kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

魚拓代わり ―― 【池袋暴走事故 被告人質問詳報】

上級ボケ老人・飯塚幸三被告(89)への
被告人質問の内容が
ニュース記事として
全文掲載されていたので。
そちらにも
魚拓がわりのブックマーク。



裁判の
動画撮影、音声録音などは許されていないので、
傍聴できなかった人は
こういう形でしか裁判の内容を知る事ができません。
なので全文掲載は、大変助かります。
ざっと記事に目を通して気になったのは。
飯塚幸三被告が
検察官から
当時の行動に関する証言について
『記憶違い』ではないか、と追求されて。
それを
否定しなかった点ですね。
つまり、
自身で
事故当時の状況、
運転操作の状況を
アレコレと証言していた内容は、
事実ではないかもしれない。
と、
当人が認めちゃった。
ただし、
アクセルペダルとブレーキペダルの
踏み間違いについては。
一度は、
踏み間違いをしたのではないか、
と答えたこともあったけど。
やはり、
踏み間違っていない。
そういう記憶は無い。
と、
そのように
検察官の質問に答えています。
他にも、
ドライブレコーダーに記録された
当時の車の挙動について
どういう判断でそのような運転操作をしたのか、
問われた場面では。
すべて
『覚えていない』と答えています。
この中で
私が注目しているのは
『車線変更』について
『覚えていない』と答えた点ですね。
事故車の内部記録以外の証拠で、
目撃者の証言とか、
道路や店のカメラ映像の記録で
車線変更の事実が確定すれば。
飯塚幸三被告(89)は
事故当時の運転についての
証言内容は
信憑性が低下します。
ここは
かなり大きなポイントじゃないかな。

そんな風に見えました。



この先、
どういう展開になるのか。
ちょっと
興味が出てきました。

 

www.sankei.com 

【池袋暴走事故 被告人質問詳報】

《東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女、莉子(りこ)ちゃん=同(3)=が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)の公判が27日、東京地裁(下津健司裁判長)で開かれた》
《この日は被告人質問を実施。飯塚被告は昨年10月の初公判で「心からおわび申し上げる」と遺族に謝罪したものの、一貫して車の故障を訴え無罪を主張している。この日は被害者参加制度を使い、真菜さんの夫、拓也さん(34)も出廷する》
《開廷直前の午後1時25分ごろ、傍聴人の入廷が完了すると、書記官があらかじめ証言台の前の椅子を移動させた。高齢の飯塚被告は、これまでの公判でも車いすで出廷しており、被告人質問で飯塚被告が証言台につくための措置だ。拓也さんは、すでに検察官の横に着席している》
《間もなく、弁護人に車いすを押されてスーツ姿の飯塚被告が入廷。裁判長は「若干早いですが」と断った上で開廷を宣言した。飯塚被告側が事故の被害者らと交わした保険会社が発行する示談書などの証拠採用が決まった後、弁護人が車いすをゆっくりと押し、飯塚被告が証言台の前に移動。裁判長が「質問にはゆっくりと明瞭に答えてください」と飯塚被告に声をかけ、まず弁護側から被告人質問が開始された》

弁護人「現在の年齢は」
飯塚被告「89歳です」
弁護人「事故の当時は87歳でしたね」
飯塚被告「間違いありません」
弁護人「免許を取得したのは」
飯塚被告「1965年です」
弁護人「運転歴は50年近くになるのか」
飯塚被告「53年以上だったと思います」
弁護人「運転をしなかった時期は」
飯塚被告「ありません」
弁護人「日常的に運転していたのか」
飯塚被告「その通りです」

《質問の当初こそ少し声を震わせた飯塚被告だったが、はっきりと聞き取れる低い声で回答を重ねていく。弁護人は、過去に飯塚被告が起こした接触事故について質問する》

弁護人「2001年に交通事故を起こした」
飯塚被告「はい」
弁護人「駐車場から出るときに歩道の自転車に接触した」
飯塚被告「はい、そうです」
弁護人「なぜ接触したのか」
飯塚被告「駐車場から歩道を渡って車道に出るのですが、出口に生け垣があり、左右の見通しが全くありませんでした。自転車が出口に差し掛かって、避けきれずに接触しました」
弁護人「事故の処分は」
飯塚被告「略式処分を受けました」
弁護人「車の運転で、ここ10年で交通違反をしたことは」
飯塚被告「ありません」

《続いて弁護人は飯塚被告の普段の運転状況を確認していく》

弁護人「どのくらいの頻度で運転していたのか」
飯塚被告「週に2、3回です」
弁護人「主な行き先は」
飯塚被告「都内です」
弁護人「運転していたプリウスに故障や不具合は」
飯塚被告「大きな故障はございません」
弁護人「車検や修理は」
飯塚被告「ディーラーのトヨタの会社に頼んでいました」

《弁護人の質問内容は、飯塚被告の健康状況に移る》

弁護人「車いすは普段から使っているのか」
飯塚被告「いえ、使っておりません」
弁護人「なぜ今日は車いすなのか」
飯塚被告「昨年秋から非常に足のふらつきが大きくなりました。歩行器を使えばゆっくり歩けますが、裁判所の勧めもあって車いすにしました」
弁護人「つえをついて歩くことは」
飯塚被告「あります」
弁護人「いつから」
飯塚被告「2018年の春ごろです」
弁護人「なぜですか」
飯塚被告「つまずいて転んだことがあり、安全のために使い始めました」
弁護人「足がふらつくのはどんな姿勢のときか」
飯塚被告「椅子から立ち上がったときと、歩くときです」
弁護人「医師の診察を受けたのは」
飯塚被告「2017年の夏ごろです」
弁護人「診断は」
飯塚被告「原因が分からず、確定診断は出ませんでした」
弁護人「病気の可能性として言われたことは」
飯塚被告「ずっと後になって、パーキンソン症候群の可能性があると言われました」

《飯塚被告は、パーキンソン症候群パーキンソン病の違いについて、理路整然と説明を始めた。事故当時も「つえを使えば自力で歩けた」と話し、車の運転にも問題はなかったと主張したが、最後に免許の更新をした時期を問われると、「2029年の…」と口にし、再度確認される場面もあった》
《東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女、莉子(りこ)ちゃん=同(3)=が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)の公判は、被告人質問が続いている》
《飯塚被告は、時折言い間違いこそあるが、口ごもることなくはっきりとした声で質問に答えていく》

弁護人「最後に免許を更新したのは」
飯塚被告「2017年の5月です」
弁護人「その時には75歳以上だった」
飯塚被告「はい、そうです」
弁護人「更新の検査や講習は受けたのか」
飯塚被告「認知症の検査のようなものを受けました。結果は全く正常で合格しました。講習では、高齢者の運転時の注意のビデオを見ました」
弁護人「講習はビデオだけか」
飯塚被告「運転の実技がありました。当時は実技は希望者だけだったと思います」
弁護人「運転に心配があったのか」
飯塚被告「特になかったです。教官からの指摘もありませんでした」

《質問は、事故当日の状況に踏み込んでいく。弁護人は、この先の証言について、事故車両のドライブレコーダーの映像ではなく、飯塚被告の記憶に基づくものであることを強調。被害者参加制度を使って出廷している遺族の松永拓也さん(34)は、飯塚被告の方にときおり視線を送りながら、ペンを走らせ続けている》

弁護人「同乗者はいたか」
飯塚被告「おりました。妻です」
弁護人「2人でどこへ行こうとしていた」
飯塚被告「昼食の予約をしたレストランへ行こうとしました」
弁護人「なぜ車だったのか」
飯塚被告「電車とバスで行けるのですが、乗り換えに時間がかかるので、車で行きました」
弁護人「予約の時間は」
飯塚被告「12時30分です。自宅を出発したのは12時過ぎでした」
弁護人「間に合う時間なのか」
飯塚被告「急がないで十分に間に合う時間でした。急ぐ用事は全くありませんでした」

 《飯塚被告は、車を運転する前のルーティーンとして、いつも自分の足でブレーキが作動するか安全確認しており、「事故当日もチェックして異常はなかった」と話した。弁護人は、事故現場となった東池袋交差点付近での運転内容について、詳細に確認していく》

飯塚被告「(左カーブを曲がる際に)ブレーキを断続的に踏んだと思います。(車の速度は)40~50キロあったと思う。思ったより速いスピードで曲がってしまった」

《弁護人は、事故現場の見取り図を取り出して法廷内のモニターに映し出し、どのように走行したか、飯塚被告にルートを赤線でひかせた。飯塚被告が「もう一度お願いします」と、質問を聞き直す場面もあった》

弁護人「左カーブを曲がった後、車に何か起きたか」
飯塚被告「エンジンが異常に高速回転しました。左に寄りすぎて、ガードパイプと思われるものに接触しました」

《車はガードパイプに接触後、約150メートルにわたり暴走。次々に横断歩道上の歩行者らをはねたとされている。接触後にアクセルペダルを踏んだかとの弁護人の問いかけに対し、飯塚被告は力強く「ありません」と答えた》

弁護人「車にはどのような不具合があったか」
飯塚被告「アクセルペダルを踏んでいないのにエンジンが高速回転しました。車が制御できないのかと思って非常に恐ろしく感じ、パニック状態になったと思う」

《飯塚被告は、乗用車が暴走している最中に、アクセルペダルを確認したと主張。「床に張り付いているように見えました」と話した》

飯塚被告「前方に交差点が見えて、赤信号とご婦人が右から左に渡っているように見えました。ブレーキをいっぱい踏みましたが、減速しませんでした。車が加速になってしまい、非常に驚いてしまいました。何か大きなものにぶつかったように思いました」
弁護人「そのとき、右足はどこにあったか」
飯塚被告「ずっとブレーキペダルを踏んでいたと思います」

《東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女、莉子(りこ)ちゃん=同(3)=が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)の公判は、被告人質問が続いている》
《車椅子に座ったまま質問に答える飯塚被告は、時折口ごもるものの、終始はっきりとした声で証言している。弁護人は、事故現場の見取り図を示しながら、飯塚被告の記憶に基づき事故直前の車の動きを確認していく》
被害者参加制度を利用し公判に参加している遺族の松永拓也さん(34)は検察官席の1列目に座り、法廷の画面に映し出された見取り図を見ながら、この様子を聞いている》

弁護人「東池袋交差点を曲がった後、車線を変更したのはどの位置か」
飯塚被告「このあたりです」

《飯塚被告は見取り図上で位置を指差すと、赤いペンでそこに「車線変更をした地点」と書き込んだ。そのほか、弁護人に促されるまま、加速が始まった地点▽ガードパイプに接触した地点▽右車線に車線変更した地点▽アクセルペダルを目視した地点▽赤信号と乳母車を見た地点-の位置を、次々と書き込んでいった》

弁護人「衝突した後、車はどうなったか」
飯塚被告「止まりました」
弁護人「(被告が)自力で動くことはできたか」
飯塚被告「できました。…できませんでした」

《言い誤り、すぐに訂正した飯塚被告。事故では自身も負傷し、駆けつけた救急隊に車内から救出されている。救急車が到着するまでには約40分あったという》

弁護人「その際に電話をかけたというが、いつごろか」
飯塚被告「救急隊の方に搬出されて、歩道で待機していたとき、救急車に乗る直前です」

《続いて弁護人は、飯塚被告の記憶と被告の車のドライブレコーダーに記録された映像に「食い違いが4つある」と指摘。一つ一つ確認していく》

弁護人「まず1つ目を教えてください」
飯塚被告「(事故直前に)カーブを曲がり切ってから車線変更したと思っていましたが、ドライブレコーダーでは、カーブの途中で車線変更していました」
飯塚被告「2つ目は、前に同じ方向に走行している自転車(がいる)と思いました。しかしドライブレコーダーではバイクでした」
飯塚被告「(3つ目は)最初の交差点で何かに接触した気がしたが、衝突は避けられたと思っていました。でも、ドライブレコーダーでは〇〇さん(被害者の名前)と衝突していました」
飯塚被告「(4つ目は)2番目の交差点で、赤信号の他に、乳母車を押すご婦人が右から左に渡っているのが見えたと思いました。だがドライブレコーダーでは、松永さまの奥さまの自転車が、お嬢さんを乗せて右から左に渡っていました」

《事故後、1カ月ほど入院したという飯塚被告。パーキンソン病の検査を受けたが、パーキンソン病とは診断されなかったと主張した。弁護人は、退院後の生活についても質問する》

飯塚被告「脅迫状が来ましたし、街頭宣伝(車)が私の住所の近くで(周回し)、しばしば非難を受けました。外に出るのが怖くなりました」

《弁護人は、飯塚被告が事故の惨状を知った当日の夜についても質問していく》

弁護人「事故の惨状を知り、どういう気持ちになったか」
飯塚被告「松永さまの奥さまとお嬢さまが亡くなられたと聞き、大変なショックを受けました。お二人のご冥福を祈る気持ちでいっぱいでした。また、最愛の奥さまとかわいいお嬢さまを亡くされたご主人、ご親族の皆さまのご心痛、お悲しみを思って、いたたまれない気がしました」
弁護人「事故から2年以上がたっている。今の気持ちは」
飯塚被告「2年の間に少しずつですが、けがされた方のけがの状態を伺うたび、大変心が苦しく、つらい思いをいたしました。また、松永さまの親子が亡くなられたことについては、ご冥福をお祈りしたい気持ちでいっぱいです。また、この裁判の間は、私は自分の記憶に基づいて正直に話したつもりですが、結果がどうあろうとも、悲惨な事故のことは重く受け止めてまいります」

《松永さんは、下を向いて飯塚被告の謝罪の言葉を聞いていた。ここで弁護人の質問が終了。検察官側の質問に移る》
《東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女、莉子(りこ)ちゃん=同(3)=が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)の公判は、弁護側の被告人質問が終わり、検察側の質問に移った》
《検察側は、ドライブレコーダードラレコ)の映像と飯塚被告の記憶違いについて追及していく》

検察官「(亡くなった)松永さん親子は、乳母車を押していたと言っていったが、ドラレコでは自転車だった」
飯塚被告「はい」
検察官「ドラレコでは、左車線に変更し右へ行き、また左と計3回、車線変更をしている」
飯塚被告「覚えてない」
検察官「ドラレコでは、前を走るバイクに接近して車線変更したように見える。焦った運転をしたという記憶は」
飯塚被告「全くない」
検察官「カーブを曲がるスピードが思ったより速く、自分でもスピードの危険を感じなかったか」
飯塚被告「危険は感じなかった」
検察官「(事故後に)警察官が運転を試した際、横滑り開始直前だったと(捜査資料に)ある。スピードについても、記憶違いがあったと思わなかったか」
飯塚被告「思わなかった」
検察官「(飯塚被告が事故直前に)『おー』という声を発したのは、焦ったということではないか。ドラレコを見て、(当時の)記憶が戻ることはなかったか」
飯塚被告「記憶が戻ることはなかった」
検察官「つまり、記憶違いをしていた」
飯塚被告「記憶違いの…(数秒沈黙)かもしれません」

《検察官は、飯塚被告の記憶と、実際に起きた状況に齟齬が多数あることを指摘していく》

検察官「結局、あなたの記憶と当時の違いは1つや2つではないということ。しかもね、どの車線とか、何をしようとしていたとか、重要なところでも記憶違いがある」
飯塚被告「ドラレコと違う点はあった」
検察官「そうすると、アクセルペダルが床に張り付いていたのを目視したというのは、どういう動きをしたのか」

《飯塚被告は「右足を持ち上げて目視した」と話すが、検察官は「走行しながら確認するのは一瞬の判断が必要」とし、さらに畳みかける》

検察官「歩くことに支障はないが、膝をとっさに上げられないから、杖(つえ)をついているのではないか」
飯塚被告「そんなことはない」
検察官「とっさに踏み出しにくいという話をしなかったか」
飯塚被告「した」
検察官「一瞬の間に、右足を持ち上げることはできるのか」
飯塚被告「問題ない」

《何度か答えに詰まりながらも、飯塚被告は検察官の質問にはっきりとした声で応じる》

検察官「『踏み間違いをしなかったとはいえない』と発言があった」
飯塚被告「警察(の取り調べ)ではあった」
検察官「この場でもう一度、聞く。踏み間違えた記憶はないか」
飯塚被告「警察署では、何度も聞かれたのでそういう表現になった。踏み間違えたという記憶は一切ない」
検察官「客観的に話を聞いて、やっぱり自分が間違えていたのかな、という気持ちはないのか」
飯塚被告「ありません」

《検察官からの質問に応じた中で、最も強い口調でそう答えた飯塚被告。検察側の質問は、免許の返納や認知機能低下についてに移る》

検察官「加齢による能力の低下を感じなかったか」
飯塚被告「認知機能に問題はない。運転に関しては問題ないと思っていた」
検察官「事故までに計5回、車を修理している。車に傷をつけたからではないか」
飯塚被告「車の使用頻度が上がったので」
検察官「平成30年春から、杖を1本から2本に増やしている。運動能力の低下と思わなかったか」
飯塚被告「2本の方が安全だった」
検察官「車の購入の際、『運転、大丈夫ですか』と聞かれている。人から心配されるのに、返納を考えなかったのか」
飯塚被告「杖をついていたら、心配されるのは当たり前と思う」

《ここで検察官からの質問が終了。すると弁護側が「4つ確認したい」と、再度質問を始めた》

弁護人「私が飯塚さんに初めて会った日は」
飯塚被告「事故後の4月何日か」
弁護人「どこで会ったか」
飯塚被告「病院」
弁護人「打ち合わせをして記憶の内容を整理し、(公判で)その通りの内容を話した」
飯塚被告「はい」
弁護人「足の踏み出しが悪いと先ほど言っていたが、どのような姿勢だと踏み出しが難しかったのか」
飯塚被告「長い間立っていたときに踏み出しが悪くなる」
弁護人「立っている状態か」
飯塚被告「例えば、信号が赤から青になるのを待っている状況だと踏み出しが悪くなった」
弁護人「座っているときは」
飯塚被告「全く感じなかった」
弁護人「立ってるときだけ起こるのか」
飯塚被告「そうです」

《飯塚被告の発言を受け、法廷内が少しざわついたが、弁護人は質問を打ち切った。裁判長は、検察側の追加質問の内容を確認した上で次回期日を6月21日に指定し、この日の審理は終了。飯塚被告は、弁護人に車いすを押されて退廷した》