kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

続々・もう少し戦争を勉強してください ―― いったい何が問題だったのか。

さて、
この件について書くのは
今回で3回目です。
既に
書きたい事は
昨日、一昨日2回のヨタ書きで
ある程度
書いてきました。
ただ、
それで色々と誤解されると嫌なので。
補足しておこうと思い、
『問題のまとめ』的に
このヨタ書きを記していきます。



まず、
私は
今回炎上してしまったインタビューの問題点は、
昨日のヨタ書きでも指摘したとおり、
番組制作側、
そしてインタビュワーとなった櫻井翔氏の能力不足、
この点に尽きると思います。

戦時中というのはもちろんですけど
 アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?

この質問内容が失礼、無礼、
だとか。
私は、
今回の問題を
そのようには考えていません。
兵士に、
人を殺したと感じているか?』と尋ねること自体、
失礼だとも無意味だともタブーだとも
考えていません。
今回は
インタビューとして見た場合
ただただ
質問の仕方、会話の流れ、番組の構成すべてが稚拙すぎた。
その結果、
番組の中で
意味不明な質問になっていた。
それゆえに、
視聴者を不快にさせて炎上した、
今回の炎上は
そういう結末、結果であって。
ひとえに
番組制作側とインタビュワーの自業自得で。
ここは
庇いようがない。庇う必要も無い。



では、
なぜそのように言い切れるのか。
今から
その理由を説明していきます。
おそらく、
このヨタ書きを読んでから。
昨日、一昨日に書いたヨタ書きを読んでいただけると、
何が問題だったのか。
私の見ていた問題点がハッキリ理解して貰えると思いますね。
順序的には、
まずこれから先に書いて
世に出すべきだったかもしれません。
ただ、
このヨタ書きブログは
推敲なしの勢いで書いてますからw
そこは
ご容赦ください。
で、
今回の炎上騒動で原因となった
戦時中というのはもちろんですけど
 アメリカ兵を殺してしまったという感覚は?
これについて、
兵士として真珠湾攻撃に参加して
アメリカ兵、アメリカ人を殺す覚悟、実感があったのか。
という視点での答えなら。
実は、
元搭乗員の吉岡正光さんは、
番組の中で
すでに答えを述べているのです。
そこを抜粋すると、
VTRの問題の質問を出した場面よりも前に、

これは大戦争でおまえたちは死んでくれ
 ということだなと
 要は決心しなくちゃならない。
 23歳の若造が死ぬということを決心する
 ということは大変なことですよ


ご自身の言葉でハッキリ述べている場面があります。
ここで述べられた
『死んでくれ』
『死ぬということを決心する』
とは

これから
『戦争』という『殺し合い』を始めるから。
アメリカ人を殺すし、
自分も殺されるかもしれない。
そういう場所へ飛び込む覚悟を決めて参加した。

と。
言外に、
当時の心情を。
アメリカ兵と殺し合いをする覚悟があった、
その感情を
吉岡さんの言葉で語っているんです。
だから
その後で、
アメリカ兵を殺した事実について、
当時を振り返ってどのように感じていたのか、感じているのか問いたいのなら、
ここの話題から
話を繋げて広げていくべきでした。



でも
番組の中では
問題となった質問を
ここの話題とは繋げていません。
戦場での様子を尋ねる中で、
唐突に持ち出してきます。
そうなると、
質問を受けた
元搭乗員の吉岡さんとしては、
『戦場で、その時どう思っていたのか』と尋ねられた、と
受け止めるしかないわけです。
話の流れで当然そうなる。
それで……
悩んでしまった。
何故悩むのかについては、
一昨日、昨日のヨタ書きに繰り返し書いてきましたが、
兵士は戦場で
いちいちそんなこと考えていないし。感じていないから。
でも、
それは考えたり感じたりする余裕がないからであって。
余裕が出来れば、
考えたり感じたり、殺人の実感も出てくる。
この意識の偏り、極度の偏向とも言える
集中状態は、
戦場という環境に身を置いているから、
偶然、自然とそうなった、という物では無くて。
どんな状況下でも
目的達成にひたすら全集中できるよう、
意図的に
目的以外の事に意識を向けないように、
不必要な情報には蓋を被せて排除出来るように、
兵士として訓練している。
そういう影響も受けて形成されています。
こういった
戦場という
日常からは遠くかけ離れた『非常識な現実』での振る舞いを。
そんな世界、現実があることを
まったく想像出来ない、想像すらしていない、
目の前の人間に
いったい
どのように説明したら
誤解無く適切に伝えることが出来るだろうか、
と。
考えると、
まず無理です。
だって
現代社会の在り方と
『戦場』『戦争』の現実は
あまりにも状況が違いすぎるから。
このギャップを超えて語る内容を
正しく理解してもらうためには
必要な前情報が多すぎて。
それを知らない人に
二言、三言語って、
説明できるような内容じゃないんですよ。
そして、
ここで必要とする前知識を目の前の人間が持っているのなら、
この質問の無意味さ、愚劣さを理解して
もっと別の聞き方、
もっと別の機会、場面で、
すでに話していた内容と繋げて
聞いている人間が正しく理解出来るように、
回答者が正しく適切に答えられるように、
質問してくるはずですから。
それが出来ていない時点で、
質問者もしくは番組制作側が
必要な理解、情報を共有していない、って
赤裸々に伝わってきて悟ってしまいます。
だから
答えたご当人、吉岡さん自身、
これで適切に答えているのかどうか、
聞いた人が誤解無く正しく理解して貰えるかどうか、
自信が持てないけど
とにかく簡潔に答えてみた、という。
納得いかない、
不安が残る回答になる。そういう回答をした。
そういう
回答者、吉岡さんの感情の機微、苦悩が態度に出てしまっていて。
VTRに映し出されていた。
で、
それを見た視聴者は、
『納得できない回答をさせられた』
と、
回答者が
回答に悩んでしまった、その部分の感情を共有して。
番組の質問に否定的な印象を持ち、
憤りを感じて、
炎上したわけです。



ざっと
今回の炎上のメカニズムを
私なりに解説すると。
上記のような流れになります。
原因は
『質問の仕方が稚拙だった』
コレに尽きます。
本当にコレだけです。
『殺す』とか『殺される』とか『罪の意識』とか
これは
兵士にとってタブーではありません。
兵士にとっては
戦場を離れたら
嫌でも向き合わされる現実ですから。
今朝隣にいた戦友が
夕方には死んで肉塊になってしまった。死体も無くなった。
とか、
当たり前のように起きる中で。
それが
兵士にとっては
『死んだ』『殺された』『殺した』と、
意識する機会になるわけですよ。
だから
今回、解答された吉岡さんも、
その手の話を取り上げた事自体は、とくに問題視していないと思われます。
ただ、
話していて面白い話題ではないので。
人の生き死にに関わる内容ですから
思い出すだけでも気が滅入る、
アレコレと事細かに語りたくない。
けれども、
きちんと説明しないと、
正しく理解して貰えるか危うい。
話す方から見れば
七面倒くさい話題なんです。
そこの葛藤を乗り越えて、
体験者の生の声を引き出すのが、
番組制作側、インタビュワーの腕の見せ所なのですけど。
今回炎上した番組では
それが決定的に欠如していた、と。
それだけの話です。
人間の感情とか思索とか、って
首尾一貫徹底して一本筋が通っている、とか。
そんなことは
まず有り得ません。
だいたいは
モザイク状でバラバラなんです。
それぞれの話題とか記憶に結びついて、
細切れになっている。
それを一つところにまとめて見せようとすると、
どうしたって無理が出る。
不自然になる。
だから、
インタビューとかは、
細切れの言葉の中から、
全体が見えるように腐心するんです



炎上した番組で回答していた
吉岡さんは
東京新聞とか他の番組でもインタビューに答えていて。
それが動画になって
インターネット上に掲載されているので。
そちらにもブックマークを付けました。

 

www.youtube.com

 

youtu.be

 

他のインタビュー動画と
炎上したVTRを比較して見てもらえば、
炎上したニュース番組の制作者とインタビュワー櫻井翔氏が稚拙だった、
という
私の解説が納得してもらえると思います。
ただ、
単刀直入に聞けば回答が得られて
正しく伝わるものではないのです。
正しく伝えるためには
正しく言葉を聞き取るための
準備が必要だし、
説明も必要だし。
一言を
正しく聞くために、
他の言葉をたくさん聞いて理解しなければなりません。
それが無ければ、
間違った情報として『フェイクニュース』になってしまう
恐れすらあるのです。
これは
ジャーナリズムの基本です。
問題の番組は
その
ジャーナリズムの基本をおろそかにして
お粗末な伝え方をしました。
その結果、
番組を見ていた視聴者に
回答者の言葉が正しく伝わらず、
炎上したのです。



以下は
私の推察になりますけど。
今回インタビューを受けた
吉岡さんは、
炎上した日本テレビだけではく、
他のテレビ局とも同様のインタビューを受けていて。
回答内容は、
大筋で同じ内容になっています。
今回問題となった日本テレビの番組で
喋っている内容は、
他の局のインタビューとおおよそ同じです。
なので
質問の内容と回答に関して。
話す内容が
最初に取り決めされていて。
台本通りに進行していったのだろう、と推察されます。
その中で、
炎上した質問だけ、
当初
台本で示されていた質問の文言とは表現が異なっていた。
質問内容は同じなのだけど、
言葉尻をその場で変える。
これは、
『演出』として定着している手法で。
回答者の素の表情を引き出す時に、用いられる事がある演出です。
質問の意図、内容は台本と変わっていないので
ギリギリ許容される(許して貰えない場合もあります)手法ですね。
それを
問題となった場面で用いたのではないかな。
もしくは、
台本では
さらに幾つか質問が挟まっていた物をすっ飛ばして、
結びに置かれた
まとめの質問を
いきなりぶつけてきた、とか。
これも
当初の予定を端折っただけで大筋では変わりませんので
『演出』として良く用いられる手法です。
そこで、
突然、
予定に無かった言葉が飛び出して、
聞いていた
吉岡さんは面食らった。
ただ、
当時を知らず、
兵隊を知らず、
戦場、戦争も知らない人には、
自分たちはこんな風に質問を浴びせられるべき人間に
見えるのだろうな、と。
そういう自覚もあったので。
質問の文言が変わってしまうと、
吉岡さんが意図していたのとは異なる受け取り方になるだろう、
自分の言葉は正しく受け止めて貰えないだろう、
と不安を持ちつつも、
当初の予定通り回答して
今回のインタビューをまとめた。と。
そんな
具合じゃないですかね。
このヨタ書きをまとめている最中に
他の局のインタビューと
問題の番組を
繰り返し見比べてみて。
そんな風に感じました。