私が、
韓国内のニュース報道をチェックする時に
ちょくちょくお世話になっている
韓国メディアの一つ
中央日報。
このメディアは、
『財閥寄り』というか
産業界寄りの視点で
ニュースを選んで
掲載しているメディアなのですが。
そこに
最近、
日韓関係について
今の
『史上最悪』というか
『市場最悪』というべき状況からの
改善を目指した
寄稿記事とか
コラムが
立て続けてに掲載されていて。
これが
かなり迷走した内容だったので。
といっても
一日本人である
私の目から見て
迷走していると見えますけど。
韓国人にとっては
きちんときれいに自己完結している、
と思える
なかなかに興味深い迷文だったので
ブックマークを付けてみました。
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今回
ブックマークを付けたのは、
迷ポエムっぽい
コラム2点のうちの一つです。
ネットスラングに
『ロミオメール』って言葉があります。
自己中で
現実を客観視できない
ストーカー思考の男性が、
意中の女性に、
装飾過剰中身空っぽの言葉を並べて、
心情をアピールしてくる、
ポエム的メッセージなんですけど。
まあ、
詳しくはネットで調べてください、
今回
ブックマークを付けた記事には
そんな
『厨二病』満載の文言が並んでいて。
そうか
韓国人のメタンルって、
『ロミオメール』を送ってくる
『ロミ男』並、
韓国の民度って
『ロミ男』レベルなんだ。
と。
ストンと納得してしまいましたw
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『ロミ男』とはなんなのか
意味不明の人は、
ネットスラングを検索することを
推奨しますw
漫画とか動画とか、
知恵袋でのネタにされていますけど。
ほぼ全部
韓国人の特徴にそっくり当てはまるので。
韓国人の本性、
どんな人間性なのか
理解を深めるのに。
もってこいの言葉だな、
と思って。
今回の記事に
ぶっくまーくをつけて
取り上げて見ましたw
小難しい言葉を並べて
いかにも
『俺様頭良いんです』ってポーズを取っているだけで
言ってることは
どこまでも自己中で
現実を客観視できず、
自分の世界の中でグルグル回っているだけ、
外を全く見ていない、という。
まさに
『ロミ男』なんですよねw
金九(キム・グ)は韓国人が最も尊敬する人物のひとりだ。私はそうでない軸に属するが、かなり以前『白凡日誌』を初めて読んで受けた衝撃のためかもしれない。監獄生活の苦痛をありったけぶちまけた後、彼はこう続ける。「妻が若いので体を売ってでも美味いものを持ってきてくれたらとさえ思う」。
今日の政治家が金九のような言葉を残したとすればどうなるだろうか。社会も変わり、人々の意識も変わった。しかし今日、私たちが金九の話をどう思おうが、彼の言葉が当時の社会と人々の意識を反映しているのは事実だ。それを認めることは歴史に対する基本的態度に続く。今日の社会と意識を歴史的状況にかぶせることは、歴史解釈ではなく脚色あるいは創作だ。
朝鮮人旧日本軍慰安婦を民族の聖女と称えたり、自発的売春女性だと貶めたりすることもそうだ。慰安婦の最も主要なアイデンティティは貧困と女性だ。裕福な慰安婦も、男性慰安婦もいない。慰安婦は「貧しい家の娘たち」だった。娘を売る貧しい父親が多かった。金九の言葉からも透けてみえるように、そのような父親を理解する人々が多かった。売買を中継する朝鮮人業者も多かった。
売られる娘たちの歴史は旧日本軍慰安婦で終わらなかった。解放後、米軍慰安婦と戦争によって韓国軍慰安婦の歴史は続いていく。研究者は韓国政府が米軍慰安婦と韓国軍慰安婦を非常に積極的に管理したという事実を明らかにしている。売られる娘たち、女性人身売買はその後も売春産業の主要な供給方式になる。
近ごろ、多くの市民がナヌムの家と正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)に憤怒した。旧日本軍慰安婦女性を支援し、彼らと共に戦うという名分の下に、私益を追求したとみることができるような情況が明らかになったためだ。「物乞い商売集団」という表現まで登場したので、市民の失望と怒りがどれほどか察するには十分だ。しかし、万一その情況が事実だとしても、その団体が初めからそのような目的を持っていたわけではなかった。彼らはなぜ変質したのだろうか。
その主要な条件として、コンプレックス民族主義を挙げることができる。韓国人が反日感情を持つ理由は言うまでもなく植民地の歴史のためだ。しかし、それは朝鮮民族全体と日本民族全体の間のことではなかった。日本支配階級(帝国主義勢力)と朝鮮民衆の間でのことだった。大多数の日本民衆も戦争に動員されて搾取される被害者であり、朝鮮の支配階級は日本支配階級と協調して安楽を維持した。
解放後、韓国支配階級はその歴史を民族全体のものとして作り出す。李承晩(イ・スンマン)は反民特委(反民族行為特別調査委員会)を壊しながらも、反日政策に固守し、日本軍歌を好んで歌ったサムライ朴正熙(パク・チョンヒ)は日本文化を厳格に禁じた。彼らはそのような政策のおかげで韓国内のさまざまな矛盾的状況の相当部分を覆うことができた。反日感情は、半世紀にわたって極右独裁勢力の手軽かつ効果的な支配手法だった。そして今では彼らに対抗して民主化運動をしたことを前面に掲げる現政権がこれを受け継ぎ、竹槍歌を歌い抗日を叫ぶ。
「親日派」はそのような支配手法に最適化した言葉だ。私たちが問題にするべきことは日本と親しかったかどうかではなく、日本帝国主義に加担したかどうかだ。例えばフランス人がナチス反逆者を表現する言葉は「コラボ(コラボラシオン)」だ。「親独派」に該当する「Germanophile」は単にドイツやドイツ文化が好きな人という意味であり、何の問題にもならない。
親日派ではなく「日帝加担者」と直して言わなくてはならない。慰安婦に関連した学問的見解のために、正義連とナヌムの家と対立して魔女狩りに遭った朴裕河(パク・ユハ)さんに対して、その団体に対する社会的尊敬が崩壊しても知識社会の再評価がないのは印象的なことだ。朴さんの再評価には自分たちの間違いを認めることが伴うためではないか。議論は事態の構造ではなく個人の倫理次元に留まらなければならない。今では尹美香(ユン・ミヒャン)が新たな魔女であり、過去の魔女である朴裕河は沈黙により排除される。彼らは依然としてハンナ・アーレントに民族裏切り者の烙印を押した「悪の陳腐性」をいう。
コンプレックス民族主義は韓国男性特有の家父長的被害意識と関連がある。日本で歴史関連の発言が登場さえすれば突然怒りから噴出させる、日本とのスポーツ競技を「戦争」(対日戦)と規定して過度な執着をみせる被害意識のことだ。「最も民族的なものが最も世界的なもの」というゲーテの言葉も意味が変わる。ゲーテの言葉で「世界的」は人類の普遍性を意味する。韓国でその言葉は他の民族との比較と優劣を表現する。
民族は実在し、無視されることはできない。しかし普遍性を失った民族主義はいつも例外なく悪用される。コンプレックス民族主義が蔓延(まんえん)するとき、消されるのは民族内の階級の現実だ。そして階級の現実の普遍性に基盤を置いた人類愛だ。平凡な韓国労働者の友は同族の李健熙(イ・ゴンヒ)なのか、平凡な日本労働者なのか。今こそコンプレックス民族主義から脱し、普遍的人類愛を持つ個々人として立つ時がきた。今日、韓国市民は当然それ相応の資格がある。子供たちは初めからそのように生きていくように助けてやるべきだ。それが真の歴史清算であり回復だ。