kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

お悔やみ申し上げます…… ―― 「できるかな」で活躍・高見のっぽさん死去 88歳

地震速報を探していた時に
見かけた訃報。
懐かしい名前が出ていましたので、
ブックマーク付けました。



小学生の頃にお世話になりました。
この方の代表作というか
代名詞にもなった
『できるかな』の『ノッポさん』というキャラクターの
初出が1970年。
って、
半世紀以上前の出来事ですねぇ。
もう、
そんなに時間が経っていたんだぁ、

訃報を見ながら、
当時を思い出して
めったいにない感慨に浸ってしまいました。
そりゃそうだよねぇ、
当時、
小学生だったガキンチョが。
今では、
アラフィーのオッサンだもの。
半世紀も経ちますワ。
思えば
遠くに来たもんだ……



謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

www3.nhk.or.jp

高見のっぽさん死去 88歳 子ども番組「できるかな」で活躍

 NHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさん心不全のため88歳で亡くなりました。
 高見のっぽさん京都市出身で、俳優で芸人だった父親の元で修行を積み、1966年からNHK教育テレビで放送された子ども向け番組「なにしてあそぼう」と、1970年に始まった「できるかな」に「ノッポさん」という役であわせて20年以上にわたり出演しました。
 ひと言もしゃべらず、ジェスチャーを交えて鮮やかに工作を作り出す姿が子どもたちの人気を集め、「できるかな」では、相棒のキャラクター「ゴン太くん」とのコンビも話題となりました。
 また、2005年、71歳の時には、NHKの「みんなのうた」で放送された「グラスホッパー物語」でみずから作詞と歌を担当しました。
 バッタのおじいさんにふんして歌いながら踊る姿が反響を呼び、10か月間にわたる異例のロングラン放送となったほかその後、本人が出演するミュージカルとして舞台化もされました。
 高見さんはこのほかにも児童書などの執筆や民放の子ども番組の放送作家としても活躍するなど子どもたちに関連する仕事を数多く手がけてきました。
 こうした功績が認められ2007年にはNHKの放送文化賞を受賞しています。
 関係者によりますと周囲を騒がせたくないという本人の希望もあり、これまで公表されていませんでしたが、高見さんは去年9月、88歳で心不全のため亡くなったということです。

「できるかな」とノッポさん
 「ノッポさん」こと高見のっぽさんは20年間にわたりNHK教育テレビで放送された子ども向け番組「できるかな」に出演しました。
 番組では、ノッポさんはフェルトの帽子をかぶってひと言もしゃべらないという設定でした。
 相棒のキャラクター「ゴン太くん」も不思議な声を出しますがことばは話しません。
 ナレーションで「ねえねえ、ちょっと、ノッポさ~ん」と呼びかける声にノッポさんジェスチャーで応えながら、音楽にのせて次々におもしろい工作を作り出していきました。
 15間のこの番組は、毎回ほぼノンストップで収録され、その臨場感も人気でした。
 器用に工作を作っているように見えたノッポさんですが、実はもともと不器用で工作には苦労していたそうです。
 番組では、子どもたちに、工作の手順ではなくものを作ることの楽しさを伝えようとしていました。
 このため工作は簡単にできるものばかりではなく、難しいものもあったということで、ノッポさんはいつも真剣な表情で取り組んでいたということです。
 そして、うまくできた時に見せる笑顔は演技では無く、本当に心から喜んでいる表情でした。
 番組でノッポさんゴン太くんは完成した工作を使って楽しそうに遊んでいましたが、このときもノッポさんはひと言も話しませんでした。
 そんなノッポさんが初めてことばを発したのは、およそ20年に及んだ番組の最終回、1990年3月の放送でした。
 ノッポさんは「あーあ、しゃべっちゃった」と語り出し、番組が終わること、そして4月からは新しい番組が始まることをみずからのことばで子どもたちに伝えました。
 ノッポさんがしゃべったことは当時、大きな話題になりました。
 高見さんの事務所の代表で舞台やイベントなどで共演してきた古家貴代美さんは「ノッポさんは『自分で試してみる、工夫してみる、失敗する、でもまたへこたれずに頑張ってみることが非常に大事なんだ。一生懸命やることが大切で、それを笑う人間は相手にしなくていいんだ』とよく話していました。番組ではしゃべっていませんでしたが、実際にはおしゃべりでユーモアがあって、優しい人でした」と話していました。

「できるかな」のっぽさんが起用された訳
 高見のっぽさんは、自身のことを不器用だと話していましたが、そんなのっぽさんが工作を作る番組に起用されたのには訳がありました。
 番組では、ひと言もしゃべらずに軽快な音楽にのせて工作を作っていました。
 所属する事務所によりますと、のっぽさんは出演が決まる前に、さまざまな番組に出ていて、その際、飛び抜けて体の動きがよく、表現力がすばらしかったことから、制作陣が新しい番組に抜てきしたということです。
 また、のっぽさん自身も、番組でのイメージを大事にしていました。
 プライベートではおしゃべりな一面もあったということですが、「できるかな」に出演している間は、イメージを崩してはいけないと、ほかの番組への出演はほとんど断っていたということです。
 事務所によりますと、のっぽさんは、もともと「高見映」という名前で活動していましたが、番組が終了してからもノッポさんのイメージで見られることが多く、2005年ごろに芸名を「高見のっぽ」にみずから変えたということです。
 事務所の関係者は、生涯を「ノッポさん」として生きているように見えたと振り返っていました。