱鶴竜が引退 年寄「鶴竜」襲名

この方
一昨日に、
引退発表が出たのですが。
道家古賀稔彦氏の訃報と重なってしまい
メディアの注目は、
どうしても
訃報の方へ向かってしまい、
そちらが大きな扱いで。
この方の
引退発表は速報的な
簡単な説明で終わってしまって。
このまま
大した注目もされずに
簡単な速報扱いで済まされてしまうのか、

見ていてハラハラしていたのですが。
昨日、
引退会見の様子が大きく取り上げられていて。
一ファンとしては
ホッと胸をなで下ろしました。



なんというか、
『白鳳』という
日本の現代相撲史上稀に見る名横綱と同世代だったために
とうしても
陰に隠れてしまいがちなのが。
横綱鶴竜の不運なところですねぇ。
こればかりは、
巡り合わせとしか言い様がありません。
私的には、
在りし日の『若花田』を彷彿させる
相撲の取り口で。
けっこう好み、というか。
でも、
この方、
公式記録で身長186cmと、
若花田に比べて
一回り大きな体格なんですよねぇ。
それでも、
白鳳と並ぶと
小兵に見えてしまう、という。
決して
小兵の部類に収まってしまうような体格ではないのですけどね。
白鳳の体格がズバ抜けて
抜きん出すぎなんですよねぇ。



それでも、
横綱まで昇進して。
白鳳不在の時には、
見事に
場所を引っ張って
土俵を盛り立て。
とくに
日馬富士の暴行事件で
相撲協会がゴタゴタしていた時期に。
一人横綱として、
踏ん張っていた姿は
いまでも印象に残っています。
ただ、
この頃から
何かと怪我に泣かされて。
一人横綱として
怪我を押して出場し
無理に無理を重ねたせいか。
近頃は、
満足に一場所相撲を取りきる事が
めっきりと減りました。
ここ最近、というか。
去年から
ずっと怪我での休場が続いていて。
一ファンとして
これはマズいんじゃないかなぁ……と
心配していたのですけど。
予想していた通りの結果になってしまい、
大変残念です。
このあたりの経緯も、
かつての若花田というか
若乃花の姿と
けっこうダブるんですよねぇ。



これから先は、
親方として
後進の指導に当たる、との事。
なので
一ファンとして
元気な姿で
再びカメラの前に立ってくれる日が来るのを
楽しみにして期待しながら待っています。

 

 

www.sankei.com 

第71代横綱鶴竜が引退 年寄「鶴竜」襲名、後進指導へ

 日本相撲協会は24日、大相撲の第71代横綱鶴竜(35)=本名マンガラジャラブ・アナンダ、モンゴル出身、陸奥部屋=の現役引退と、年寄「鶴竜」の襲名を発表した。鶴竜は現在行われている春場所を初日から休み、昨年7月場所から5場所連続の休場となっていた。
 鶴竜は16歳だった平成13年にモンゴルから来日し、井筒部屋に入門。同年九州場所初土俵を踏んだ。17年九州場所新十両、18年九州場所で新入幕を果たした。24年春場所後に大関に昇進し、26年春場所で初優勝。同場所後に横綱に昇進した。先代井筒親方(元関脇逆鉾)の死去に伴い、令和元年9月に陸奥部屋に転籍した。
 横綱昇進後に5度の優勝を果たす一方、腰や両脚などの負傷に苦しみ休場を重ねた。令和元年秋場所以降の9場所で15日間皆勤したのは1場所だけだった。昨年11月場所後の横綱審議委員会では、休場が相次いでいることを理由に、引退勧告に次いで重い「注意」の決議が出された。
 右四つやもろ差しが得意で、押し相撲も取れる万能型。反射神経が良く、安定した取り口が魅力だった。優勝6回、三賞は殊勲賞を2回、技能賞を7回獲得した。昨年12月には日本国籍を取得。日本国籍保有者しかなれない親方への道筋ができていた。

 

 

 

 

www3.nhk.or.jp 

横綱 鶴竜 引退会見 「中途半端な気持ちで土俵上がれない」

24日に現役を引退した大相撲の元横綱 鶴竜が会見し「もう1度、土俵に上がりたいと思っていたが体が悲鳴をあげ、少しずつ気持ちが切れ中途半端な気持ちでは上がれない」と、引退を決断した理由を話しました。
24日に現役を引退した元横綱 鶴竜は東京 両国の国技館で、師匠の陸奥親方とともにオンラインで会見し「もう一度土俵に上がりたいと思っていたが体が悲鳴をあげ、少しずつ気持ちが切れて中途半端な気持ちでは上がれない。休場が何回もあったので相撲協会の人たちに迷惑をかけながら、よくここまでやらせてもらった。これ以上は無理かなと思った」と、引退を決断した理由を話しました。
およそ20年間の土俵人生を振り返り「16歳の時に夢を持って日本にやってきて、まずは1日でも早く関取に、そのあと幕内、三役昇進と、どんどん夢をかなえて、最後は横綱という夢をかなえた。人間としても、お相撲さんとしても、本当に成長させてもらったと感謝しています」と感謝の気持ちを話しました。
そのうえで、もっとも印象に残っている相撲については「やっぱり、関取になれた一番がうれしいです。夢が広がっていったわけですから」と話し十両昇進を確実にした平成17年秋場所の幕下での一番をあげました
そして、横綱の看板を背負った思いについて問われると「横綱に上がった時から常に相撲のことを考えて、体のことを考えてずっとやってきたので、それが今なくなり解放されてほっとした気持ちがある」と率直な思いも口にしていました。
入門当時の師匠でおととし亡くなった元関脇 逆鉾の当時の井筒親方について「一生忘れることはないし、感謝の気持ちでいっぱいです。稽古に対しては厳しく言う人だったが、土俵を離れたら優しくそういう指導をしていただいた」と思い出を語りました。
横綱 鶴竜は今後、年寄「鶴竜」として後進の指導にあたることから「人に教えるのは大変難しいことだと感じているので、どうすれば強い力士が育つのかこれから勉強しなければいけない。将来は横綱大関、看板を背負っていける力士を育てたい」と抱負を話していました。