kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔やみ申し上げます…… ―― 「YMO」高橋幸宏さんが70歳で死去

今回の
追悼的な与太書き、
本当は
昨日書き上げるつもりだったものでして。
いや、
もっと前に書き上げるつもりだったのですが。
なんというか、
どうにもまとめられなくて
ズルズルと
今日までかかってしまいました。



私は
高橋氏と直接面識はありません。
そもそも
高橋氏は
私が生きている事なんて知らないでしょう。
ただ、
私みたいな
小室世代、
そして、
ピコピコ・ゲームミュージックで生きてきた
世代にとっては。
高橋氏の『YMO』『ライディーン』は
避けて通れない道しるべ、なのです。
もう30年近く、
この業界の片隅で仕事をしてきましたけど。
DTMの初期は、
今みたいに
サンプリングで生音に近い音源を使いまくって。
オーケストラとかも簡単に再現できる、
そんな環境は無くて。
いかにも、
機械音的なシンフォニーというかハーモニーが特徴の、
シンセサイザー
ようやく実用化されてきた頃に。
それじゃあ
この楽器というか音源を使って、
どういう音楽を作っていくんだ……
と考えてきたわけですけど。
で、
その道の音楽スタジオのスタッフさんと
打ち合わせしていると。
まあ、
だいたい、
どの方も、
YMOとかT-SQUAREの洗礼を受けているわけですよ。
というか、
日本のテクノポップの系譜とか影響とか。
ゲーム音楽ってのは、
やっぱり、
その大きな流れの中から分岐して一つの形になってきている
わけでして。
根っこへと遡っていけば、
そこへ行き着くんですよねぇ。
 『SQUARE』をテクノポップ・ジャンルに分類しているのは
 長年、ゲーム音楽畑で生きてきた私の主観によるもので。
 これは世間一般の解釈と若干異なっています。
なので、
私みたいな場末の人間にとっては、
ある意味、
『お始祖サマ』みたいな方なんです。
そのような偉人の訃報に接すると、
しみじみと
考えさせられますねぇ……



こういう感慨は、
世代によるのでしょうけど。
私の場合、
小学生の時の学級発表会の演奏で披露したのが、
ライディーン』の合奏、という。
ちょっと遅れて生まれてきた世代。
当時のクラス担任がバンドマンでして。
音楽の授業にラジカセを持ってきて、
ライディーンを生徒に聞かせて。
さらに
パート毎に分けた譜面を自作。
キーボードとかギターなんて
当時の小学生では演奏できませんから。
リコーダーで2重奏とか3重奏とか4重奏とか……
ドラムは
小太鼓とシンバルですw
パート毎、
和音を単音に分解して、
単音をピッピッとリズムに合わせて鳴らし。
それを重ねて和音にする、
という力業。
演奏している方は、
メトロノームのリズムを見ながら、
譜面を読んで
ピーッ、プーッ、パーッ、って感じで。
リコーダーを吹くだけなので。
音楽にすらなっていないw
何をやっているのか、サッパリわかりませんw
でも、
全員で集まって合奏すると……
なんとなく
メロディーっぽい物が聞こえるんですよねぇ。
そんなハチャメチャな授業を受けたので、
いまだに覚えていますw
元は『ライディーン』でも、
最後まで
まともな曲にはなりませんでしたけど。
ただ、
オーケストラって、
こういう風にバラバラの演奏で成り立っているんだ、
と。
実感できたのが記憶に残っています。
とまあ、
今思い返してみると
そんな風に
子供の頃から影響受けまくっていました。



謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

www.yomiuri.co.jp

「YMO」高橋幸宏さんが70歳で死去、「ライディーン」作曲…誤えん性肺炎で

 人気グループのイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で活躍し、代表曲「ライディーン」を作曲したミュージシャンの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが11日、誤えん性肺炎で死去した。70歳だった。葬儀は家族葬で行った。2020年に脳腫瘍で手術を受けたと公表。療養生活を続けていた。
 東京都出身。1972年にサディスティック・ミカ・バンドにドラマーとして参加。78年には細野晴臣さん、坂本龍一さんとともにYMOを結成した。シンセサイザーを使った未来を感じさせる斬新なサウンドは、テクノポップと呼ばれ、ブームを巻き起こした。海外ツアーも成功させ、「ライディーン」を収録した79年のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」はミリオンセラーを記録。テクノと歌謡曲を融合させた83年のシングル「君に、胸キュン。」(YMO作曲)もヒットした。
 高橋さんは、切れ味鋭いドラムスに、情感豊かなボーカルでグループを支えた。デザイナーの顔を持ち、グループのファッション面もリード。メンバーが着用した「赤い人民服」は、鮮烈な印象を与えた。YMO以外にもソロや、鈴木慶一さんとの「ザ・ビートニクス」、原田知世さんらとの「pupa(ピューパ)」などのグループで作品を発表。俳優として大林宣彦監督の映画に出演するなど、幅広い活動で知られた。

 昨年9月、音楽活動50周年記念のライブが行われ、親しいミュージシャンが登場したが、高橋さん本人は出演できなかった。