kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔やみ申し上げます ―― 海部元首相が死去

この方、
首相在任当時は
あまり目立つような方ではなくて、
どちらかというと
存在感が薄いというか。
万事そつなく問題に対処して
出来る事はやるし。
出来ない事は先送り。
という、
本当に目立った功績がないなぁ、
というのが
私の印象です。
多分、
大方の印象も同じではないかなぁ。



ちょうどバブル末期の日本で、
『Noと言える日本』がベストセラーになった、
そういう時代で。
後に
東京都知事になった
石原 慎太郎氏みたいな、
ああいうアクの強いというか、
我の強い政治家が注目を集めていた
そんな世相でしたから。
とくに
大過なく八方美人的に物事を収める、
この方の言動を見て。
そんな風に感じてしまったのかもしれません。



ただ、
昨今
湾岸戦争当時の外交記録が、
機密保持期間を過ぎて公開され始めた中で。
当時のアメリカが、
日本政府に対して自衛隊の出兵を強く迫ってきた、
それこそ
日米同盟(というか安保条約)の破棄も辞さない勢いで
日本に要求してきた、という事実が明らかになるにつれ。
それだけの圧力を受けつつも
上手いこと、
問題を先送りにした
この人の政治力とは
非凡な物だったのだなぁ、と。
改めて
思い知らされました。
結局、
このときの、
湾岸戦争後の海上自衛隊掃海部隊ペルシャ湾派遣が
その後の
自衛隊海外派遣への端緒となるわけですが。
『戦争には参加しない』
『戦場には立たない』
と、
最初の一歩ではっきり示せたわけで。
これは
後々の流れから振り返ってみると、
非常に大きな『道しるべ』になっていました。
日本の方向性を決めた、
とも言える政治決断でした。
それが、
当時から30年以上経って。
ご本人が亡くなる直前に
世間に明らかにされるとか。
私みたいな凡人には
何かしら
運命的な物を感じてしまいます。



これまで
ありがとうございました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 

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海部俊樹元首相が死去 湾岸戦争対応で苦慮

 第76、77代首相を務めた海部俊樹(かいふ・としき)氏が9日に死去したことが14日分かった。91歳だった。関係者が明らかにした。葬儀は近親者で済ませた。
 愛知県出身。中央大専門部法科、早稲田大法学部を経て、昭和35年の衆院選に29歳で初当選。連続16回当選。自民党では三木派(現麻生派)に所属し、三木武夫元首相の「秘蔵っ子」として台頭。文教族として活躍し、51年に文相で初入閣した。
 平成元年8月、「リクルート事件」による政治不信が高まる中、クリーンなイメージが支持され、昭和生まれ初の首相に就任。水玉模様のネクタイを愛用することで知られた。
 3年1月に湾岸戦争が勃発し、停戦後に海上自衛隊の。一方、多国籍軍への多額の資金提供は国際社会の評価が低く、後に自衛隊海外派遣の法整備を見直すきっかけとなった。
 3年9月に衆院小選挙区比例代表並立制を柱とする政治改革関連法案が党内の反対で廃案となると、「重大な決意」と発言。衆院解散を決断したが、党内の猛反対を抑えられず断念、同年11月に退陣した。在任期間は818日。
 6年に社会党村山富市委員長(当時)の首相指名に反発し、自民党を離党。首相時代の自民党幹事長だった小沢一郎衆院議員(現・立憲民主党)らと新進党を結成し、初代党首に就任した。その後、自由党、保守党などを経て15年に自民党復党。21年の衆院選で落選し、政界を引退した。議員生活は約49年に及んだ。