今朝、
速報で入ってきた不法ですけど、
時期が時期なので……
色々と勘ぐりたくなってしまいますねぇ。
モスクワの病院に入院されていたそうなのですが、
死因が明らかにされていませんから。
ただ、
御本人の年齢が年齢ですし、
長期にわたって闘病生活を続けられていたそうで。
大往生、と言うべき結果なのかなぁ。
・
・
・
この方、
旧ソ連とその勢力圏に民主主義を持ち込んで、
東西冷戦を終結させた、
という。
その功績で
西側では
非常に評価が高く持ち上げられていますけど。
私などは
リアルタイムで経験してきた世代ですけどね。
冷戦終結、
ベルリンの壁崩壊は、
間違いなく歴史の転換点でした。
ロシア=旧ソ連が
西側諸国とおおっぴらに取引するとか。
以前なら
考えられない状況ですからね。
でもそれは、
旧ソ連、
東側諸国勢力圏に住む人たちから見れば、
ソ連勢力圏が
資本主義社会に組み込まれてしまった
敗者の歴史でもあるわけで。
『自由』と引き換えに、
失ったものも多く。
とくにロシア国内では
この方は
『ソ連邦を崩壊させた主犯』として、
一部の人たちからは
『国賊』『戦犯』『西側のスパイ』扱いされていて。
一時は
亡命を考えなければならないほどでした。
というか、
一時期
行方が判らなくなっていましたし。
それで、
大統領として活躍していた当時と比べて、
人相が大きく変化しているので。
『影武者』説とか、
いまだに耐えません。
・
・
・
ただ、
人相などの変化については、
これは
年齢と病気?が原因なのか
頬とか下顎がムクんだように
肉付きがよくなっているのと。
それから
眉が薄くなって
ほとんど見えなくなってしまったために。
面相の印象が大きく変わってしまったのが
原因だと思われます。
・
・
・
そんなふうに
容貌が大きく変わってしまうほど
ストレスフルな半生だったんでしょうねぇ……
ご冥福をお祈りいたします。
ロシアの複数の通信社によりますと、旧ソビエトの最後の指導者で東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ氏が、30日、モスクワ市内の病院で亡くなったということです。91歳でした。
ゴルバチョフ氏は、1931年、ロシア南部で生まれ、共産党の要職を歴任したあと1985年、54歳で、ソビエトの最高指導者にあたる書記長に就任しました。
書記長として、▽ペレストロイカと呼ばれた政治改革や▽情報公開を意味するグラスノスチなど、閉鎖的な社会を民主化する政策を進めました。
外交政策でも、欧米諸国などとの対立の緩和を目指す「新思考外交」を掲げ、社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化や東西ドイツの統一を容認したほか、対立が続いていた中国との関係を正常化しました。
さらに、アメリカとは核軍縮を進め、1989年12月、当時のブッシュ大統領とともに東西冷戦の終結を宣言しました。
こうした功績が評価され、1990年には、ノーベル平和賞を受賞しました。
また、ゴルバチョフ氏は1990年には、共産党の一党独裁体制を廃止して大統領制を導入し、最初のソビエトの大統領となります。
しかし、民主化を進めた結果、ソビエトを構成していた共和国で独立の機運が高まり、1991年12月、ソビエトは崩壊。
ゴルバチョフ氏は求心力を失い、政治の舞台から退きました。
ゴルバチョフ氏は、近年は、プーチン政権の統治手法が強権的だと懸念も示していました。
2021年10月には政権に批判的な報道を貫いてきた新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル平和賞に選ばれたことをうけて「報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価する声明を発表していました。
また、ソビエトが崩壊して30年となる去年(2021年)12月には、ロシアの通信社への書面インタビューで「核兵器やヨーロッパの安全保障などについて、ようやく真剣な交渉が始まった。難しい局面でも対話を中断してはいけない」として、ウクライナをめぐるロシアとアメリカの対立を念頭に双方が対話を続けることの重要性を訴えました。
そして、ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したことし2月には、ゴルバチョフ氏が代表を務める財団が声明を出し、「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし、存在しえない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」として、交渉による一刻も早い停戦の実現を求めていました。
一方、先月(7月)安倍元総理大臣が、演説中に銃で撃たれて亡くなったことについて、ゴルバチョフ氏は「安倍元総理大臣の死去の知らせに対して衝撃を受けた。ご遺族や日本の皆様に心からお悔やみ申し上げる」として、哀悼の意を表すコメントを発表していました。
ゴルバチョフ氏は、ここ数年は体調がすぐれず、病院で治療を受けていましたが、ロシアの複数の通信社は30日、モスクワ市内の病院の話として、「ゴルバチョフ氏は、長く苦しい闘病生活の末に今夜、亡くなった」と伝えました。
91歳でした。
晩年のゴルバチョフ氏ゴルバチョフ氏は、ここ数年公の場に姿を見せていませんでしたが、2018年11月首都モスクワで開かれたゴルバチョフ氏の活動を追ったドキュメンタリー映画の上映会に出席しました。
ゴルバチョフ氏は、関係者に手を支えられながら歩いて会場に入り、報道陣の呼びかけにこたえたり、握手を求める人たちに穏やかな表情で応じたりしていました。
また、2020年に公開された別のドキュメンタリー映画の中では、ゴルバチョフ氏は、亡くなった妻ライサさんの写真が飾られた部屋で周りの人に支えられながら静かに暮らす様子が紹介されています。
食事中に「ウォッカ」を求めたり、インタビューの中で冗談を言っておどけた表情を見せたりする姿もありました。
一方、ゴルバチョフ氏は、大統領職を辞任してからもロシアをめぐる情勢などについて国内外のメディアへのインタビューに応じたり、代表を務める財団を通して声明を発表したりするなど、積極的にメッセージを発信し続けていました。
2021年8月、ソビエトの崩壊につながったクーデター未遂事件から30年になるのに合わせて声明を発表した際には、みずからが推し進めた改革路線は正しかったとしたうえでプーチン政権を念頭に「民主主義的な道こそ唯一正しい道だ」と強調しました。
また、ゴルバチョフ氏自身も深く関わってきたロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル賞に選ばれた際には声明で「こんにちの世界における報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価しました。
そして、ムラートフ氏について「勇敢で誠実なジャーナリストだ」とたたえ、プーチン政権によるロシア人ジャーナリストへの暴力や脅しにもかかわらず、汚職や社会問題などを批判的に報じ続ける姿勢を貫くよう促しました。
ことし2月にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった際にはその2日後の26日に声明を発表し、即時停戦と速やかな和平交渉の必要性を訴えました。
声明では「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし存在しえない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」としてプーチン政権に対して強硬姿勢を改め交渉による事態の打開を求めました。