kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お疲れサマでした ―― 大相撲 横綱 白鵬 現役引退の意向固める

世間とか
テレビの中の人には
かなり悪し様に言われていますけど。
私的には、
この人はやはり相撲史に名を残した
『名横綱』だと
そのように評価しています。
って、
私みたいな素人が評価するとか、
おこがましいんですけどね。



横綱審議委員会からは、
たびたび
素行の悪さが問題視されてきました、
けどさ。
歴代の日本人横綱と比べて、
飛び抜けて悪行だったのか、
と比べてみると。
あまり変わらないんですよねぇ……
なんだかんだで、
素行が悪い人ばかりなんですよw
ただ、
この人の場合、
一人横綱時代が長くて。
さらに
日本人横綱不在の時代に
角界の頂点に立っていたのが
この人でしたから。
どうしても風当たりが強くならざる得なかった……
と。
横綱って、
ミスを認めたら引きずり下ろされてしまって。
他の幕内力士とは異なり、
降格処分というものが存在しませんから。
横綱から下りるときは、『引退』だけですからね。
なので、
ミスも認められない。
そんな状況が
14年も続けば。
色々と不都合も出てきますよ。
私的には、
そんな風に見ています。



あと、
休場問題については。
この人に限らず、
他の横綱十両以上幕内力士にも休場が多くて。
これはやはり
横綱が悪いのでは無くて
年4場所から6場所に、
場所数を増やした悪影響でしょう。
今の取り組みスケジュールだと、
怪我を治して
十分な休養をとって
心身をケアする余裕がない。
それで、
久しぶりに誕生した
日本人横綱が、
無理を押して出場して
そのまま
怪我が悪化して再起不能となり
引退した事例がありますし。
あの後から
白鵬に限らず
横綱陣の休場がやたらと増えたような気がします。
この辺は、
力士側に全部の責任をおっかぶせて、
力士個人の超人的な献身で取り繕っている
今の
場所組を改めて。
従来の4場所に戻すか、
それとも
巡業を減らすとか。
なんらかの
抜本的改革が必要だと思いますよ……



って、
白鵬の引退記事にブックマークを付けたのに。
書いている内容が
白鵬の見せてくれた取り組み観戦思い出話ではなくて。
今の相撲界への愚痴ばかりだというw
なんで
こんなヨタ書きになってしまうんだ、と考えてみると。
この人、
白鵬って、
日本の相撲界が旧態依然のママ、
ついには根腐れてしまって、
世間から政府からきつく糺弾されて
興業すら打てなくなってしまった。
その時期から今まで、
横綱として
ひたすら真面目に相撲を取り続けて、
土俵を守り抜いてきた。
そういう
日本の相撲をなんかと繋げてきた功労者なんですよ。
角界が金の不祥事で、
地に落ちて。
グダグダに崩れてバラバラに砕けてしまいそうな時に、
大黒柱として
土俵のウチで外で綱を張り続け
ブレない芯を通して踏ん張っていたのが
この横綱白鵬でした。
この人が居なかったら、
日本の相撲は今の形を保てず、
もっとグダグダのバラバラに壊れていたはずです。
そういうところが
もっと評価されていいと思うのですけど。
そういう話は、
白鵬の経歴の中で
ほとんど取り上げられないんですよねぇ。
日本の角界の汚点だからかな。

 

 

www3.nhk.or.jp

 

大相撲 横綱 白鵬 現役引退の意向固める 史上最多45回優勝

2021年9月27日 5時19分
大相撲で史上最多となる45回の優勝を果たした横綱 白鵬が現役を引退する意向を固めたことが関係者への取材でわかりました。
“今後本場所横綱として15日間土俵を務めることはできない”
白鵬は、右ひざの手術の影響などで休場が続き、去年の11月場所後に横綱審議委員会から「休場があまりにも多い」として「引退勧告」の次に重い「注意」の決議を受けていました。ことし3月の春場所は、再び右ひざのけがで3日目から途中休場して場所中に手術を受けました。
白鵬は、7月の名古屋場所に進退をかける意向を示し、リハビリとともに土俵上での稽古を再開したうえで、6場所連続休場から復帰しました。その名古屋場所では、初日から連勝を重ねて史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしました。
直後のNHKの取材に対して「体もあちこちぼろぼろだ。先のことはゆっくり考えたい」などと話していて、秋場所に向けた合同稽古に姿を見せたもののその後、同じ部屋の力士が新型コロナウイルスに感染したため秋場所は初日から休場していました。
関係者によりますと、白鵬は痛めた右ひざの状態などから、今後本場所横綱として15日間土俵を務めることはできないと判断し、現役を引退する意向を固めたということです。
また、白鵬はことし5月には、年寄名跡を取得していますが、親方になるための正式な手続きは近く行われる見通しだということです。
白鵬はモンゴル出身の36歳。15歳で宮城野部屋に入門し、天性の体の柔らかさに厳しい稽古による力強さや卓越した技を兼ね備え、平成19年夏場所後に69代横綱に昇進しました。
通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所でいずれも史上最多を記録していて現役生活20年で大相撲の記録を次々と塗り替えてきました。
おととし9月には日本国籍を取得し「強いお相撲さんを育てることが1つの恩返しだと思う」と話し将来は親方として後進の指導に当たる意向を示していました。

決断に至る背景は 
平成27年初場所で33回目の優勝を果たした白鵬は、優勝回数で昭和の大横綱大鵬を抜いて以降は、本場所ごとに優勝回数や通算の勝ち星数などみずから目標を設定してモチベーションを維持する状況が続きました。
そのころから白鵬は「取って変わるような若手が出てくれば自分は退く」と周囲の関係者に口にするようになりました。
しかし、白鵬のあとを追って横綱に昇進した日馬富士と、鶴竜、それに稀勢の里の3人は、いずれも白鵬よりも先に現役を引退し、台頭する若手も脅かす存在までには至りませんでした。
優勝や勝ち星に関わる記録のほぼすべてを塗り替えてきた白鵬は、ここ数年、「東京オリンピックを現役として迎える」ことを目標の1つに挙げてきました。モンゴル相撲の英雄で、レスリングでも前回の東京オリンピックに出場した父のムンフバトさんと同じ舞台に関わりたいという思いが理由でした。
その思いの影には、ライバル不在の状況が続く中で、土俵外のことに目標を定めるしかモチベーションを維持する方法がなかった白鵬の心情が見て取れます。
しかし、ここ3年はけがによる休場が目立つようになりました。両ひざに加えて、足の親指などを相次いで痛め、満身創いの状態となります。
それでも、休場明けの場所で優勝するなど健在ぶりを見せてきましたが、去年11月場所までの12場所のうち8場所を休場。横綱審議委員会から「休みがあまりにも多い」として「注意」の決議を受けました。
4場所連続で休場したあと、ことし3月の春場所には出場しましたが、右ひざの痛みから3日目から休場し右ひざの2回目の手術を受けました。
ひざの皿の裏にある軟骨の損傷した部分をなめらかにするなどの処置を受けた白鵬は、その後、軟骨の再生医療を取り入れ、4月からはひざの周りの筋肉を刺激して強化するリハビリを行い、6月には土俵上で相撲を取る稽古を再開しました。
7月の名古屋場所直前には関取の炎鵬などとも申し合いを行って調整し、急ピッチな仕上げで復帰の場所を迎えました。
場所前には、複数の関係者に名古屋場所で15日間相撲を取りきることに強い覚悟を示していたほか、宮城野部屋の宿舎に飾られた七夕の短冊にも「15日間取り切る」と書き、相撲人生をかけて場所に臨みました。
序盤は、危ない場面もありながら、持ち味の対応力と素早い相撲で勝ち星をあげ、中盤以降は力強く寄り切る相撲も見せて初日から連勝しました。
一方で、本来は右足で踏ん張り左足から踏み込むのが白鵬の立ち合いですが、今場所は、手術した右足への負担を考慮してか、すべて左足で踏ん張って右足から踏み込んでいました。
関係者によりますと、場所中も毎日、取組後には右足を中心に入念なケアを受け、疲労をためないように、朝稽古で稽古場に降りない日もあったということです。
こうしてすべてをかけて臨んだ復帰場所で全勝優勝を果たし、みずからこだわったきた強い横綱としての貫禄を示すことができたと判断し引退を決断したものとみられます。

記録ずくめの相撲人生
通算勝ち星、幕内での勝ち星、通算優勝と全勝優勝の回数、横綱在位、いずれも白鵬が歴代1位です。
通算の勝ち星は、平成13年春場所初土俵から積み重ねた1187勝。2位、大関 魁皇の1047勝を大きく上回り断然トップです。
幕内での勝ち星は1093勝。幕内の通算出場は1282回で、歴代8位にとどまる中、幕内での勝ち星は、ただひとり1000勝を超えていて、勝率は8割5分と非常に高い率を誇っています。
6年前、平成27年初場所では33回目の優勝を果たし、昭和の大横綱 大鵬の32回の優勝回数の最多記録を44年ぶりに塗り替えました。
最後の優勝はことし7月の名古屋場所で、最多記録を45回にまで伸ばしました。このうち15戦全勝での優勝は16回、双葉山大鵬の大横綱2人の通算8回の2倍となる歴代1位です。
さらに、平成22年春場所から平成23年5月の技量審査場所まで7場所連続優勝の記録も横綱 朝青龍と並ぶ歴代1位です。
朝青龍が引退した平成22年には、初場所から九州場所にかけて、双葉山の69連勝に次ぐ歴代2位の63連勝を記録しました。
さらに平成21年と22年は、年間6場所、90戦のうち86勝し、年間で4回しか負けないという圧倒的な強さを2年間も見せつけました。朝青龍が平成17年に記録した年間勝利数の84勝を上回るこちらも歴代1位の記録です。
秋場所の時点で幕内に103場所在籍、歴代1位、魁皇の107場所まであと4場所まで迫っていました。このうち横綱在位は84場所、横綱在位中の出場回数は1019回、さらに横綱在位中の勝ち星899勝、これらも歴代1位でまさに記録ずくめの相撲人生でした。

親方になるための審査は 
力士が親方になる際は、通常105ある「年寄名跡」のいずれかを取得したうえで、相撲協会の「年寄資格審査委員会」に襲名を認められなくてはなりません。
白鵬は、ことし5月に年寄名跡を取得していますが、襲名が認められるかどうかは秋場所後の「年寄資格審査委員会」で議論されることになります。
白鵬は過去に取り口や言動が繰り返し批判を集めているだけに議論に影響することも考えられ、親方になることが承認されるかどうかが今後の焦点となります。
一方、白鵬が親方になるにあたっては「一代年寄」が認められるかも注目されていました。成績や功績が特に優れている横綱の場合、しこ名のまま親方の資格を得る「一代年寄」となることが認められてきました。
これまでに大鵬北の湖、それに貴乃花の3人が認められていて、白鵬もかねてから一代年寄への希望を口にしてきました。
ただ、ことし4月、相撲協会が大相撲で守るべき規範を検討するために設置した有識者会議が提言をまとめ、その中で一代年寄について「名乗りを認める根拠は見いだされない」などと否定的な見解が示されました。
こうしたことから一代年寄が認められる可能性は低いとみられています。

 

 

www.yomiuri.co.jp

 

苦難から始まった相撲人生・被災地慰問・言動に物議も…一時代築いた白鵬、引退へ

 大相撲でともに歴代最多の横綱在位84場所、優勝45回を誇る白鵬関(36)が現役引退を決断したことが明らかになった。14年以上もの間、番付最高位として土俵に君臨し、数々の大記録を打ち立てた一方、物議を醸す言動で品格を問われることも少なくなかった。前日の26日には白鵬関が休場した秋場所千秋楽でモンゴルの後輩でもある照ノ富士関(29)が新横綱場所で賜杯を手にしたばかり。大横綱の引退により、角界の「新旧交代」は強く印象づけられた。
 東京都墨田区宮城野部屋では27日朝、場所終了直後で朝稽古はなく、力士の出入りもまばらだった。引退が正式に発表されていないこともあり、師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)は取材には応じなかった。
 15歳で来日した白鵬関の相撲人生は苦難から始まった。体重60キロ余りだった当時は白鵬関を受け入れてくれる部屋が見つからず、宮城野部屋に拾われる形で入門した。2001年春場所初土俵で、序ノ口の番付に載った翌夏場所は黒星スタート。3勝4敗の負け越しだった。それでも素質を開花させて急成長し、18歳で関取になり、06年夏場所で初の幕内優勝。22歳だった07年夏場所後に第69代横綱に昇進と順調に出世した。
 白鵬関の功績として際立つのは、ライバルだった朝青龍関が10年初場所を最後に引退後、一人横綱として角界を背負い続けたこと。野球賭博問題で相撲人気が低迷する中、同九州場所では双葉山が持つ69連勝の記録に63まで迫った。八百長問題で春場所の中止を経て開催された11年5月の技量審査場所では、最多の7連覇。不祥事のさなかで大相撲の屋台骨を支えた。土俵外でも自身の誕生日に発生した東日本大震災の復興支援に力を入れ、被災地への慰問を行い、会長を務めていた力士会として土俵を寄贈する取り組みも主導した。
 一方で実績を積み上げるにつれ、横綱らしからぬ言動が目立つようになった。33度目の優勝を果たした15年初場所後には「子どもが見ても分かる相撲」と審判への不満を公然と口にしたほか、17年九州場所では黒星の軍配に納得せず、手を上げて立ち合い不成立をアピール。優勝した後の表彰式の最中に観客に万歳三唱や三本締めを促し、大相撲の伝統美に反する振る舞いを見せたこともあった。今年名古屋場所千秋楽の照ノ富士関との一番では、かち上げや張り手でなりふり構わず白星をつかんだ姿勢が批判の的となった。
 数々の金字塔でも負の側面でも、相撲ファンの記憶に刻まれた白鵬関。大相撲の一時代が、 終焉(しゅうえん)を迎える。