kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

「未来日記」について、オヤジが思うこと。

仕事柄、アニメ世代に受ける作品をチェックする習慣があって。
ちょくちょく、マンガとか見ているのですけど。

その中で、ちょっと気になったのが「未来日記
最近アニメでブレイクして、原作マンガが再度脚光を浴びている……って言っていいのかな。そういう作品です。
リアルタイムで雑誌に掲載されていた当時は、ヒロインのヤンデレぶりの凄まじさが話題になったコアなファンの付いた作品で。
エログロ内容が強くて、とてもアニメ商材に向いていた作品だと思っていたので、「とうとうアニメ化したなぁ」と思っていたのですけど。
かなり気になったところがあるので、この機会に書いておこうかな、と思いました。

このストーリーの骨子は、典型的な「ボーイミーツガール」物で。主人公の少年が、ヤンデレ少女と出会って、少女とともに精神的に成長していく。
その舞台が、「未来日記」とかいう小道具を使った世界の王となるためのバトルロワイアル
おおざっぱに書くとこんな説明なんですけど。

とにかく人が死ぬ。メインキャスト以外の脇役は、もうRPGの雑魚モンスター並に、ただ殺されるためだけの存在として物語に登場して、
メインキャストに次々に殺されていく。
その「突き抜けた極限感」が、物語の華となっている部分があるのですが。
そこまでしないと「ボーイミーツガール」の成長が、リアルに感じられない、そういう読み手がたくさん増えてしまったのかなぁ。と。
普通の日常生活に刺激が乏しいことは事実だけど。
だから、刺激を求めてかぎりなく極端な世界を妄想しないと。感情を拾えない。そんな人が増えてしまったのかぁ。
と、ちょっと寂しくなりました。

以下、個人的な感想。
ネタバレ含みなので、イヤな人は避けてください。
私見で、個人的にマンガのラストは嫌いです。
作り手の立場から、ストーリーの落としどころとして、読者がもっとも心地よく感じるまとめ方としては、ほぼベストのオチだとは思います。
ただ、このまとめ方って、
ゲームのリセットを現実に望んで、現実を否定し引きこもってしまう人間の思考を全肯定するやり方、です。
エンターテイメントだから。イヤな物は見せない、それは方法論として正しいと思うのですけど。
このラストシーンでの主人公は、物語当初の主人公から何か成長しているのか、と考えると。何も成長していません。

嫌なことから目を背けて。
自分のみたい物だけを見て。
外の世界から誰かが手をさしのべてくれることを待っている。

悲劇のヒロイン的なキャラクターのまま、物語が終了します。
オジサンとしては、「これが正しいのか……?」と考えると、首をひねってしまうのですよねぇ。
物語にはられた様々な伏線をどう解釈するのか、というところに熱中している人が、すごく盛り上がっているのですけど。
オジサン的に気になるのは、
「自分の興味ある存在以外は、全部ムシケラ並の認識」
「自分の行動に対する責任を全放棄して新しい世界に逃げる無責任」

これって「自殺による死を無条件に肯定」へと通じるメンタリティだと思うのですよ。
それをハッピーエンドに持ってきてしまう。
たぶん、作者はそんなことは考え、意識していなかったとは思います。
だからこそ、自然に成り立ってしまっているからこそ。
この物語は納得できないのです。