kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

周回遅れだけど…… ―― 期待に応えた「背番号55」56号に三冠王

いやぁ、
この与太書きは
昨日掲載するつもりで書いていたんですよ。
本当な、
そのまま昨日の朝に掲載するつもりだったのに。
さて、
ネットにアップしようか、

作業を始めた、ちょうどそのとき。
テレビから
突然Jアラートの速報が入りまして。
なんかもうねぇ、
『村上宗隆選手三冠王オメデトー』
プロ野球史上最年少獲得スゲー』
とか、
はしゃいでいるような
空気ではなくなってしまって……(泣
なんでこうなった……(涙



取りあえず、
村上宗隆選手三冠王獲得おめでとうございます。
というか、
プロ野球ファンとして、
久々に
ワクワクするニュースなので大興奮ですよ。
一昨日はねぇ、
興奮しっぱなしでニュースを漁りまくって。
まともに
寝れませんでした。
それで、
そのままの勢いで
与太書きをまとめて。
朝になったら殴り書き記事を掲載しようと思っていたら。
まさか、
あんなことになるとは……
これも、
何かの因縁なのかな。って全く関係ないよね(苦笑



しかしまぁ
なんというか。
一時期はねぇ、
サクッと
シーズン56号ホームラン日本人選手新記録達成できるよねぇ、
と思っていたら。
まさか、
シーズン最終戦の最終打席で記録達成になるとか。
ハラハラしましたヨ、
もう本当に。
私は、
達成した瞬間を見ていて、
試合を見たのはそこまでで。
ヤッター!
って頭が沸騰して、
そこからは
試合観戦はそっちのけで
ネットとかで
ホームラン記録達成のニュースを読みあさって。
その後の試合結果とかは見ていませんでしたから。
まさか、
最終打席になるとか、
試合後の、
スポーツニュースではじめて知りました。
本当に
ギリギリだったんですねぇ。



あと、
22歳で最年少三冠王獲得というのも、
あとから
スポーツニュースで知りました。
ホームラン記録しか興味なかったので、
三冠王が獲れる打率とか打点とか記録しているのは、
何かの試合の解説とかで出ていてので
いちおう知識として知ってましたけど。
ここ最近は、
打席に立っても
まともに打ててなかったですから。
三冠王の方は無理じゃね、と。
そんな風に感じていました。
首位打者って、
例年のボーダーラインが3割3分とか
そのくらいでしたからね。
ちょっと厳しいかな、
運が良ければ行けるかも……って数字でしたから。
ホームラン記録に王手を掛けてましたから、
ホームラン王と打点は文句なし、ってのは
知っていましたけど。
首位打者がどうかなぁ……と。
ペナントレースの後半戦、
チェックしてなかったので
今年は
打率争い、あまり伸びてなかったのを知りませんでしたヨ。



何にしろ
めでたい! いやぁメデタイ!
来年のご活躍も期待してます!
今度は57号超えお願いしますよ!
そして、
ゆくゆくは60号も超えてください!

 

 

www.yomiuri.co.jp

ノムさん、1年目の村上に「王の記録破れ」…期待に応えた「背番号55」56号に三冠王

 22歳の若者が「世界の王」の記録を塗り替えた。プロ野球東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手が3日、レギュラーシーズン最終打席で56号本塁打を放ち、王貞治さんの日本選手のシーズン最多記録を更新。史上最年少で三冠王にも輝き、「背番号55」に託された周囲の期待に応えた。
 七回裏の第4打席。村上選手が初球を振り抜いた瞬間、約3万人が入った観客席からは、「ウォー」という大歓声が上がった。本塁打を確信してガッツポーズを繰り返す村上選手。舞い上がった打球は右翼席に飛び込み、総立ちのファンが大きな拍手で偉業達成をたたえた。
 村上選手は試合後、報道陣に「本当にホッとしました。試合に勝つ、打席で打つ、記録に挑むといういろんな重圧がありましたが、いい形で終われてうれしい」と語った。
 九州学院高(熊本市)の1年生のときに、夏の甲子園で早くも4番を任された。強打者の資質を評価され、2018年にドラフト1位でヤクルトに入団した。
 当時の監督だった小川淳司ゼネラルマネジャーが授けた背番号は55番。1964年にシーズン55本塁打の王さんにあやかった。背番号55番を背負って2002年に50本塁打を放った巨人の松井秀喜さんにも並び、追い越してほしいとの願いを込めた。
 入団後は打撃力を生かすため、守備の負担が大きい捕手から三塁手へ転向。不慣れな守備で目測を誤り、飛球をグラブにすら当てられないことも珍しくなかった。
 それでも地道に練習を重ね、1年目の春季キャンプでは、故野村克也元監督から「王の記録を破れ」と激励された。
 王さんを超える重圧からか、55号を放った9月13日から今月3日の試合前まで、13試合・57打席連続して本塁打がなかった。二軍時代から見守ってきた高津臣吾監督は、「シーズン最後の打席で56本目が出るなんて、なかなか漫画でも描けないようなことだけど、最後の1本を見事な一発で仕留めてくれたのが、今年のムネ(村上選手)を象徴するようなバッティングだった」と話した。
 神宮球場で観戦していたさいたま市浦和区、小学3年の男児(9)は「豪快なスイングがかっこよかった」と興奮した様子で話した。少年野球チームに入っているという男児は「今日の打撃を目に焼き付けた。いっぱい練習して、村上選手のようなプロ野球選手になりたい」と声を弾ませた。
 地元・熊本からも喜びの声が上がった。
 「最終打席で決めるとは物語のようだ。これまで苦しんでいたが、思い切り振り切り、やってくれた」。村上選手が中学時代に所属した熊本東リトルシニアで監督を務める吉本幸夫さん(66)は喜びを爆発させた。
 村上選手が中学校時代に練習していたのは、熊本県 益城ましき 町のグラウンド。右翼は80メートル以上で、高さ約10メートルのネットも張られていたが、村上選手の打球は軽々とネットを越え、近くの小屋の屋根に何度も穴を開けた。そのたび1年生が頭を下げて球拾いに来たが、拾いきれなかったボールが、今もバケツいっぱいに残る。
 この日、自宅のテレビで試合を見守った小屋の持ち主の浜田雅之さん(77)は「夢を見させてくれてありがとう」と興奮気味に話した。

 

 

www.sankei.com

村上一問一答「自分でもびっくり」

56号本塁打を放って三冠王に輝いた村上は、充実した表情で質問に答えた。

――ついに56号が出た
「手応えはばっちり。タイミングも合っていたので良かった。やっと出たなとほっとした」

――王貞治を超えた
「偉大な方の記録を破ることができて本当にすごくうれしいが、いろんな先輩方はもっとすごい偉業を成し遂げている。僕もこれから続けていくことが大事」

――シーズン最終打席で打った
「自分の中ではあまり最終打席だという思いはなかった。最後だからという気持ちはなかったが、結果的に最後の打席でホームランが打てたのは自分でもびっくりしている。最後のご褒美かなと思って素直に喜びたい」

――三冠王を獲得した
「実感は湧かないがチームも優勝でき、個人としてもいい成績を残すことができた。記録だったりタイトルだったり、達成できたのはうれしく思う」

――まだ戦いは続く
「日本一の連覇に挑戦できるのは僕たちしかいない。挑むべきところだし、そこだけはぶれずに頑張りたい」