kg_noguの愚痴日記

アラfi親爺が日々の愚痴を綴るブログです。だいたい日韓関係とか。最近はコロナ情報がメイン

まったく意味不明 ―― なぜ、アルマーニ標準服にしたのか

うーん、
ただいま巷を騒がせている『アルマーニの制服』ですけど。
これ、かなり気になっているので、
ちょっと書いておこうかな、と思いました。
私的には、
『馬鹿じゃないのか』と思います。
なにより見た目が『ダサい』です。ダサすぎます。
『オシャレを理解してない』臭がプンプン漂ってきて、
本当にみっともないことこの上ありません。
いやだって、
『服育』とか『ビジュアルアイデンティティー』が大事だから、とか。
件の校長がのたまっているみたいなのですけど。
実際に公開された実物のデザインを見てみたのですけど。
どこにどんな『アイデンティティー』が表現されているのか、さっぱり理解できません。
パッと見て分からないんじゃ、デザインとして失敗じゃないですかね?
ビジュアルでアイデンティティーを主張したいから、
わざわざブランドにデザインを発注したんでしょ?
それなのに、
見た目、どこにでも在りそうな変哲も無いデザインって……いったい何がしたいの?
って話になりますよねぇ?
しかも色が黒一色だし。なぜ黒?
茶色とか灰色(グレー)なら、まだ理解できるのですけど。
『黒』って……普通、スーツには使わない色です。
黒スーツ=冠婚葬祭専用ですよ。
ブランドに発注するんだから、制服=黒のイメージを捨てて、
制服にふさわしい、
きちんとしたスーツを考慮するべきじゃないでしょうか?
この如何にもありきたりな真っ黒制服の
『ビジュアルアイデンティティー』って、このデザインに具体的にどんな主張が込められているのか……
質問が出たそうですけど。
校長先生、何一つ具体的に答えられなかったようですし。
何がしたいのか、ちょっと意味不明すぎます。
『シャレ者』が見たら、
なんでこんな『ダサい』服を数万円もかけてカワされるのか、本当に意味不明です。
というか、
公開された制服の実物ですけど、
写真を見た感じ『パツパツ』で、かなり窮屈そうに見えます。
シルエット重視で胴回りとか絞ったりしているので、
可動域が相当狭いんじゃないでしょうかね。
生地素材がスポーツウェアみたいに伸び縮みするような物じゃないでしょうし。
写真見ると
ジャケットのボタンを留めた状態で腕を広げただけで
胸にシワがよって引き攣れてますし。
(いや多分この辺がアルマーニのジャケットのシルエット的な特徴なんでしょうけども)
これだと、筋力がない小学生が肩の上げ下げするだけで、
生地に締め付けられてかなり疲れるだろうと思います。
だから子供服というか小学生の制服って着心地重視で肩幅すこい大きくとって余裕を持たせた寸胴スタイルの、
コートみたいなデザインになることが多いのですけどね。
この制服はスーツのシルエット重視のようですが、
かといって、窮屈だから前のボタンを外していたら、
パカパカしてみっともないことこの上ないですし。
せっかくのスーツのシルエットが台無しです。
あと気になる点としては、
なぜ『ネクタイ』を締めさせないのでしょうか?
この手のスーツのデザインはネクタイを締めて初めて完成するデザインです。
首が空いているのは、
着崩して未完成の状態なので、大変みっともない……というか、
『だらしない』のですけど。
『ビジュアルアイデンティティー』を主張するのなら、
それこそ、校章入りのネクタイでも締めさせるべきだと思いますけども。
そういう発想はないのでしょうか?
この辺も不可解です。
なんというか、
ブランドを使うなら、
一目で『さすがブランド制服だわ』と
見た者が唸る出来じゃないと、失敗じゃないですか?
なんでこんなポンコツデザイン作っちゃったんでしょうね?
これが『アルマーニの制服です』とか言われても、『何コレ』としか言い様がない内容です。
本当に何がしたかったのか、さっぱり分かりません。
『高い!』って値段が問題視されてますけど、
根本的な問題として、『値段相応の価値があるの? このデザイン?』ってことじゃないでしょうか?




東京都中央区立の泰明小学校では、新1年生から高級ブランド「アルマーニ」がデザイン監修した標準服(制服)に切り替えることになった。

2017年11月17日付の「平成30年度からの標準服の変更について」と題した保護者向けの文書で、和田利次校長は、以下のように説明した。全文を掲載する。




日頃より、本校教育活動に対するご理解、ご協力、誠にありがとうございます。平成29年度の教育課程も、後半へと進んで参りました。どうか最後までご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
さて標題の件につきまして、改めてご理解を賜りたく、その経緯についてお伝えいたしたくご通知をさせていただきました。
泰明小学校が特認校制度の対象校となり、9年目を迎えています。中央区の教育施策として定着をした制度でございますので、それはそれで好ましい方向に進んでいるものと認識いたしております。
また、泰明小学校を選択してくださり、本校の教育方針に恵心をしてくださり、そして、本校でお子様が自負をもって学んでくれたらと、期待なさって本校を選択されたのだと思うのですが、どうも、その意識と学校側の思いのすれ違いを感じるのです。
子どものたちの様子から申し上げれば、日常の振る舞い、言葉遣い、学校社会という集団の中での生活の仕方などを見ていますと、どのような思いや願いがあって本校を選択されたのかが分からなくて、思案に暮れることがあります。
特認校制度の対象校とはいえ、泰明小学校はやはり特別な存在であります。(どの学校も自負もっておられる(ママ)と思いますが)特認校制度の定着に向けての渦中にあっても、「泰明らしさ」は失われるものではないと思っております。
泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す「美しさ」は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました。
しかし、私が泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです。
言動、もちろん、公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられないと思うことも度々です。もちろん、全員がそうだとは言いません。みそらの星賞などを設定し、この子ならばと推薦された児童が褒賞を受けることもあって、ほっとする面もあるのですが、それに反して、がくっと心折れる場面の多いことも事実です。
教育は内面を育てる営みがほとんどです。ですから、私どもも懸命に児童の内面を鑑み、自覚をもたせ、「泰明の子らしく」を金科玉条の如くは大げさかもしれませんが、でも、泰明小学校の児童はかくあるべきだと思い指導いたしております。
その力がまだ足りないのだと忸怩たる思いもありますが、なかなかその指導が行き渡らないのはなぜだろうと悩んでおります。対外的にも、「泰明小」そして「泰明の子」は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか、これまた、忸怩たる思いになることもしばしばです。
愛校心、所属愛、学校に対する誇りが自己の存在と重なると、スクール・アイデンティティーが芽生えます。このような、ある意味エモーショナルな心が、あるいは学校に対する思いが、薄れているのではないかと危惧しております。語弊を恐れずに申し上げますが、「自分は泰明小の一員であるから、そのようなふざけた行いはしない」と自戒できる児童を我々は育てたいのですが、保護者の皆様は、お子様の姿をどのようにお考えでしょうか。
もうひとつ、私が危惧しているのは、泰明小学校は銀座の街と共に歩んできたということを児童や保護者の皆様にご理解いただいているのかどうかということです。泰明小学校に通ってくると言うことは、例え特認校であっても、銀座の街の子供たちになると言うことだと私は思います。
現実的には、地域の集いや催しは、特に子供対象のものはそう多くはありません。ですが、街の方々は、泰明小学校の子供たちのためならと、事あるごとにご尽力してくださいます。学習活動面でもご周知のような協力を惜しみなくしてくださっています。
"街との絆"を感じながら泰明小で学んでほしい。保護者の皆様には、そういう学校で我が子は学んでいるものだということを意識して欲しいと思うのです。私は、立場上、地域の方々との接点がありますが、皆さんが、学校のことをとても大切に考えてくださっていることが分かります。街に学校があると言うことは、こんなに嬉しいものなのだな、と感じるのです。
しかし、このような意識も薄れつつあるのではないかと私は心配しています。いろいろ関わってくださっている方々には申し訳ございませんが、それほど多くはないはずの地域の催しや企画などにどれだけの方が参加してくださっているのでしょう。銀座の街あっての泰明小学校なのです。
今、泰明小学校は、どこか、どれかのスイッチを押さなければそのよさが失われてしまう、そういう時です。ビジュアルアイデンティティーという概念があります。
標準服もその要因の一つであります。視覚的な同一性と申し上げたらよいでしょうか。泰明の標準服を身に付けているという潜在意識が、学校集団への同一性を育み、この集団がよい集団であって欲しい、よりよい自分であるためによい集団にしなければならない、というスクールアイデンティティーに昇華していくのだと考えます。
どれかのスイッチの一つが、標準服であります。決して現行の標準服を否定しているわけではなく、教育は内面の育成、醸成だと再三申し上げているように、現行の標準服でいるから、これから縷々申し上げてきたような危惧があるのだと言っているのではありません。
標準服を変えれば私の危惧することが消えるわけではありません。教育は、内面の耕しであり、そこに、学校教育の質が問われるべきであると思っています。でも、教職員も微力ながらがんばっているのです。どこかの、どれかのスイッチを押さなければ、泰明小学校は、ただ、特認校の選択肢の一校になってしまうのではないかと私は危惧しているのです。
ところで、銀座の街も、当面は2020東京五輪に向けて変容しています。古き良き銀座の名残を留めながらも、新しさを求めています。泰明小学校も。よき伝統を保ちながらも、時代の流れをくんだ教育活動を進めております。ご存じのように、銀座の街には、世界に名だたるブランドショップが立ち並んでおります。
ブランドに拘ったり、志向したりしているわけではありませんが、泰明小学校も銀座のランドマーク、銀座ブランドであります。〔学校には当てはまらない言葉かも知れませんが〕街の歴史とともに存在するある種のトラディショナルブランドであります。
銀座の街のブランドと泰明ブランドが合わさったときに、もしかしたら、潜在意識として、学校と子供らと、街が一体化するのではないかと、また銀座にある学校らしさも生まれるのではないかと考え、アルマーニ社のデザインによる標準服への移行を決めました。
では、なぜアルマーニ社かということですが、他のブランド社(どのあたりまでをブランドと呼ぶのか悩みましたが)にもアプローチをしたのですが、程合いの違いはありますが、受け止めてもらえなかったというのが結論です。ただ、アルマーニ社だけが、思いを聞いて下さり、検討はしてみますが時間がかかります。またお約束はできませんということで3年前から、遅い歩みではありますが話が進んでおりました。
そして、販売ルートの確保や生産ルートの開拓まで、社としては初めての試みですが、引き受けてくださってからは懸命に努力をしてくださいました。松屋様のルートも残してくださったり、生地、縫製も日本のメーカーにしてくださったこともありがたいことです。

繰り返し申し上げますが、泰明小学校は公立の小学校として、開校以来ずっと銀座という地域との結びつきを大切にしてきました。時代の流れと共に銀座という街はどんどん発展し、日本を代表する商業地域として現在は多くの外国人観光客を受け入れる街となりました。
そうした国際色の強いエリアに立つ小学校として、地域に根差し、さらには国際的な視野を持つ人材を育てていきたいという思いをもってまいりました。標準服とは児童が毎日着るものです。そうした身近なアイテムだからこそ、それを通してきちんと装う事の大切さを感じることも、国際感覚の醸成に?がると思います。
また視覚から受ける刺激による「ビジュアルアイデンティティー」の育成は、これからの人材を育てることに不可欠である「服育」という重要な教育の一環であると考えます。さらに、遊びのと時に無造作に脱ぎ捨てられていることが多いのですが、きちんと折りたたんでから遊びに行くとか、背もたれに掛けておくといった一手間の大切さも教えたいと考えております。
平成30年度入学の新1年生から着用することといたします。上学年の児童については、様々なご要望があると思われますので、ご関係の方々と相談をさせていただきながら決めていきます。
また販売価格についてはサイズごとの価格表がまだ整っていないのですが、現行標準服では男子の場合、上着、長袖シャツ、ズボン、帽子で、17755円(身長130センチの価格)女子の場合、上着、長袖ブラウス、スカート、帽子で、19277円(130のサイズの価格)です。サイズによって価格設定が違いますが、この標準服価格のおよそ2倍の価格になります。
新しい標準服は夏用のズボン、スカートが加わります。サイズが明確な価格ではございませんが、現在のところ、ズボンが7800円、スカートが10000円と設定されております。価格表が決まり、新一年生の入学者が決定した時点で、改めてお知らせいたします。
長々としたご通知で申し訳ございません。意を尽くせているかどうか心配でございますので、なおご不明な点がございましたら、学校宛てにご連絡くだされば幸いです。