kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

一時代の終わり…… ―― 羽生結弦、第一線を退きプロに転向

今年2月の北京オリンピック
フィギュアスケート競技が終わった直後から、
この日が来るだろう、
とは思っていましたけど。
どうして今なのかなぁ……
いよいよ
今冬のスケートシーズンが始まる前に
気持ちの整理をつけたのか、
とか。
これだけの実績を持つ人が身を処するとなれば、
周りに付いている人も大きな影響を受けるわけで。
それらを全部調整して片付けるのに、
半年近くの時間が実用だったのか。
とかとか、
色々と考えさせられた出来事でした。

 

 

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羽生結弦、第一線を退きプロに転向「これからも4回転半の挑戦は続ける」

 フィギュアスケート男子で五輪2連覇を果たし、国民栄誉賞を受賞した羽生結弦(27)(ANA)が19日、都内のホテルで記者会見し、「プロのアスリートとしてスケートを続けていく。今後は競技会に出るつもりはない」と述べ、競技の一線から退くことを明らかにした。アイスショーなどに出演するプロスケーターに転向する。
 仙台市出身の羽生は、五輪初出場だった2014年ソチ大会で日本のフィギュア男子初となる金メダルに輝くと、18年平昌(ピョンチャン)大会は右足首のけがを克服し、男子で66年ぶりとなる五輪2連覇を遂げた。今年2月の北京五輪は4位だったが、フリーでこれまで誰も成功したことがないクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑戦し、国際スケート連合(ISU)公認大会で初めて認定された。
 記者会見では五輪について「夢を追い続け、頑張り続けたと証明できた場所」と表現し、「スケート=生きているというイメージ。もっと難しいことをやりたいという気持ちだけで頑張ってきた」と競技生活を振り返った。「これからも4回転半を含めて挑戦を続ける」と、引き続きクワッドアクセル成功を目指すことを宣言し、「羽生結弦らしく全力でスケートし、全力で努力を続け、全力で結果を求めていきたい」と力強く抱負を語った。 羽生は11年3月、仙台市内で練習中に東日本大震災に遭い、避難所生活も経験した。被災地を毎年のように訪問して寄付などを続け、18年には被災者支援に取り組みながら五輪連覇を成し遂げたとして、個人としては最年少の23歳で国民栄誉賞を受賞した。20年には四大陸選手権で初優勝し、ジュニアとシニアの世界選手権を含めた主要国際6大会を全て制する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。