kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

コメ返し…… ―― 森喜朗氏胸像建立で募金集め

昨日
ニュース記事付けた
ブックマークに
短いコメントを書いたら。
それに
はてな☆を付けてくれた方がいましたので。
その
お礼をかねて。
私が書いたコメントのもう少し詳細な説明を書き足しておきます。



結局のところ、
身内で寄って集まって
胸像だけ作ったところでね。
森喜朗氏と同時代を生きてきた
いまの世代があの世に行けば
そんな物は
存在をすぐ忘れられてしまい、
無用の長物となってゴミとして捨てられるだけなんです。
何か
後の世に語り継ぎたくなるようなエピソード、
由来があって。
それが巷間に広まり根付き、
そんな風に
誰もが知っている『逸話』として残るような。
西郷隆盛とか伊達政宗みたいな、
世の中の変革期に出現して郷土を救った『英雄』とか。
忠犬ハチ公みたいな
国民的アイドル(偶像)とかね。
そうなれば
後の世に
語り継がれる逸話とともに名前が伝わって
『像』も生き残りますけど。
身内だけで盛り上がっても、
その身内がいなくなれば、
枠外の人たちにとってはただのゴミですから。
酷い言いようですけどね、
現実って
そんなものですよ。



そこで
考えるべきは
彼を知る人が居なくなった世に、
彼の人の功績をどのように伝えていくのか。
という、其の部分。
それは
後の世に生まれる
身内以外の人を取り込んで行かなければ
成り立ちません。
ならどうするのか、
といえば。
NPOみたいな、
非営利団体を立ち上げて
後の世の人の生活に直接影響を与える
持続可能な活動を継続できる組織を残す。
よくある前例だと、
学校とか鉄道とか図書館とか美術館とか、
そういう物を作って、
後の世に残す。
堤防を作ったり、水路を作ったり、
干拓事業を興したり。
産業を興したり、
とかとか、
そういう具体的な活動、遺産があって
それとセットになって
功績と胸像が後の世に生き残っていきます。



それでは翻って、
森喜朗氏の功績ではなくて
後世に残る遺産って一体何があるのか、
と考えてみたら……
何もありません。
いやもうパッと思い浮かぶ物が何も無い、
一つも無いんですよ。
たしかに、
功績ならいくつもあげられます。
けど、
後の世にまで残っていくような
『遺産』となると何もありません。、
強いて挙げれば、選挙地盤。看板。鞄くらい。
それ以外になると、
私が知る限りでは見当たらない。
語り継ぐべき寓話となるような、
そういう『逸話』もありません。
そんな状況で
胸像だけ作っても、
次の世代になったらゴミ扱いされるだけです。
次の世代に伝わり残っているのが
『胸像』だけなんですから。
胸像だけでは、
功績は何一つ伝わりませんからね。
事務所に飾っておく置物にしかなりません。



じゃあ、
どうすればいいのか。
と言えば、
独自の『遺産』が無いのなら今から作ればいいのです。
財団とか基金とか、
大きく構えた立派な物では無くて、
手弁当でほそぼそと活動する規模の小さなものでいいので。
原資は、
自民党議員とか
かつての派閥関係者に
一人頭10万円とか50万円とか
寄付してもらったら、
それなりの金額が簡単に集まる筈。
それを元手にして、
この先の数十年
社会奉仕活動が継続できるような、
そういう活動内容を選定して
組織を残せばいい。
さらに言えば、
最初から独立した組織とせずに、
大手財団の一部門として間借りさせてもらって
基金を設立して。
そこで、
実績を積み
実力をつけて規模を拡大し。
基盤を固めてから
独立一本立ちする、
という。
普通の人には無理ですけど、
顔が広く、
あらゆる方面にコネのある
森氏なら
そのような抜け道も使えるでしょうし。
そんなこんなで
社会支援というか、
スポーツ支援組織を立ち上げて、
この組織が活動している間は、
森喜朗氏の功績が延々と語り継がれていくわけです。
お金を集めるのなら、
こういう形で使うべきでしょ。

 

 

 

森喜朗氏胸像建立で募金集め 橋本聖子氏ら発起人「偉大な功績顕彰」:朝日新聞デジタル

センス皆無。名前を冠した奨学金財団とか作れよ。名前と功績が由来としていつまでも語り継がれるだろ。胸像なんてゴミと化すだけだけど財団の本拠地に置けば格好がつくし。日本人てこの手の運動ヘタだよな。

2022/09/07 21:14

 

森喜朗氏胸像建立で募金集め 橋本聖子氏ら発起人「偉大な功績顕彰」


 東京五輪パラリンピック組織委員会などの会長をつとめた森喜朗元首相の功績をたたえるため、政財界人の15人が発起人になり、胸像制作の募金活動が行われている。発起人らが知人を紹介する形をとっており、設置場所は未定だ。
 森氏は文部相や自民党幹事長などを経て2000~01年に首相を約1年間務め、12年に政界を引退。日本ラグビーフットボール協会会長など、スポーツ界の要職も多く務めた。14年に東京五輪パラリンピックの組織委の会長になり、21年2月に女性蔑視発言で辞任した。
 朝日新聞が入手した「森喜朗先生 顕彰胸像建立事業について」と題した文書では、日本ラグビー協会会長としてラグビー・ワールドカップ(W杯)の誘致に尽力したことや、東京五輪パラリンピックの招致やコロナ禍での開催の素地をつくったことなどを業績としてあげ、発起人による発案により、胸像を建立しスポーツ界における偉大な功績を顕彰しようということになった、としている。