kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

まあそうなるな…… ―― 対馬の盗難仏像 所有権主張する韓国の寺が上告

今月1日の控訴審判決で一審判決が取り消されて。
日本への返却判決が出た、
対馬の盗難仏像に関する裁判。
この結果を不服として、
韓国の寺院が
本日大法院=日本風に言えば最高裁判所に上告しました。
なので、
裁判は最終審まで
もつれ込みます。
というわけで、
さっそくニュースになっていたので。
ブックマークを付けてみました。



まあ、
まだ上告を申請しただけで、
上告を
大法院が受理したわけではないので。
最終審、
確定してませんけど。
韓国の
これまでの状況を見れば、
ほぼ
十中八九、確定ですね。
門前払いする理由がありませんから。



むしろ、
私的に疑問というか
引っかかっているのは。
対馬仏像の所有権を主張している
日本人の目から見ると、
いや、
韓国以外の
他の国から見ても
盗人の一味ではないかと思われている、
韓国の寺院=浮石寺側が、
今回の二審判決=日本への返却判決が出た直後、
即座に
上告を申し立ててくる、
と思われていたのが。
実際に
上告するまで1週間以上も時間を置いた点です。
これまでの
寺院側の態度からし
上告する=所有権を主張するのは確定事項だったはず。
なのに、
どうして時間をおいたのか。



私が
韓国メディアや
ネットSNSなどを見ていて。
そこから推察してみたのですが、
まず
日本返還の判決が出た直後、
今回は
反日ムーヴ』が起きませんでした。
というか
韓国世論は
今回の二審判決に対して、
注目、関心がきわめて薄い
メディアは
淡々と結果を報じただけで、それ以上の取り上げはしませんし。
市民団体による
抗議活動とかデモとかそういう大きな動きは起きませんでした。
さらに
韓国政府も判決にノーコメントを表明しました。
これ、
前政権・狂気の文オジサンとそのお仲間達政権の時代なら、
まず
政府が、
というか狂気の文オジサン大統領が率先して、
判決に対する否定的、懐疑的なコメントを出して。
反日ムーヴ』を煽っていたのは間違いありません。
その結果、
寺院側は
韓国メディアの後押しを得たり、
韓国民から多額の支援を得たり出来て。
この先の裁判費用を工面したり、
それ以上の何かを得られます。
しかし、
政権交代によって保守政権が誕生した結果、
そういう支援が無くなりました。
いや、
見えないところで支援されているのかもしませんけど。
表立って、
支援の広がりは起きていません。
そうなると、
所有権を主張している韓国寺院側は、
独自の力で
この先の裁判を戦い抜かなければなりません。
仮に、
上告した最終審の大法院でも
日本返還の判決が出て確定した場合。
所有権を主張している韓国寺院側は、
得られる物が何も無く、
この先の費用は全て持ち出しになりますね。
その算段を付けるのに、
1週間以上の時間が必要だった、と。

 

 

 

jp.yna.co.kr

対馬の盗難仏像 所有権主張する韓国の寺が上告

【大田聯合ニュース長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像」を巡り、数百年前に略奪されたとして所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が10日、観音寺の所有権を認めた控訴審判決を不服として大法院(最高裁)に上告した。浮石寺側の弁護士が伝えた。
 この仏像は高さ50.5センチ、重さ38.6キロで、韓国人窃盗団が2012年10月、観音寺から盗んで韓国に持ち込んだ。現在は中部・大田にある国立文化財研究所に保管されている。
 浮石寺は、1330年ごろに瑞州(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するためこの仏像が制作されたと読み取れる史料を基に、仏像は日本の倭寇(わこう)に略奪されたものだとして所有権を主張し、仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求める訴訟を2016年に起こした。
 大田地裁は17年1月の一審判決で、正常ではない方法で仏像が日本に持ち出されたとして浮石寺の所有権を認めたが、大田高裁は今月1日の控訴審判決で一審判決を取り消し、観音寺の所有権を認める判決を言い渡した。
 高裁は「観音寺側が1953年から仏像が盗まれる2012年までの60年間、平穏かつ公然と占有してきた事実が認められる」とし、すでに取得時効(20年)が成立していると判断。また、当時の瑞州の浮石寺が現在の浮石寺と同一の宗教団体だということが立証されていないと指摘した。
 一方、「民事訴訟は所有権の帰属を判断するだけであり、文化財の返還問題は国連教育科学文化機関(ユネスコ)条約や国際法に基づいて決める必要がある」とし、仏像を日本に返還すべきかどうかの判断には踏み込まなかった。
 浮石寺側は上告審で、浮石寺の同一性と連続性の立証に力を入れるとみられる。