さて、
昨日に続いて
またも
お悔やみのヨタ書きです。
この方の訃報は、
既に
昨日のうちにニュースで流れていたのですが。
1日に
二度も三度も
お悔やみ文を掲載したくはなかったので。
一日遅れで
今日
取り上げました。
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しかし、
ここ数日、
著名人の訃報が続いていますねぇ。
夏だし、
新型コロナの感染爆発で
医療体制だけではなく、
いまだと
社会体制まで
逼迫しつつあるので。
通常だったら
利用できていた諸々のサービスが
利用できなくなっていて。
これは
目立たないのですけど、
長期にわたると
日々の生活に
ジワジワとボディーブローみたいに
効くんですよねぇ。
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ただ、
この方の訃報については
先のお二方とは異なり、
『ついに来たかぁ』と
ストンと受け止められました。
長年
司会を務めていた
NHKの看板番組
『バラエティー生活笑百科』の司会を
後進に譲った時期に
体調不良で
かなり重い病気を煩っている事実が、
メディアに
色々と取り上げられていましたから。
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私的に
復帰を願っていたのですが、
残念です。
この方の体調が万全なら、
上方落語協会の会長に座って
10年、20年と、
上方落語を引っ張って
『当代一の名人』として名を残したはずなのに。
いよいよこれから
並ぶ物なし、というときに。
病気のために
表舞台から遠ざかってしまったんですよねぇ……
一落語ファンとして
もう一度
あの、
肩肘張らない世間感覚の『話』を
聞きたかったのですが、
本当に残念です。
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ご冥福をお祈りいたします。
「まぁーるくおさめまっせ」笑福亭仁鶴さん死去
昭和40年代以降の上方のお笑い界を牽引(けんいん)してきた落語家の三代目笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく=本名・岡本武士=おかもと・たけし)さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で死去した。84歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
大阪市出身。初代桂春団治に憧れ、素人参加演芸番組に出演するなど落語家を目指す。六代目笑福亭松鶴(しょかく)に入門。ラジオの深夜番組で、「どんなんかなー」「うれしかるかる」といったギャグを織り交ぜ、早口ではがきを読み上げるスタイルが若者の評判になった。
昭和40年代半ばには、所属する吉本興業の各劇場をはじめ、毎日放送「ヤングおー!おー!」など、テレビ番組や映画で活躍。母親へのエールを込めた楽曲「おばちゃんのブルース」は多くの人に愛された。
50年代にのどを痛めてからは、テレビ出演を大幅に減らしたが、初代春団治の「爆笑落語」のにない手として、「貧乏花見」「初天神」「池田の猪(しし)買い」「向(むこ)う付(づ)け」といった落語のレパートリーの幅広さは、やはり「爆笑王」と呼ばれた故桂枝雀とともに同世代の追随を許さなかった。
昭和60年に始まった「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせー」のセリフで知られたNHK「バラエティー生活笑百科」や、読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」に長年出演。平成17年には、数多くの功績から吉本興業の特別顧問に就任した。