kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

韓国メディアの取り上げた方1――慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに

昨日取り上げた、慰安婦問題の新資料…慰安所管理人の日記について。



>日本人研究者にもっと頑張って欲しい――慰安所:朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
http://d.hatena.ne.jp/kg_nogu/20130808#1375919257



昨日は日本メディアの記事を読んでいたのですけど。
この日記は、韓国内で見つけられたものですから。当の韓国メディアはどのように報じたのか。
これがなかなか面白いです。
韓国政府の広報紙たる『朝鮮日報』で見てますと。
発見直後の記事にはこんな感じで……


慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに Chosun Online | 朝鮮日報 慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに Chosun Online | 朝鮮日報

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記事入力 : 2013/08/07 09:40

ビルマシンガポールにあった日本軍慰安所の管理人、日記に書き記す
「1942年7月10日、朝鮮人女性数百人の『第4次慰安団』、軍用船に乗って釜山出港、8月20日ビルマ着、20人前後に分かれて日本軍駐屯地に配置」

旧日本軍の従軍慰安婦が、戦時動員体制の一環として、日本軍の主導の下に数度にわたって組織的に動員されていたことを示す資料が新たに発見された。また前線の日本軍部隊が、下部組織として編成された慰安所慰安婦らを率いて移動していた事実も同資料で明らかになった。これは「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」という一部の主張を全面的に否定する資料だ。安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授(韓国経済史)は、1942年7月に従軍慰安婦を連れて旧ビルマ(現在のミャンマー)に向かい、44年12月に帰国するまでビルマシンガポールの日本軍慰安所で管理人として働いていた朝鮮人が残した日記を6日に公開した。
安名誉教授が翻訳および解題を担当して間もなく刊行されるこの日記によると、42年7月10日、朝鮮人女性数百人からなる「第4次慰安団」が釜山を出発した。
女性を募集したのは、日本軍の代理人が選んだ民間業者。募集された女性は軍属に準ずる身分で、日本軍が発行する旅行証明書を持ち、軍用船など軍用の交通手段を利用した。
8月20日ビルマに到着した慰安婦らは、約20人ずつに分けられ、日本軍の駐屯地や主要都市に配置された。日本軍の慰安所は、形式的には民間業者が経営していたが、日本軍が直接管理・統制していた。慰安所は日本軍の部隊の専属として報告書を定期的に提出し、また軍の命令によって随時移動した。
ビルマ朝鮮人慰安婦の存在は、この地域の慰安婦だった故ムン・オクチュさんの証言などによって知られていた。しかしムンさんが「第4次慰安団」の一員で、女性たちが終始一貫して日本軍の命令に従っていたという事実が明らかになったのは、今回が初めて。
安名誉教授は「41年12月に太平洋戦争が始まった後、日本軍が数度にわたって慰安婦を連れていったといううわさが出回ったが、今回公開された日記でその実態が判明した。日本軍慰安所の運営実態を示すこの日記によって、慰安所が軍の組織編制の末端部に編入されており、従軍慰安婦が『性的奴隷』状態にあったことを再確認できる」と語った。

李先敏(イ・ソンミン)先任記者
朝鮮日報朝鮮日報日本語版

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うーん、一見して日本の記事と色々と違います。
『女性たちが終始一貫して日本軍の命令に従っていたという事実が明らかになった』とか書かれてありますが。
実際の日記の抜粋を読むと、覚え書き程度で毎日の行動が事細かに記録されているものではなく、そこまで断言できるほど詳細な記録ではありません。
あと『「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」という一部の主張』ということも書かれていますが。
これは誤った見解で、日本政府は「広義の強制動員はあった」ことは認めています。
よくわからない言葉ですけど。国会答弁でも連発されています。
このような誤った見解を主張をする人たちは、ごく少数の一握りです。あまり慰安婦問題に詳しくない人たちです。
そんな間違いをわざわざ取り上げて書かなくても良いと思うのですけど…紛らわしいだけなのですけどねぇ。
なにか思うところがあるのでしょうねぇ。
で、結局、肝心の日記の詳細について、具体的に何が書かれていたのか、の抜粋はありません。
記者の主観、独断による評価としては、最後に安名誉教授のコメントして掲載されている言葉、
「41年12月に太平洋戦争が始まった後、日本軍が数度にわたって慰安婦を連れていったといううわさが出回ったが、今回公開された日記でその実態が判明した。日本軍慰安所の運営実態を示すこの日記によって、慰安所が軍の組織編制の末端部に編入されており、従軍慰安婦が『性的奴隷』状態にあったことを再確認できる」
というところがすべてなのでしょう。
実はこのコメント、
ビルマでは戦況の悪化で戦線から自由に離脱できず、他の場所と異なって『性的奴隷』に近い状態あったことが日記から読み取ることできる」と、
日記に記述のあるビルマ慰安婦が他と違っていたことを語っているものなのですが。
日本のマスメディアがよくやる手法、一部の抜粋、切り貼りで。
慰安婦全体の評価、として語られているのが、なんとも言えないところです。
あと、
『日本軍が数度にわたって慰安婦を連れていったといううわさが出回ったが、今回公開された日記でその実態が判明した。』とのコメントについては、
「肝心の徴募の部分の日記が紛失していて、見つからないのが非常に残念」と述べているのは、昨日取り上げた日本メディアの記事に書かれていた通りです。
まあ、いかにも韓国メディアらしい――というか、マスメディアらしい自分たちの主張に乗っ取った飛ばし記事ですね。

韓国メディアの取り上げ方2――慰安婦:安秉直名誉教授、日本軍による組織的動員を立証

もうひとつ。こちらも2日前にとりあげられた記事です。
同じく朝鮮日報日本語版から。


Chosun Online | 朝鮮日報 慰安婦:安秉直名誉教授、日本軍による組織的動員を立証 Chosun Online | 朝鮮日報

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記事入力 : 2013/08/07 09:36

慰安婦:安秉直名誉教授、日本軍による組織的動員を立証

安秉直名誉教授、「慰安所管理人の日記」を公開
日本軍の完全統制下で運営
特定の部隊に慰安所を配属させ、収入報告書・営業日報を出させる
「1942年7月に『第4次慰安団』出発」
植民地下の朝鮮で既に数回組織したという明確な証拠
慰安婦をやめた人を再度連れてくることも
慰安婦をしていて出て行った弘子、兵站の命令でまた来た」

安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授(韓国経済史)=写真=は6日、旧日本軍の慰安所で管理人をしていた朝鮮人が書いた日記を公開した。この日記は、これまで詳細が明らかになっていなかった従軍慰安婦の動員や慰安所の運営の実態を、かなり明らかにしてくれる資料だ。
日記の筆者(1905−79)は、1940年代になって統制経済が強化され経済的に困窮したため、42年7月、従軍慰安婦を募集してビルマ(当時)に向かう義理のきょうだいと合流した。この筆者がビルマシンガポールで書き残した日記には、日本軍慰安所の経営実態や従軍慰安婦の生活の様子が描かれている。ただし、42年の分の日記が紛失しているため、慰安婦の募集過程に関する内容が抜け落ちているところが惜しい。
日記はハングル文字と漢字を主に用い、日本語も混じっている。文章は韓国語体だが漢文として読まなければ意味が通じない部分も多く、現代語訳が必要だ。
日記を通して明らかになった主な事実は、日本軍が従軍慰安婦を複数回にわたって組織的に動員していたということ。42年5月、日本軍の南方派遣軍司令部は、朝鮮軍司令部に対し慰安婦募集に関する協力を要請した。朝鮮軍司令部が選定した慰安所業者らは「多額の金を稼げる」という甘い言葉や、まとまった額の金をあらかじめ前借金として渡すなどして、慰安婦を募集した。
募集された慰安婦は、7月10日に業者・管理人と共に釜山港を出発した。「一昨年慰安隊が釜山を出発したとき、第4次慰安団の団長として来た津村氏」(44年4月6日)という日記の記述から、このほかにも日本軍が朝鮮で数度にわたり慰安団を組織したことが分かる。
従軍慰安婦の一部は、数百円の前借金を受け取った。その金は軍から出たというのが、研究者らの分析だ。日記には、これを裏付ける記述も見られる。慰安所業者らは、慰安所を簡単に譲渡し、新たな業者は特に負担もなくこれを引き継いだ。日記の筆者もまた、義理のきょうだいが事故で死亡した後、このきょうだいが運営していた慰安所への縁故権を主張しなかった。これは、事実上軍が慰安所を所有しており、業者は経営のみを担当していたからだ。
また日記は、慰安所が日本軍の完全統制下で運営されていたことも示している。日記に登場する慰安所は、ビルマに27カ所、シンガポールに10カ所。各慰安所は「航空隊慰安所」「兵站(へいたん=戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの)管理慰安所」のように特定の部隊に所属しており、収入報告書・営業日報などの報告書を定期的に所属部隊へ提出した。「(ラングーン〈現在のヤンゴン〉の)インセンにいる高部隊、すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が兵站管理に移譲された」(43年7月19日)「村山氏が経営する慰安所『いちふじ楼』が兵站管理になり」(7月20日)と日記に記述されているように、所属部隊が変更されるケースもあった。
さらに、慰安所は軍の命令によって移動した。「55師団から、慰安所マンダレー近辺のイエウという場所に移転せよという命令があり」(43年3月10日)、「ペグーの慰安所『乙女亭』、『文楽館』、将校クラブなど3、4の慰安所は、今回アキャブ地方に移動した」(4月15日)、「『カナガワ』氏は、慰安所移動説があると言って軍司令部で調べてみた」(8月6日)という日記の記述が、これを証明している。
慰安婦暮らしをやめた人が、再度連れてこられることもあった。「以前村山氏の慰安所慰安婦をしていて、夫婦生活を送るために出ていった春代と弘子は、今回兵站の命令で再び慰安婦として『きんせん館』に来ることになった」(43年7月29日)という日記の記述が、このことを物語っている。
日記で明らかになったこうした事実は「民間業者が従軍慰安婦を募集し、慰安所業者が営業のために軍部隊についていった」という一部の主張が事実ではないことを示している。
安秉直名誉教授は「従軍慰安婦は、徴用・徴兵・勤労挺身(ていしん)隊と同じく、戦争の本格化により日本が戦時動員体制の一つとして国家的レベルで強行したこと。しかも慰安婦は、募集時に自分たちがやることをきちんと説明されず、人身売買に近い手法が利用されたという点で『広義の強制動員』と見ても差し支えない」と語った。

李先敏(イ・ソンミン)先任記者
朝鮮日報朝鮮日報日本語版

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こっちは、先の記事より日記の中身について触れた記事です。
で、面白いのは、あれこれ色々と書いているのですけど、日本のメディアが載せたような。
日記の抜粋は掲載されていません。
なぜなんでしょうね?
誌面にそこまで余裕がないのかなぁ。
実名が乗っているので、都合が悪いのでしょうか?
でも、全部墨ベタで隠してしまえばいいのですし……
それ以外に何か都合の悪い事でもあるのですかねぇ。
日本のメディアには掲載されているのにねぇ……