本日は、
韓国次期大統領を選ぶ選挙の投票日。
この後、
開票作業が始まって、
日付が変わる前後で
次期大統領が確定する見込みです。
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ということで、
韓国メディアが投票日に出した社説記事に
ブックマークを付けてみました。
私的には、
次期大統領が当選した後に、
これらの主張が
どのように掌を返すのか。
そこに興味がありまして。
今回は
この後
比較検討するためのメモ取りです。
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しかしなんというか、
見出しに
『大統領選挙か監獄か』と付けるとか。
いや、
確かに過去の歴史を見れば、
誰でもすぐに気が付く
周知の事実なのですけど。
それを、
自分で言ってしまうのか。
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この手の
韓国政治を批判する文言って、
たとえば
日本国内で
Youtubeの動画に使ったりすると、
すぐさま
抗議が殺到して
動画削除を余儀なくされてしまうのですけど。
『差別を助長する』
『偏向した主張』
『過激な表現』だとかで。
事実をありのままに伝えても
アウト判定を喰らうことが多くて。
というか、
最近では
事実をありのままに伝えるとアウト判定を喰らう確率が高い、
とか。
変な噂まで出ていたりするんですけど……
韓国メディアが
自虐的に使うのは問題無いのか……
【中央時評】大統領選挙か監獄か:大連立しよう=韓国
国の最高代表を選ぶ日だ。しかし共同体の未来に向けた明るい期待より、重い心配が抑えつけている。勝者が独占する大統領政治と激しい憎悪の選挙過程のためだ。しかし「勝者独占政治」は「勝者独占経済」と「勝者独占社会」を生む。すなわち政治的二極化は経済的二極化と社会的二極化の根本原因となる。絶対王政から現代の政治制度にいたるまでこれは例外がなかった。政治的二極化は勝者独占と権力独占の産物という点だ。みんながこの非比例的な我々の勝者独占大統領制の改革を主張した理由だ。
近代民主主義理論と人類最初の民主共和国憲法に決定的な影響を及ぼした先賢は雄弁に語る。「ギリシャを長く繁栄させたことは連立だ。これでローマは世界を攻撃し、また、これに従ってこそ世界はローマから自分たちを防御した…このためオランダ・ドイツ・スイスは永遠の共和国と見なされる」。実際、人類史で連立と統合は国を繁栄と文明と永遠に導いた。永遠平和を目指したカントはもちろん、米国を築いたジェファーソンとマディソン、そして安重根(アン・ジュングン)思想の革新だ。
革命にもかかわらず反対派を処刑しない英国に向けて大陸の最高の哲人と君主はバカだと嘲弄した。しかし妥協と寛容の政治が議会主義・民主主義・産業革命を経て「日が沈まない国」につながると「バカ」は「最も賢明なバカ」に変わった。国家と文明の繁栄と成熟は妥協と寛容の産物だ。憤怒と憎悪で清算を繰り返した事例は革命と反動、暴力と滅亡に陥ったからだ。
民主化以降、筆者は二つの点を強く提案してきた。一つは連立政治と統合政府、もう一つは権力の分散と憲法改革だった。主要候補が共に「統合政府」を約束したのは今回が初めてだ。国が完全に2つに分裂しているからだ。合併は連立でなく勝者独占の道だ。したがって多党制・連立政治・権力分散を主張していたある政治家が撤収し、多党体制を廃止し、権力独占の道を進んだ結果、統合政府はもう大連立政府しかない。
李在明(イ・ジェミョン)、尹錫悦(ユン・ソクヨル)両候補に衷心より提案する。大連立するべきだ。すなわち国民の支持に合わせて権力を行使しなければいけない。2つに分裂した国の状況、自身の政治経歴を考慮すると、両候補は必ずこの提案を受け入れると信じる。民主主義は決して2つの特長の行政主義と司法主義だけでは成り立たない。代表を基盤とする議会主義が民主主義の骨格だ。2人のうち1人が勝者独占する時、そして憎悪と敵対で相手候補と支持者の意見を排除する時、就任後に国政運営を成功させることはできない。しかも両候補は一度も国全体の問題を扱ったことがない。
統合政府という共通の約束から出発しよう。リンカーンを筆頭にルーズベルト、チャーチル、李承晩(イ・スンマン)、ブラント、マンデラ、金大中(キム・デジュン)をはじめ、危機で大政治家はすべて政党の境界を越えて統合政府を構築した人たちだった。統合業務引き継ぎ委員会を設置し、共に国の「根本課題」と「共通目標」を決めて「共通公約」を出し、傾向の「共通人材」を広く見つけだす必要がある。そして国政を最もうまくする「分野別」に分けて担当する。国民の半分の意見と政策も共にまとめる。もちろん「ほかの分野」はいくらでも互いに牽制する。連立の最高原理である閣僚・内閣・大統領の責任の分離と結合をいう。
ろうそくデモ以降、強く統合政府を訴えたが、広場のろうそくの火を公共性と統合のろうそくの火でなく進歩半分のろうそくの火に歪めた結果、国は積弊清算と検察改革を通じて検察主義と陣営対決のピークに向かい、検察総長は国政課題実現の最高の役割者であると同時に最大の被害者になってしまった。その司法主義政治の肯定と否定の最大逆説のピークとして、いま恩恵と被害の代表が国民の半分の支持で国家最高指導者を追求する候補の地位に立っている。2人のうち誰が当選しようと司法主義の延長はいけない。
近代フランスのルイ・ボナパルトは問う。「皇帝か、監獄か」(Aut Caesar, Aut Clichy!)。はるか先にチェーザレ・ボルジアは絶対権力の本質をすでに悟った。「皇帝か、全無か」(Aut Caesar, Aut Nihil!)。遊説中の候補の激しい演説と支持者の根深い憎悪から、我々はすでに相互間で勝利の目標が敗者の処罰と監獄行きを希望していることを見る。
しかし違法であれば勝利したからといって処罰の免除を受けてはならない。(就任前まで憲法84条を含め、いかなる刑事訴追の免責対象でもない)。すなわち勝利と敗北が大統領選挙と監獄を分けてはいけない。勝利が合法で敗北が不法である法治は法治ではない。本質上、民主主義でもない。積弊清算のような司法主義であり、検察主義にすぎない。
今回の選挙の勝者は誰であっても統合政府を通じて司法主義を超える民主主義、そして陣営敵対を超える統合政治の英雄になるべきだ。そして以前の時期と以後の時期を完全に分ける、時代精神の大実現者、大転換者になることを求める。両候補とも必ず統合政府の約束を守らなければならない。そして「最も賢明なバカ」になってほしい。