関東大震災について、朝鮮日報には他にもいくつか記事を載せていましたので。
それもブックマークすることにして。
関東大震災の当時に、日本人と朝鮮人の間で何が起きていたのか、その、まとめサイトも一緒に掲載。
愛・蔵太の気ままな日記:関東大震災における虐殺された朝鮮人は何人?(まとめ)
こちらの記事は、今からもう何年も前のものになります。
個人的な好奇心でコツコツと調べられた、非常に分かりやすい記事です。
ざっくりした概要を知るには、十分な内容が書かれています。
ちなみに、このサイトによると朝鮮日報は10年前にも今回と同様の記事を書いていたようです。
※ただ、リンクが無効になっているので、実物を追跡できなかったのが残念。
さすがに過去記事、10年前のバックナンバーの調査は図書館いかないと無理かなぁ……。
現在の朝鮮日報の記事はこんな感じです。
Chosun Online | 朝鮮日報 関東大虐殺90年:「日本の嫌韓デモは当時をほうふつ」 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------
記事入力 : 2013/08/30 11:27
「朝鮮人虐殺」明らかにした姜徳相・在日韓人歴史資料館長インタビュー
「韓国政府、調査・謝罪要求もせず」
「歴史に消滅時効はない。韓国政府は今からでも取り組むべき」
「『韓国人殺せ』という日本の嫌韓デモは関東大震災時のムード思わせる」
▲在日韓国人の歴史家・姜徳相(カン・サンドク)在日韓人歴史資料館長▲在日韓国人の歴史家・姜徳相(カン・サンドク)在日韓人歴史資料館長
「日本の軍隊と警察が虐殺を主導した関東大震災の韓人(朝鮮人)虐殺について、韓国政府は日本政府に一度も調査・謝罪を要求したことがない。在外国民の生命を守ることが政府存立の目的であることを考えると、あまりにも残念だ」
在日韓国人の歴史家・姜徳相(カン・サンドク)在日韓人歴史資料館長(81)は29日「日本政府から謝罪を受けなければ、同じ悲劇の繰り返しを防げない」と語った。
同館長は1963年の『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』をはじめ関連論文を30本以上発表、90年代には日本の教科書が関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する文を掲載するきっかけを作った。
−関東大震災時の朝鮮人虐殺問題を研究した理由は?
「在日韓国人なら父や祖父から聞いて誰もが知っていた事実だ。父や祖父は再びあのようなことが繰り返されるかもしれないという不安を抱えて生きていた。1958年に虐殺を否定する論文が発表されたのを知り、史学を志す者として憤りを感じた。これに反論するため研究を始めた」
−日本政府は「軍は介入しておらず、偶発的だった」と主張しているが。
「地震被災地に進駐した軍が『朝鮮人が毒を井戸にまき、放火した』といったデマを直接流布し、虐殺をほしいままにした。軍がやっているのを見て、一般人がまねて自警団を作り、虐殺に加担した。当時の日本の治安状況、戒厳令宣言などさまざまな状況を見ると、一般人がデマにだけ振り回され、虐殺をしたというのは話にならない。それを証明する証言や史料は数多い」
−なぜ軍が虐殺をするのか。
「地震により発生した多数の人命被害により、民衆の不満が皇室や政府に向かうのを防ぐため、韓人(朝鮮人)を犠牲にした。当時は三・一運動や青山里戦闘などで韓国の独立運動が力を増していた。ロシアでは共産革命が発生、中国とも緊張が高まっていた。危機感を持っていた日本軍は、内部の団結のため『敵』を作る必要があったというのが根本的な背景にある」
−韓国政府はこの問題に関連してどのような努力をすべきか。
「上海にあった大韓民国臨時政府は関東大震災後に調査員を日本に派遣し、真相報告書と日本政府に送る抗議文を発表した。臨時政府を継承した韓国政府は政府樹立後、一度も日本政府に問題提起していない。歴史には消滅時効がない。今からでも韓国政府は積極的に真相究明と謝罪を要求すべきだ」
−最近、日本の教科書から関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する内容が削除されたが。
「これまで多くの人々が積み重ねてきた研究成果や歴史を否定するものだ。東京の中心部では『韓国人を殺そう』というスローガンを叫ぶデモが何の制止も受けずに行われている。まるで関東大震災時の日本社会のムードを思わせる。日本の右翼は、不況が長く続き挫折している若者たちを愛国心で団結させようとしている。そして韓国と中国を敵としてつくり上げている。米国は第2次世界大戦時に日系人を収容所に強制収容したことを謝罪した。北朝鮮による日本人拉致問題に対しては社会全体が一致団結して対応しておきながら、自分たちの歴史的な過ちには目をつぶっている」
東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
まあねぇ、そもそも上海にあった大韓民国臨時政府って、当時政府として認められていないし。
だから日本政府はまったく相手にしていないし。
日本で虐殺否定の論文が出たのは、そもそも6000人虐殺という根拠のない数字が一人歩きしていることに対する反発なわけで。
そこをすっ飛ばした議論をされても、日本人は聞く耳持ちませんよ。
なので、こういう朝鮮人史観と価値観の共有なんて無理だと思うのですよね。
Chosun Online | 朝鮮日報 関東大虐殺90年:「朝鮮人の暴行は絶無」本紙は弾圧下で報道
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
朝鮮日報・東亜日報、弾圧下でも大虐殺を報道
朝鮮総督府が押収・発行禁止、号外発行し検閲避ける
「そこの新聞の号外には、品川で朝鮮同胞300人を○○ (「殺害」と推定されるが、朝鮮総督府が削除)したという記事があったが、わが同胞の消息が一体どうなっているのか分からない」
1923年9月8日付の朝鮮日報に掲載された「中途に帰還した留学生」という見出しの記事だ。日本による情報統制のさなか、関東大震災後に発生した虐殺事件を何としてでも読者に知らせようとした記事だが、朝鮮総督府警務局に押収された。
最初の関連記事が掲載された9月3日から、朝鮮日報は地震と虐殺の惨状を詳細に報道してきた。さらに、横浜で起こった虐殺事件を取り上げた「横浜でも○○事件発生」、国内の抗日暴動を恐れる日本政府の秘密指令を暴露した「朝鮮総督に警戒」などの記事を書いた。厳しい統制があったが、9月5日付紙面でも「3カ所で不穏事件」という記事で虐殺に関する速報を出している。朝鮮総督府は記事の押収と発売禁止処分を下したが、そのたびに号外を発行して検閲を逃れた。
9月24日付記事「朝鮮人の暴行は絶無」では、日本の警視庁の秘密報告書を入手し「朝鮮人の暴行や放火事件はなかった」という事実を伝え、同胞が無念のまま死んでいったことを強調した。10月4日付記事「臨時政府から抗議提出」には中国・上海にあった大韓民国臨時政府が日本の首相に朝鮮人虐殺に対する抗議文を送ったという内容があるほか、同じ日に掲載された論説「僑日(きょうにち)同胞へ」では在日韓国人に「いっそのこと帰国した方がいい」と勧めることで日本の蛮行を糾弾した。
朝鮮総督府警務局が1923年9月1日から11月1日まで掲載禁止措置を下した朝鮮日報・東亜日報の朝鮮人虐殺関連の記事は合計602件で、押収措置は18回だった。日本の言論弾圧に対抗し、事件の真相を伝えようとする粘り強い努力によるものだった。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
朝鮮日報がウソ記事を掲載するのは、いつものことなので。
いまから90年前の記事だって信憑性は、怪しい物です。内容を鵜呑みにできませんはなぁ。
というのが、一日本人の感想です。
これで90年間続いているなら、ほんとスゴイよ。
Chosun Online | 朝鮮日報 関東大虐殺90年:朝鮮人犠牲者、定説より多い可能性も
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
記事入力 : 2013/08/30 11:15
三・一独立運動や青山里の戦いなど「植民地朝鮮」に危機意識を抱いていた日本
■何人虐殺されたのか?
関東大震災の際に虐殺された朝鮮人の数は「6661人」というのがこれまでの定説だった。これは、上海の大韓民国臨時政府の機関紙『独立新聞』が1923年12月、朝鮮人の報告書などに基づいて算出した数字だ。しかし最近、カン・ヒョスク博士(韓日近代史専攻)は、ドイツ外務省所蔵の英文資料「Massacre of Korean in Japan(日本における朝鮮人大虐殺)」=1924年3月=を分析し、当時虐殺された朝鮮人が2万3058人だったと明かした。これまで考えられていたより3倍以上も多い数字だ。しかし、当時日本に住んでいた朝鮮人の人数を考えると、やや誇張された数字かもしれないという指摘もある。
■民間人による殺害だったのか?
韓国・日本双方の一般市民は、これまで「日本の民間人からなる『自警団』が虐殺を行い、日本政府はこれを傍観する姿勢を見せた」という程度にしか認識していなかった。しかしカン・ヒョスク博士が見つけ出したドイツ外務省の資料には、虐殺された朝鮮人2万3058人のうち▲警察が577人を虐殺した▲軍隊が3100人を虐殺した−と記録されていた。この数字について資料には、当時『中央公論』の編集者だった吉野作造が確認した、と記されている。9月1日の地震発生後、2日に戒厳令が布告されるまで「朝鮮人が放火や暴動を起こした」というデマを広めた主体も、日本政府と警察だと明記されていた。
■本当に「朝鮮人」が暴動や放火を?
「完全な捏造(ねつぞう)」というのが、韓日両国の学界の見方だ。立教大学の山田昭次名誉教授が、当時司法省の発行した『震災後における刑事事犯及びこれに関連する事項調査書』を分析した結果、放火・殺人・強盗・婦女暴行などの犯罪に及んだと記録された朝鮮人の「犯人」120人のうち、115人は「姓名不明」で、残りは「所在不明」あるいは「逃亡」「死亡」だった。うわさの主体は存在しなかったというわけだ。
■なぜ虐殺したのか?
日本政府が、震災による民衆の不満をそらすためにデマを広め、朝鮮人を「スケープゴート」にしたというのが定説だ。在日韓人歴史資料館の姜徳相(カン・ドクサン)館長は、大虐殺の背景に▲4年前の19年に起きた三・一独立運動▲社会主義的抗日勢力の出現▲青山里の戦いでの日本軍敗退−など「植民地朝鮮に対する危機意識」があったと分析した。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
吉野作造の話……は、どうも噂を集めて書き留めたたぐいのもので。
実際の記録を当たった数字ではないようです。
吉野自身は事件の全容を把握しておらず、政府を攻撃するための手段として用いております。
なので、もう少し研究が必要な資料、というところですね。
たぶん、今で言うなら『村山富市』『福島瑞穂』あたりの人物像になるのではないでしょうか。
ただ、当時の日本政府が有効な手立てをうたなかったことは事実で。この辺がその後、朝鮮人につけ込まれる原因となったようです。
他にも記事はいろいろとあるのですけど。
まずはここまで。