なんか、ブームになっていたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」
最終回も無事放映されて。
私もちょくちょく見てました。とびとびですけど……
それで、この作品が「東北への応援歌」だとか「オマージュ」だとか。色々と賞賛されているのですけど。
うーん、多分制作者側としては、そういう簡単なくくりで作った作品ではない、と思います。
フィクションとしては大変心地良い娯楽番組だったので。
最終回も、物語的に未来への希望を描く形ですっきりまとまっているし。観客にとっては、見ていて「ホッとして共感できる」番組だったと思います。
だから観客の視点からは、そういう視点で制作者を見てしまうわけですけど。
じゃあ、ここに描かれていることがどこまでリアルなのか、というと。
全然リアルじゃないわけで。どこまでも、ご都合主義なわけです――いや、けなしているのではなくて、褒めているですけど。
作り手としては、「東日本大震災」という大きな事件をドラマの中に取り込むに当たって。そこまでやっていいのか、というジレンマがあったと思います。
それでも、やるしかなかった。
震災の負の側面、マイナスの感情ををばっさり切り捨てて、呑み込んで。
そこには、「リアルを報道しても、被災地は何もかわらなかった」という事実に対する、テレビマンとしての強烈な悔恨があったのではないか、と。
物作りにたずさわる1人としては推察するのです。
事実を報道するだけでは、なんの力にもならない。
被災地を変えるには、そこへ人を呼ぶしかない。
そのためにテレビに何ができるのか――その場所へ行って、現地を、そこで生活する人たちを見てみたくなるような番組を作るしかない。
それには、多少嘘が混じっても、誇張することになっても、
被災地の現実がテーマパークのような印象になってしまって。一時的なブームで終わるにしても。
とにかく、視聴者に「この目で見てみたい」と思わせて、彼らを被災地へ向かわせるしかないんだ。
そうして、人間が動くことで、何かが変わるんだ。
ある意味、劇薬みたいな使い方になりますけど。
ほとんどバクチに近いノリになってしまいますけど。
それでも、何もしないよりは、やるべきだと思った。
人間愛に溢れる作品の内容とは対照的に、そうとう悲壮な覚悟のもとに、作ったのではないのかなぁ。と感じたりしてました。
この事については、もう少し続けて、次回にも書いてみようかなぁ。と思います。