kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔やみを申し上げます ―― 「劇画の帝王」漫画界に旋風 さいとう・たかを氏死去

一昨日、
突然に公表された訃報でした。
この方、
かなり以前から
ご自身の体調について
周囲にアレコレと語っていましたので
ファンの間では
それなりの覚悟が出来ていて。
比較的冷静に受け止められていましたけど。
それでも、
マンガ業界、サブカル関連に従事する者にとっては。
衝撃的な報告でした。



訃報に際して
この方の業績について
メディアがアレコレと書き立てていますね。
私的には、
やはり『劇画』という
大人向けの
新たなジャンルを切り開いて確立した事。
これが
この方の最大の業績だと
感じています。
何より凄みを感じてしまうのは、
黎明期に
どこの出版社でも取り扱って貰えないので。
『それなら俺が自分で出版してやる』と
一念発起して
劇画を扱う出版社を設立してまで。
自ら決めた道を驀進した、
その決断力と実行力と。
並の人間、
凡人の及ぶところではありません。
そして
この出版社が
単なる
さいとう・たかおの出版所で終わらず。
それまで
少年、少女漫画が中心だった
マンガ雑誌業界の中で
『時代劇マンガ』という新たな市場を確立して、
次々に
新たな作品を
世の中に提供している、という。
また
画業においても、
早くから
分業制=プロダクション制を確立したり。
と、
ある意味
それまでの
作家個人の才覚で成立して
家内手工業制的だった
マンガの世界に。
『産業』としての視点を持ち込んで、
それを
どんどん推し進めて。
『マンガ家』という作家世界、業の枠を
作品を作るところからユーザーに届けるところまで、
大きく拡げて。
そのための
『種』を絶えず撒き続けてきた。
最期まで
歩みを止めなかったパイオニアでした。
それは単なる
一作家の業績でありながら、
そこにとどまらず
業界そのもの在り方にまで大きな影響を与えました。
活動としては
『劇画作家』という形になりますが、
マンガ史の中で俯瞰した時
手塚治虫』に並ぶ功績だと、
私的には
そのように感じています。



あと5年、
この方が生きていたら。
さらに
新しい何かが出てきたかも知れません。
そういう
可能性が消えてしまった事が
本当に残念です。



ご冥福をお祈りいたします。

 

 

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「劇画の帝王」漫画界に旋風 さいとう・たかを氏死去

「ストーリーとしては単純。10話程度で終わるつもりだった」。24日に亡くなった漫画家のさいとう・たかを氏は以前、自らの代表作「ゴルゴ13」についてこう語っていた。だが、イデオロギーに左右されず、徹底した自己管理を貫いたうえで任務を粛々と遂行する主人公・デューク東郷の生き方は、多くの現代人を魅了。現実の国際情勢を深掘りした内容は本職の政治家をもうならせるほどで、累計発行部数が3億部を超える大ヒット作となった。
最大の功績は、当時の少年漫画とは一線を画し、大人も読める「劇画」という一大ジャンルを確立したことだ。かつては「子供のためのもの」と思われていた漫画。その中にあって自ら「劇画家」を名乗り、海外のマッチ箱や電話ボックスを描く際にも資料を取り寄せ、徹底的にリアルに描写した。「劇画の帝王」として漫画界に旋風を巻き起こし、漫画読者層の裾野拡大に大きな貢献を果たした。
プロ意識の高さでも知られた。「漫画は一人で描くもの」との常識をくつがえし、脚本や作画などそれぞれのプロに分業する制作システムをいち早く始動。締め切りを厳守し、半世紀超にわたる「ゴルゴ13」の歴史の中で休載は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた昨年の一時期だけ。長年の盟友、ちばてつやさんは「さいとうさんはゴルゴよりすごい」と語っていた。
「体力が持つ限り描き続けたいです。『ゴルゴ13』は私の作品であると同時に、読者のものでもありますから」。今年7月の書面インタビューで、こう意気込んでいたさいとう氏。今月には202巻が刊行され、世界記録を積み増した矢先の急逝となった。だが、その遺志は制作スタッフらに引き継がれている。「ゴルゴ13」の物語はこれからも続く。