うーん、まあそうだよね。という話題です。
もう元ネタというか、
ソースの情報が公表されてから1ヶ月以上が経過しているのですけど。
その間、
日本国内ではネット界隈でチョボチョボと取り上げられただけで。
大手メディアは綺麗に口を噤んでいる……という。
まあ、
なんというか相撲協会の扱いを見ててもそうなんですけど、
一部の人にとって都合が悪い情報というのは、
本当に綺麗にスルーされますよね。
さて、
いったい何の話なのか……といえば、もう20年前にもなる中国での『天安門事件』について。
去年の年末に、
イギリスで事件当時は機密扱いだった情報が公開されて、
いわゆる『外交文書』の類なのですけど、
それによると、
中国政府が把握しているところによれば、
天安門事件の死者は1万人以上なんですと。
まあ、
この件については、
今まで『死者数千人』とか赤十字の発表があったり、
中国政府の発表がいかに信憑性のない数字であるのかは常々議論されていましたから。
今更驚くには値しません。
高速鉄道の事故で被害者ごと車体を埋めて隠蔽しようとするお国柄ですから。
死者100人が1000人であって1万人であっても、
中国共産党政府にとっては大した違いはないのでしょう。
問題なのは、
これが中国政府にとってのスタンダードな政策なのですが、
そんな中国政府と対等な付き合いができる、という平和ボケというか、
頭の中お花畑な日本人が日本国内に沢山いるってことです。
『都合が悪くなったら皆殺し』ってのが後腐れ無くて、
中国ではスタンダードな対応なのですが、
どういうわけか、
一部の日本人の中では、当たり前のように日本国内的な『個人の権利』が保証される、と勘違いしている人がいるんですよねぇ。
これは『パヨク』を指しての話ではなくて、
企業人の中にも、
契約を守ってもらえる……というような財産が保全される、という権利を
当然のごとく信じ切っている人がいるというか……
自動車工場が焼き討ちにあったり、
ショッピングセンターが打ち壊しにあったり、
それで何も保証されないのが当然の国なんですけど。
犯人を捕まえて賠償させる……ってことも、一切してませんし。
『中国共産党に従わないヤツは死んで当然』
ってお国柄なんだという事実に、
それは善悪の価値観の問題では無くて、
現実がそういうものなのだ、と。
そのことをきちんと認めるべきだと、
その上で中国との付き合いを進めるべきである、と、
私などは思うのですけど。
なぜか
一部の日本人はそれを徹底して拒むのですよね。
いや、繰り返しますけどパヨクを指しているのではないですよ。
当てはまるのは、
中国進出を進める日本人、というカテゴライズで区別される人達です。
みなさんも恐らくご存じだと思います。1989(平成元)年6月4日、民主化を求め、首都・北京の天安門広場に集まった学生を中心とする一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が発砲したり、装甲車でひき殺すといった武力弾圧を強行し、多数の死傷者を出した「天安門の大虐殺」です。
「え、天安門事件のことでっしゃろ。大虐殺?。そんな大袈裟(おおげさ)なもんちゃいまっせ」と思ったあなた。間違ってますよ〜。
なぜか。中国政府は当時、発生から15日後の6月19日、死者数は学生36人を含む民間人218人と人民解放軍(PLA)の兵士10人、武装警察官13人の計241人。負傷者は7000人と発表していたのですが、先ごろ英国で公開された外交機密文書によると、実際は何と、少なくとも1万人の一般市民が殺害されていたことが判明したのです。政府の公式発表の約41・5倍ですね。
昨年の12月23日付で英BBC放送や英紙インディペンデント、フランス通信(AFP)など、欧米の主要メディアが一斉に報じているのですが、この数字、どこから出てきたかと言いますと、当時の駐中国英国大使、アラン・ドナルド卿(きょう)が、この大虐殺の発生翌日の1989年6月5日付で打電した英政府への極秘公電の中に出てきたのです。
この極秘公電、ロンドンの英国立公文書館が保管しているのですが、昨年の10月に機密指定が解除され、それを受けて香港のニュースサイト「HK01(香港01)」がこれを閲覧。最初に内容を報じたのでした。前述した各メディアの報道によると、アラン卿の情報源は「中国の国務院の“良き友人”から聞いた情報を伝えてきた」人物で、6月3日の夜から4日の夜の大虐殺についての状況が説明されています。
ちなみに中国の国務院とは、実質的に中国を支配する内閣で、議長を務めるのは首相です。なので極めて信用できる内容なのは間違いありません。事実、アラン卿はこの情報源について、この大虐殺が起きる以前から信頼できる人物で「事実と憶測と噂を慎重に区別」する人物だったと説明しています。
では肝心の内容はどうだったのか?。アラン卿の打電内容について、前述の英紙インディペンデントなどはこう記しています。
<天安門広場の周辺に集結した大勢の人々に“残虐行為”を行ったのは、(中国北部の)山西省の人民解放軍の陸軍「第27集団軍」で、彼らの60%は読み書きができず、primitive(原始的な人々、幼稚な人々)と呼ばれていた>
<(当時の中国の最高実力者である)●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい)率いる共産主義政府が“最も信頼でき、従順である”との理由で「第27集団軍」を選んだとみられる><「第27集団軍」の装甲兵員輸送車(APC)は群衆を銃撃した後、彼ら(の遺体の)上を走っていった。APCは時速64キロの速度で軍隊や一般市民を轢(ひ)いていった>
<(集結した)学生たちは、天安門広場から退去するまでの時間として、1時間の猶予を与えられたと考えていた。しかし5分後、APCが攻撃を開始した>
<学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、(APCに)ひき殺された。そしてAPCは何度も何度も彼らの遺体をひいて“パイ”を作り、ブルドーザーが遺体を集めた。集められた遺体は焼却処分され、ホースで排水溝に流された>
<負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された。そして負傷した3歳の娘を助けようとした母親が銃撃された。この子供を助けようとした他の6人の人々も銃撃された>
<「第27集団軍」はダムダム弾を使っていた。そしてこの軍の狙撃兵は、(建物の)バルコニーや路上にいる一般市民を標的銃撃練習の的(まと)にしていた。北京の病院は、(軍の)治安部隊の負傷者だけを受け入れるよう指示された>
<最初の大量殺戮(さつりく)の波が過ぎ去った後も、虐殺は続いた>
<生き残った1000人は、脱出できると聞かされていたが、特別に用意された機関銃で掃射された。負傷者を助けようとした救急車も銃撃され、乗務員が殺害された>
そしてアラン卿は打電の最後にこう結んでいます。
<最も少なく見積もっても、一般市民1万人が命を落とした>
どうですか?。この極悪非道&人権無視ぶり(実際、打電内容には、軍のメンバー同士を殺害させたとの記述もある)。
民主化を求める中国政府への抗議行動は数週間にわたって中国全土の約400都市で繰り広げられ、1989年の6月3日から4日の夜、天安門広場でピークを迎えました。
アラン卿は打電の中で<国務院の委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた>と記していますが、内戦の鎮圧にしては明らかにやり過ぎです。
そして中国当局が発表した死者数がたったの200人から300人。また、大虐殺があった6月4日の朝、中国の赤十字は死者数を2700人と推計・発表していますが、これも少な過ぎますね。
ちなみに2014年に明らかになった米の機密文書には、中国軍関係者の声として、中国共産党が天安門の大虐殺の犠牲者(死者)を1万454人だと考えていると記されていました。今回のアラン卿の打電に出てくる数字とほぼ同じです。
フランス人の中国研究家ジャンピエール・カベスタン氏も前述のAFPに対し、この米の機密文書も類似した死者数をはじき出していることから、アラン卿のこの数字には信憑(しんぴょう)性があると述べています。
当然ながら、この大虐殺の死者数について中国はいまだにシカトを続けています。大虐殺によって命を落とした活動家の追悼行事は一切禁止。これに関するネットでの議論なども厳しく規制しています。おまけに、これに関する情報を集めた海外サイトへのアクセスまで禁止させようとする始末です。