kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

つい血迷いましたw ―― [寄稿]私の「親日」

いやぁ、
今月7日、
いよいよ明後日ですが、
狂気の文オジサンとそのお仲間達政権の
命運を懸けた
韓国二大主要都市、
ソウルと釜山の市長補欠選挙を控えて。
いっこうに支持率が回復せず、
真っ逆さまに墜落中。
その余波で、
政権与党が推薦した
市長選候補者まで
選挙前世論調査の結果が
惨敗濃厚、という。
もはや
政権崩壊、ロウソク革命待ったなし、
となった
狂気の文オジサンとそのお仲間達。



これまでの
韓国政権なら
ここで
反日燃料』を投下して
韓国民に
愛国心アピールを繰り返して。
支持率回復、
政権再浮揚を図ってきました。
しかし、
狂気の文オジサンとそのお仲間達政権は、
政権発足時から、
反日政策を強固に推進して、
既にあらたかやり尽くしてしまったため。
ここへ来て、
新たな
反日政策を掲げようにも、
掲げる内容がなくなってしまった。
という、
後先考えない『阿呆』としか言いようがない状況に陥って
行き詰まっています(笑
なにせ、
政権公約
2015年に結んだ
慰安婦合意の一方的な実質破棄を掲げて
大統領選挙で当選。
就任後に即公約実行。
そこから
自衛隊哨戒機に対してレーダー照射で
威嚇し。
さらには、
GSOMIAの破棄宣言。
から
極めつけの
日韓外交の礎となる
請求権協定の実質反故
まで。
やれることは粗方やり尽くしてしまいました。
あと
残っている『反日政策』となると。
日韓断交宣言からの
日本人国外追放、
拘束して強制収容所送り、
対馬武力占領、
とか。
そのくらいしか有りません。
さすがに
ここまで行くと
日本に対して
『宣戦布告』したのに等しいので。
狂気の文オジサンとそのお仲間達の
口先だけ政権は、
そこまでの度胸は持っていないらしく。
反日政策として
やれることが
何もなくなってしまいました(笑



とまあ、
支持率回復、
政権浮揚の手段を失って
この先は、
ひたすら真っ逆さまに墜落するしかなくなってしまった
狂気の文オジサンとそのお仲間たち。
ここまで
後先考えずに好き勝手に振る舞ってきたツケが
ここへ来て一気に噴き出した、
という。
どう見ても
自業自得の結果です。
そんな風に
お先真っ暗な
狂気の文オジサンとそのお仲間達に
いよいよ愛想が尽きたのか。
これまで
支持母体の一つであり、
狂気の文オジサンとそのお仲間達政権に
好意的だった
革新系メディア『ハンギョレ』が
なんと、
親日・寄稿記事』を掲載する、
という。
見ようによっては、
これまで
反日政策』を掲げてきた、
そして
今もなお掲げ続けている
狂気の文オジサンとお仲間達への縁切り宣言、
とも言えるような
記事を掲載していましたので。
ブックマークを付けてみました。



で、
問題なのは。
その記事=寄稿の内容なのですが……
内容は無いよう、って
シャレではなくて。
大したことは書かれていません。
ざっと
要約すると
『私には日本人の友人がいる、居た。
 私は日本人である彼らのことが大好きだ。
 日本人にも好ましい人物は存在する』
という
当たり障りのないもので。
『だからどうした?』
『今更それを言って、おまえらはどうしたんだ?』
としか言い様がない、
御託が並んでいます。
何より、
興味深いのは、
この寄稿記事の
結びの言葉が、
『真実は、真の和解と友情の出発点である』と
なっている点ですね。
これには
大爆笑してしまいました。
なかなかユーモアが効いています(マジ笑える

 

 

japan.hani.co.kr

 

[寄稿]私の「親日

チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科名誉教授

 ソウルオリンピック開催前年の1987年、快晴の秋のある日、大阪市の生野地域で小さな祭りが開かれた。そこに住む在日同胞たちが「民族文化祭」という名を掲げて一日を楽しむ。そんな行事だった。プンムルペ(農楽隊)が路地を練り歩く。まだ不慣れな腕でチャング(太鼓の一種)やクェンガリ(鉦)を打ち鳴らしながら涙を流す人もいた。当時は差別を恐れて、このように表立って遊ぶことはできなかったという。
 その日の祭りのために借りた日本の小学校の運動場では、様々な民俗公演やマダン劇(野外で行われる芝居)が行われていた。その片隅には小さな動物園があった。特別な動物ではなく、鶏、豚、子牛、羊、山羊、ウサギ…。農家が飼っている家畜だった。麦わら帽子をかぶったおじいさんが、子馬に子どもたちを一人ずつ乗せ、朝鮮半島の地図が描かれた白い線に沿って一周しながら話しかける。「君たちは統一した祖国の南と北を思いきり行き来して生きるんやで!」近郊で農業をしているという日本人、華房良輔だった。
 私は彼に、なぜこんなことをしているのかと尋ねた。「日本の代わりに分断された朝鮮に申し訳ない気持ち」のためだという。太平洋戦争時に軍国少年だった彼は朝鮮人、中国人を蔑視することを「大和魂」だと学んだが、「だまされた」ことを敗戦後に知り、自分たちが傷を負わせたすべての人々に申し訳ない気持ちから、何か役に立つことをして生きることを決めたという。NHKでテレビの構成作家をしていたが、今は農業共同体を作り農業体験教室を開いているという。民団と総連に分裂している同胞社会の子どもたちが一緒に夏のキャンプを開くというので、ボランティア教師として手伝ったのだった。
 日本の子どもたちも参加した夏のキャンプで最も印象的だったのは、子どもたちに鶏を絞める体験をさせたことだった。日本人同士でも、動物を殺す「汚れた行い」をしていたかつての「白丁(ペクチョン、ペクチャンとも。朝鮮で最下層の身分に置かれた人々)」出身者を「部落民」と呼んで依然として差別しているからだった。農業は命を育むものだが、命を奪うものでもある、とまず教えた。肉だけでなく、米、麦、野菜すべてが命であり、我々はそのような命をいただいて生きていく命なのだと。他の命を大切に思い、ありがたくいただく方法を学び、人同士は尊重し合い、共に生きる方法を身につけなければならないと言った。反日精神に満ちていた私の妻は、あのような方とは直接話してみたいと言って日本語を学び始めた。数年前、彼は「お先に逝きます。ゆっくり楽しんできてください」という短い別れの言葉を残してこの世を去った。やがてその後を追うことになる私は、今日も彼を懐かしむ。
 日本には、大好きな古い友人もいる。北海道の田舎にある小さな寺の和尚、殿平善彦だ。初めて彼の保育所を見に行った時、子どもたちは裸足で泥遊びをしていた。彼は私を山奥のシラカバの森に連れて行き、まだその下に埋まっている、帰れなかった強制労働の朝鮮人犠牲者たちに会わせてくれた。私より10歳上。歳の離れた兄貴格の彼と「兄おとうとではなく、友だち」として過ごして30年が過ぎた。日本式や韓国式に兄おとうとということにすると序列意識が生まれるので、そうすることにした。あだ名で呼び合い、敬語を使わず話しながら、これまで多くのことを共にしてきた。
 我々2人の縁が架け橋となって、1997年からの20年あまり、韓国と日本の数多くの若者たちが共に強制労働犠牲者の遺骸を発掘してきた。収拾された遺骸のうち、本籍が南韓にある115人は、70年ぶりに故郷の地に戻ってきた。しかし、北朝鮮地域が本籍のケースはいまだ帰れていない。その遺骸を遺族たちに返すために、殿平さんは2度にわたって平壌(ピョンヤン)を訪れた。北朝鮮当局には真摯な関心がなかった。小さな市民団体の一人の僧侶が遺族を探し出して遺骨を返そうとしているという、そんな「おめでたい」話は相手にしてくれなかった。日本政府や企業の謝罪や補償があればともかくだ。そのような事実を知りながらも、可能性のないその仕事のために再度平壌を訪れ、誠意を尽くして説明した末、成果なく帰ってきてから数日体調を崩した。このように愚直な彼が、私は大好きだ。
 数十年の間、一途な彼の真心に感動してきた韓国と日本の若者たちは、彼を通じて歴史的な傷を辿り、癒す方法を学んだ。特に、日本社会で差別されて傷ついた在日同胞の若者たちは、彼を通じて日本人に対する信頼と希望を取り戻したという。日本は一つではない。加害と被害の歴史を越え、ともに真実を究明するために心を一つにした仲間たちは、互いの言語を学び、国境を越えて協力し、生きる方法を学んでいる。私はこんな日本人たちに親愛の情を抱く。真実は、真の和解と友情の出発点である。