なんというか、
日本国内主要メディアでの扱いでは。
アメリカンポップスを代表するスーパースター、
マイケル・ジャクソンを世に送り出した敏腕プロデューサー、って面ばかり
大きく取り上げられていて。
たしかに
1980年代に
一世を風靡したアメリカンポップスの仕掛け人、と言えば
この人なのは間違いなくて。
その功績は
アメリカの音楽界において
他に並ぶ人が居ないほどの敏腕プロデューサーだったのは
事実なのですが。
それ以前に、
一人のミュージシャンとして優れていて。
実際のところ、
生涯一ミュージシャンとして活動を続けていましたし。
プロデュサーとしての活動は
1980年に入る直前から、
20世紀が終わるくらいまでの30~40年間いかないくらいで。
とくに
マイケルジャクソンとタッグというかコンビを組んでいた
1980年代後半から、
1990年代前半に集中していますし。
ジャズミュージシャンとしての活動歴の方が
はるかに長いし。
活動範囲も広いんですよねぇ。
『ソウル・ボサ・ノヴァ』とか
『愛のコリーダ』とか、
今でもCMとかで使われたりして
よく耳にしますし。
そういった
彼自身の作品とか実績とかを取り上げずに、
マイケル・ジャクソンとのタッグにばかり焦点を当てて
紹介されるのは……
この人の作品とともに青春時代を過ごした
50過ぎのオッサンとしては
ちょっと
寂しいですねぇ。
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謹んで
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズ氏が死去、91歳
2024年11月5日
アメリカの著名な音楽プロデューサーでミュージシャンのクインシー・ジョーンズ氏が3日、亡くなった。91歳だった。
ジョーンズ氏は生前、マイケル・ジャクソン氏、フランク・シナトラ氏、レイ・チャールズ氏など名だたるミュージシャンと協業。特に、ジャクソン氏のアルバム「スリラー」を手掛けたことで知られている。
ジョーンズ氏の広報担当アーノルド・ロビンソン氏によると、ジョーンズ氏は3日夜、カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で亡くなった。
ジョーンズ氏の家族は声明で、「今夜、私たちは張り裂けそうな思いで、父で兄弟のクインシー・ジョーンズについて、訃報を皆さんに伝えなくてはならない」と述べた。
「私たち家族にとって信じられないほどの大きな損失だが、彼が歩んできた素晴らしい人生を祝福している。彼のような人物は2度と現れない」と家族は話している。
受賞式でジョーンズ氏とマイケル・ジャクソン氏が肩を組んでいる写真画像提供,Getty I75年以上にわたるキャリアの中で、ジョーンズ氏はグラミー賞を28回受賞。雑誌タイムによる「最も影響力のある20世紀のジャズミュージシャン」にも選ばれている。
シナトラ氏と親しく仕事をし、バラードのクラシック「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」をワルツからスイングに作り変えた。
ジャクソン氏とは映画「ウィズ」で共演。その後、プロデューサーとしてアルバム「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」「バッド」に携わった。「スリラー」はアメリカだけで3400万枚を売り上げている。
1985年にはアメリカのポップスター46人を集め、飢餓に襲われたエチオピアの支援を目的とした「ウィ・アー・ザ・ワールド」を共同作曲・プロデュースした。この曲はアメリカやイギリスのチャートで1位となった。
同年7月にロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムと米フィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアムで同時開催された、大規模なチャリティーコンサート「ライブエイド」でも、「ウィ・アー・ザ・ワールド」は披露された。
ジョーンズ氏はこのほか、50作品以上の映画やテレビ番組に楽曲を提供した。
私生活では3度結婚し、7人の子供がいる。
ジョーンズ氏が楽曲を手掛けた1969年の映画「ミニミニ大作戦」に主演した英俳優マイケル・ケイン氏はインスタグラムで、ジョーンズ氏は「音楽界の巨人」だったと振り返った。「彼は素晴らしい、そしてユニークな人間だった。知り合うことができて幸運だった」
英歌手サー・エルトン・ジョンも、「彼ほど素晴らしいキャリアを築いた人物はいない」と述べ、「彼は最高のアーティストたちと共演し、最高の作品を生み出した。なんて素晴らしい人だろうか。大好きな人だった」と追悼した。
1985年の映画「カラーパープル」で名声を得た米俳優ウーピー・ゴールドバーグは、ジョーンズ氏は「唯一無二」の人だったと語った。