このニュース、
昨日
判決が出た後
速報で報じられたのを
この与太書きブログで取り上げましたが。
その後、
日本国内の主要メディアでも大きく取り上げていて。
そこでの
取り上げ方が、
これを
日韓関係が改善する切っ掛けとなるのではないか、
という。
期待混じりの論調。
ほぼ、
どこのメディア媒体を見ても、
濃淡の差はあれど、
それ一色。
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ただ、
10年近く
韓国ウォッチを続けてきた
私の目からしたら。
今の時点で、
日本返還の判決が出た
↓
韓国が態度を変化させた
↓
日韓関係改善だ、
と見るのは
『早とちり』もいいところでして。
そもそも、
まだ
判決が出ただけで。
この内容を
韓国民が受け入れるのか。
韓国世論が支持するのかどうか。
それは
これからの話です。
ネットを覗いたら
この判決に
納得していない、というか。
怒りを感じている韓国民のコメントも
散見されますし。
日本は、
そこをきちんと見極めなければなりません。
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というか、
韓国にとって
今回の判決は取引材料の一つであって。
今回の判決を出して、
韓国は
日本に対して一つ譲歩したのだから。
日本は
韓国に二つ譲歩しろ。
徴用工の賠償金は日本が払え、
貿易管理の対応をホワイト国待遇に戻せ、
って。
そういう話が出てきますよ。
というか、
すでに
韓国で
このような話が出ています。
というか、
以前から
何度も出ています。
日本国民目線では、
守るべき法律=約束を守るのは当然であって。
韓国が
トンデモ理論を振りかざすのをやめたのは、
当然の対応であり。
直して当たり前。
譲歩でも何でもないのですが。
韓国民は
そのようには考えていませんから。
そこのギャップというか、
日韓間の意識の差を、
日本国内の主要メディアが
きちんと報道して
日本国民に周知させて欲しいのですけど。
この
認識の違いは決定的で。
ここが理解できていないと、
韓国と付き合いのは
到底無理なんですけどねぇ……
なぜか、
日本国内の主要メディアは、
そういう
一番肝心な内容を
一切報道しないんですよねぇ。
韓国司法「反日無罪」の流れに変化…盗難仏像判決、関係改善を後押し
【 大田テジョン (韓国中部)=溝田拓士】長崎県対馬市の観音寺から盗まれた仏像の所有権が、観音寺にあると認めた大田高裁の1日の控訴審判決は、日本への返還に道を開くもので日韓関係改善の流れを後押ししそうだ。
判決後、所有権を認められなかった原告の韓国・ 浮石プソク 寺関係者は「最近の韓日関係の変化が全く影響を与えていないとは考えにくい」と述べた。保守の 尹錫悦ユンソンニョル 政権の下で、日韓の最大の懸案である元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)訴訟問題の解決に向けた機運が高まり、今回の司法判断もこの流れに沿ったものだとする見方だ。
韓国メディアの関心も高く、「1審覆して原告敗訴」(中央日報電子版)などと判決内容を報じた。韓国仏教界は、猛反発しているという。
韓国の裁判所はこれまで、元慰安婦や元徴用工訴訟など歴史問題で日韓関係の摩擦の原因となる判決を相次いで出してきた。仏像をめぐる裁判も「韓国司法の暴走」の一例との見方が日本国内にはある。
今回の1審判決の取り消しは、反日なら何でも許されるという「反日無罪」の流れが変化したことをうかがわせる。
控訴審の対象となった「 観世音菩薩坐像かんぜおんぼさつざぞう 」とは別に、韓国人窃盗団に海神神社(対馬市)から盗まれた国指定重要文化財「 銅造如来立像どうぞうにょらいりゅうぞう 」は15年に返還されている。「坐像」の返還が決まれば、仏像訴訟問題は決着へと向かうため、上告審の行方に注目が集まる。
「高麗仏像」窃盗犯の手によって帰国を果たした数奇な運命…日本に返還か
控訴審裁判所、倭寇による略奪を認めながらも
一審を覆し、日本の寺の所有権認める
「政府が仏像の返還に取り組むべき」と勧告
浮石寺側、判決を不服とし最高裁上告へ窃盗犯の手を経て韓国に戻った高麗仏像の所有権をめぐる訴訟は、二審で「韓国の寺のものではない」という結論を下された。仏像が日本の対馬から韓国に持ち込まれてから11年。所有権を主張し訴訟を起こした韓国の寺は、最高裁(大法院)への上告を予告した。
大田(テジョン)高裁民事1部(パク・ソンジュン裁判長)は1日、「瑞山(ソサン)浮石寺の観世音菩薩坐像」に対する引渡請求訴訟で、「原告(大韓仏教曹渓宗浮石寺)が当該仏像(観世音菩薩坐像)の所有権を取得したとは考えられない」と判決を下した。裁判所は高麗時代の瑞州(ソジュ、瑞山の旧名称)浮石寺が同仏像の所有主であることは事実だが、現在の瑞山浮石寺は過去の瑞州浮石寺と同じ寺とは言えないと結論付けた。裁判所は「高麗時代末、倭寇の頻繁な侵略による瑞州地域の被害などを考慮すると、1330年に存在していた瑞州浮石寺の人的かつ物的要素が今の瑞山浮石寺に至るまで同一性と連続性を持って維持されたとは認めがたい」と説明した。さらに「倭寇が仏像を略奪して日本に持ち出したとみられる情況はある」としながらも「(日本の)観音寺が法人として成立した1953年から20年間、この仏像を占有していたため、取得時効は完成した」と判断した。
問題の観世音菩薩坐像は高さ50.5センチメートル、重さ38.6キログラムで、14世紀の高麗時代に製作された。仏像の中で発見された結縁文(仏像が製作された目的を書き付けて像の中に保管した文書)に「天暦3年(1330年)2月、仏像を作って高麗の瑞州浮石寺に祀った」という内容が記されており、国内学界では「瑞山浮石寺の観世音菩薩坐像」と呼ばれてきた。瑞山にあった仏像が日本の対馬の観音寺に奉安されたのは1527年と推定される。同仏像がどのような経緯で対馬に渡ったのかは不明だ。ただし、仏像が浮石寺に奉安された後、瑞山地域に倭寇の侵入が多かったという点、観音寺に渡った仏像の中に腹蔵物がそのまま入っているが、どのような経緯で移すことになったのかを記した移安文がない点などから、略奪された後、日本に渡った仏像である可能性が高いというのが大方の見解だ。
同仏像が韓国に戻ってきたのは2012年10月。窃盗団が観音寺から仏像を盗み、釜山(プサン)港を通じて国内に持ち込んだ。同年12月、大田警察庁広域捜査隊によって窃盗犯が捕まり押収され、仏像が大田まで来ることになった。このニュースが流れると、「500年ぶりに帰ってきた仏像の去就」が議論を呼んだ。忠清南道瑞山の浮石寺の信徒たちと住民たちは「観世音菩薩坐像復帰奉安委員会」を立ち上げ、仏像の返還運動を始めた。大田地方裁判所が2013年2月、浮石寺が出した返還中止仮処分申立てを受け入れたことで、ひとまず韓国に残ることになった。2016年2月、仮処分期間が終わると、浮石寺は同年3月、大田地方裁判所に韓国政府を相手に取り「観世音菩薩坐像引渡し請求訴訟」を起こした。
2017年1月、大田地方裁判所は「仏像を浮石寺に引き渡すべき」だと判決を下した。当時、裁判所は「この仏像は瑞山浮石寺の所有だと十分に推定できるうえ、過去に贈与や売買など正常な方法ではなく、盗難や略奪などの方法で日本の観音寺に運ばれ奉安されたとみなければならない」と説明した。
一審裁判所の判断が出た後も波紋は広がり続けた。日本の対馬市議会は仏像の返還を求める決議文を採択し、日本の官房長官や文部科学相などが韓日長官会談の際、仏像の返還を要請した。国内世論も「仏像はもともと韓国のもの」という主張と、「盗んできた物なので観音寺に返すべき」という意見が対立した。1970年ユネスコ総会が採択した「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約(文化財不法輸出入等禁止条約)」によると、不法に持ち出された文化財は本来の所蔵先が所有権を行使できる。
2017年3月から始まった二審の裁判部は、一審とは異なり、浮石寺の所有権を認めなかった。それと共に「原告の引渡請求を棄却することとは別に、大韓民国政府は文化財保護のための国際法的理念と文化財還収に関する協約などの趣旨を考慮し、この仏像の返還問題に取り組む必要がある」として韓国政府にボールを渡した。
裁判が終わった後、浮石寺側は「高麗時代の瑞州浮石寺と現在の瑞山の浮石寺が同一とはいえないという裁判所の判断を到底受け入れられない。裁判所は他の法理を持って判断の理由を説明すべきだった」とし、「最高裁に上告することを決めた」と明らかにした。